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彩を忘れた私の世界  作者: uniーうに


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凪《しずけさ》の違和感

 私たちは、町を離れた。

 後ろを振り返ることはなかった。

 振り返ってしまえば、あの場所に戻りたくなる気がした。

 けれど――。

 もう、戻ることはできない。

 蹄が地面を叩く音だけが、静かな道に響いていた。

 誰も口を開かなかった。

 私も、何も言えなかった。

 ただ、頭の中には先ほどの光景が何度も浮かんでいた。

 町の人々。

 震えながらも、逃げようとしなかった彼ら。

 そして――。

『どうか、生きてください』

 老人の声が、耳から離れない。

「…………」

 私は拳を握った。

 あの人たちは、私たちを逃がすために残った。

 ルミアを生かすために。

 そして――私たちに、時間をくれた。

 その時間を無駄にするわけにはいかなかった。

 ルミアは、俯いたまま馬に乗っていた。

 その表情からは、まだ涙の跡が消えていない。

「……ルミア」

「……はい」

 小さな返事だった。

「大丈夫か?」

「…………」

 しばらく沈黙が続く。

 やがて、ルミアは小さく首を横に振った。

「……大丈夫じゃ、ありません」

 正直な答えだった。

「みんなのことが……頭から離れなくて」

「……そうだな」

「私だけが、こうして生きていていいのでしょうか」

 私は答えられなかった。

 それは、私自身がずっと考えていたことだった。

 この先、私たちは何をすればいいのだろう。

「……あの人たちは」

 私は前を向いたまま言った。

「君に生きてほしいと言った」

「…………はい」

「だから……今は、それを無駄にしないことだけを考えよう」

「……はい」

 ルミアは小さく頷いた。

 それ以上、言葉は続かなかった。

 しばらく馬を走らせる。

 やがて、遠くに城壁が見えてきた。

 大きく、分厚い壁。

 その向こうに広がる街並み。

 ――オーガストホルン。

 レオニス帝国とルナリア王国の国境に位置する都市。

 私たちが、最初にこの戦争へ巻き込まれた場所だ。

「……もうすぐです」

 同行していた兵士の一人が言った。

「ああ」

 私は城壁を見つめた。

 あそこへ戻れば、また現実が待っている。

 ヴォルカグリム軍。

 ルナリア。

 そして、この戦争。

 私は一度、目を閉じた。

 そして――ゆっくりと開く。

「……行こう」

 馬の速度を上げた。

 やがて、オーガストホルンの城壁が見えてきた。

 高くそびえる城壁。

 その上では、いつも以上に多くの兵士たちが外の様子を警戒している。

 戦争は、まだ終わっていない。

 私は馬の速度を落とし、そのまま城門へ向かった。

 私の前には、ルミアが座っている。

 小柄な彼女の身体は、私の前にすっぽりと収まっていた。

 城門が近づくにつれ、見張りの兵士たちがこちらへ視線を向ける。

「――止まれ!」

 一人の兵士が声を上げた。

 私たちは馬を止める。

 兵士がこちらを確認し、私の顔を見た。

「……アシュ様!」

「ああ」

「ご無事だったのですね!」

 兵士は安堵したように息を吐いた。

 そして――。

 私の前に座っているルミアへ視線を移した。

「…………?」

 兵士は首を傾げる。

「アシュ様……その子供は?」

「…………」

 私は思わず前を見る。

 ルミアも振り返り、兵士を見た。

「子供ではありません」

 ルミアが困ったように答える。

「……え?」

 兵士の目が丸くなる。

「彼女はルミアだ。ルナリアで世話になった」

「し、失礼しました!」

 兵士は慌てて頭を下げた。

「いえ……よく間違われますので」

 ルミアは苦笑しながら答えた。

「そう、ですか……」

 兵士はどこか納得しきれない様子だった。

 私はそんな兵士を見ながら、改めてルミアを見る。

 確かに小柄ではある。

 それにしても――。

 子供と間違えられるほどなのか。

 そんなことを考えながら、私たちは城門を抜けた。

 街の中は慌ただしかった。

 兵士たちが物資を運び、傷を負った者たちが治療を受けている。

 誰もが、次の戦いに備えている。

 そんな街の中を進んでいると――。

「――アシュ様」

 聞き慣れた声がした。

 前方から、一人の男が歩いてくる。

「ダルマン」

「ご無事で何よりです」

 ダルマン・アルバート。

 私が不在の間、オーガストホルンで戦況を把握していた男だ。

 ダルマンは私の姿を確認すると、軽く頭を下げた。

 そして――。

 その視線が、私の前へ移る。

「…………」

 ルミアを見つめる。

 数秒の沈黙。

「……ところで、アシュ様」

「ああ」

「その子供は?」

「…………」

 私は思わず黙り込んだ。

 ルミアも、困ったような顔をする。

「子供ではありません」

「……え?」

 ダルマンの表情が僅かに固まった。

「彼女はルミアだ。ルナリアで世話になった」

「…………」

 ダルマンは、もう一度ルミアを見る。

 そして静かに頭を下げた。

「……これは失礼いたしました」

「い、いえ……」

 ルミアが小さく笑う。

「よく間違われますので……」

「そう、ですか」

 ダルマンはそう答えたものの、しばらくルミアを見ていた。

 やがて、その視線が私へ戻る。

 先ほどまでの戸惑いが消えていた。

「……では、改めてお尋ねします」

「…………」

「なぜ、ルミア殿を連れてこられたのですか?」

 私は答えなかった。

「私は、アシュ様にお願いしたはずです」

 ダルマンの声は落ち着いている。

「必要以上に危険へ身を晒さず、速やかに戻っていただくように、と」

「ああ」

「それにもかかわらず、アシュ様は彼女を連れて戻ってこられた」

「……そうだ」

「なぜです?」

「…………」

 私は黙った。

 ダルマンは続ける。

「あの町で何があったのですか?」

「…………」

「ヴォルカグリム軍と遭遇したのですか?」

「ああ」

「被害は?」

 その問いに、私は拳を握った。

「……大勢の人間が、連れていかれた」

「…………」

「そして――」

 言葉が詰まる。

 あの光景が、頭に浮かんだ。

 町の人々が、私たちの前に立ちはだかった姿。

 震えながらも、逃げなかった姿。

「……残った者たちがいた」

「残った?」

「ああ」

 私はゆっくりと答えた。

「私たちを逃がすために」

 ダルマンの表情が僅かに変わった。

「……殿下とルミア殿を、ですか?」

「ああ」

 私はルミアを見る。

 彼女は何も言わず、俯いていた。

「彼らは、自分たちが助かることよりも……ルミアが生きることを望んだ」

「…………」

「だから、私は連れてきた」

 ダルマンはしばらく黙っていた。

 やがて、静かに口を開く。

「……詳しく、聞かせていただけますか」

「ああ」

 場所をオーガストホルンの城内へ移し、あの町で起きたことを話した。


「……そうですか」

 ダルマンは、しばらく黙っていた。

「町の人々は……自身が逃げることよりも人を逃す選択をしたのですね」

「ああ」

「そして、そのためにヴォルカグリム軍の前へ?」

「そうだ」

 私は拳を握った。

「私たちが逃げる時間を作るために、あの人たちは残った」

「…………」

「だから、私はルミアを連れてきた」

 ダルマンは静かに頷いた。

「分かりました」

 それ以上、何も言わなかった。

 やがて、ダルマンは机上の地図へ視線を落とした。

「……それで、アシュ様」

「ああ」

「ヴォルカグリム軍について、何か気づいたことはありますか?」

 私は少し考えた。

「……撤退が、妙に早かった」

「はい」

「ただの敗走には見えなかった」

 ダルマンが頷く。

「私も同じように感じています」

 帝国側からすれば、これだけの軍勢が攻め込んできた以上、長い戦いになると思うのが普通だ。

 だが、奴らは違った。

 どんなに優勢でも引くと決めた瞬間、迷いなく撤退した。

「……最初から、撤退することも考えていたのかもしれないな」

「可能性はあります」

「なら、何のためにここまで来た?」

 私は地図を見る。

 考えられる理由はいくつかある。

 だが、どれもしっくりこない。

「……帝国の目を、こちらへ向けるためだったのかもしれない」

「帝国の目を?」

「ああ」

 私は頷いた。

「ここまで攻め込めるだけの力があると見せれば、帝国も簡単には動けない」

「なるほど……」

 ダルマンはしばらく地図を見つめた。

「ですが、それだけとは限りませんね」

「ああ」

 私も頷いた。

 それ以上のことは、今の私たちには分からない。

 ヴォルカグリムが何を考えているのか。

 なぜ、あれほどの軍勢を動かしたのか。

 なぜ、あのタイミングで撤退したのか。

 恐らくあのまま攻め続けられていたらこの砦は陥落していただろう。

 相手もそれは分かっていたはずだ。

 それにもかかわらず、ヴォルカグリム軍は撤退をした。

「……分からないな」

 思わず、そう呟いた。

「はい」

 ダルマンも、それ以上は答えなかった。

 部屋に静寂が落ちる。

 私は窓の外へ目を向けた。

 オーガストホルンの街は、戦いを終えたばかりだというのに、どこか落ち着かない。

 それはきっと、私たちも同じだった。

 何かがおかしい。

 けれど、それが何なのかはまだ分からない。

「……ただ」

 私は拳を握った。

「あの町で見たものだけは、忘れない」

 ルミアを逃がすために残った人々。

 自分たちの命よりも、彼女の未来を願った人たち。

 あの人たちがくれた時間を、無駄にはしたくなかった。

「次は……私が守る番だ」

 そう呟いて、私は窓の外を見つめた。

 戦いは、一度終わった。

 けれど――。

 これで全てが終わったとは、どうしても思えなかった。

 

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