閑話:伊原くんは出会う
撮影の仕事がひとつリスケになり、時間が空いた。ちょうど昼時というのもあり馴染みのカフェでランチをとることにした。
五月中は稽古や撮影など様々な仕事が立て込んでいて、一度も足を運べていなかった。一か月ぶりの来訪、それでもレトロな雰囲気を持つそのカフェはひと月前と変わらない様子でそこにあり、心地よく迎え入れてくれるだろうと思っていた——のだが。
店内に入って、シャツに黒いカフェエプロンを身に着けた彼を最初に見たときは、他人の空似だろうかと疑った。だが、数日前に出た朗読劇の客席で観た、以前に見た時と比べて少しだけ前髪を切った彼とその姿が一致した。
めぐりあわせとは奇妙なものだ、と一咲は思う。まさかなじみの店で、気になっているファンが働いているなんて。
そして反応を見るに、彼も一咲に気づいている。もっとも彼は一咲のファンで、その一咲は伊達眼鏡程度の変装しかしていないという状態だから当然かもしれないが。
(そのまんま、百目鬼くんっていうんだ)
オーナーの色がそう呼んでいるのを盗み聞いてしまった。それが姓名どちらなのかは分からない。けれど、思いがけず知れてしまった名前を、一咲は心の中で何度かなぞった。
百目鬼はあからさまに動揺しながらも、ふたりを間接的に繋いでいる存在について、一切口にすることはなかった。むしろ、なんとなく、近づきたくなさそうに見えるのが面白くて、興味深い。そしてほんの少しもどかしくも感じた。騒ぎたてそうな子だとは思っていなかったし、実際騒がれても困るのに、どうしてか、そう感じてしまったのだ。
だからつい、呼び寄せてしまったり……注文に乗じて好物まで聞いてしまった。
「お、お待たせ、しました。オムライスと、キャラメルマキアート、です……」
訥々とした喋りや硬さを感じる振る舞いは、一咲と対峙している緊張だけでなく、もともとの気質のようにも感じる。客席で見る姿からなんとなく感じていたけれど、シャイなのだろう。
百目鬼は食事を一咲の前に並べると、そそくさと去っていき、色に何事かを話すと店を出て行ってしまった。なにをしているのだろうと身を捩らせながら窓を覗くと、店先の掃除をはじめていた。
「一咲くん、彼と知り合い?」
カウンターの向こうで、コーヒーを淹れながら、色が言った。色とは浅くない縁があり一咲の職業を知っている。だから他の客がいるときは声を掛けてこないが、今ここには一咲しかいない。
軽やかなジャズミュージックを聞きながら、一咲は逡巡する。それから、首を横に振った。
「いいえ、初対面です」
百目鬼が知らないふりをするならば、こちらもそれに応えるべきだと思った。
「そう」
「はい」
「じゃあ、そういうことにしておくね」
理解が良くて助かる、と一咲は苦笑した。
それからもう一思案して、一咲は口を開いた。
「知り合いでは、ないんですが。もう少し、ここに足を運べる頻度を増やしたいと思いました」
「それは嬉しいね。君は美味しそうにたっぷり食べてくれるから、見ていて気持ちいい。百目鬼くんと同じくくらいね」
「え」
背は一六〇半ばくらいで体つきは一咲と比べると結構華奢だが、あれでいてたくさん食べるのか。
なんか。
「……いいなぁ」
ついぽつりと一咲が呟くと、カウンターの向こうで色がからりと笑った。
「どっちがファンなんだか」
自分で淹れたコーヒーを一口飲んでから、色が言った。
「知り合いじゃないのなら、彼のシフトは教えてあげられないから」
「う……」
「頑張って通ってね、一咲くん」
「はい……」
もう一度窓の外を見やると、アスファルトを削らんばかりの勢いで一心不乱に店先を箒で掃いている百目鬼が見えて、頬が緩む。まだオムライスは二、三口しか食べていないのに、一咲はどこかあたたかな満腹感を覚えた。




