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百目鬼くんの推しごと  作者: 鈍野世海
4章・百目鬼くんの放課後

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8/25

6話

「cafe ZASHIKI」でアルバイトをはじめたあずさは調理補助、掃除、洗い物……などなど様々な仕事を教わったが、メインにして一番慣れないのは、接客だった。

 それでもオーナーである色が丁寧にフォローをしてくれる。前髪も……赤の他人との一対一での会話が確定で発生するため長い間逃げ避けてきた苦手な美容室に、オーナーから紹介とクーポンを頂いてしまったこともありどうにか足を運び、前よりも三センチほど短くなった。以前よりひらけた視界で、以前よりも勇気をもって、あずさは人と目を合わせて積極的に接しようと頑張っていた……とはいえ、まだまだ日和ったり挫けることもあるのだけれど。

 そうして働きはじめて一か月。一咲が出演した切なくも温かくなる朗読劇の余韻に浸りつつ、今日も今日とてアルバイトに勤しんでいたあずさは——人生最大のピンチに陥っていた。


 その日は開校記念日で学校が休みなのもあり、朝からアルバイトをいれていた。

 どの日も時間も特別忙しいってわけじゃない、と色が言っていたように、朝九時からのモーニングも、十二時からランチがはじまっても、客足はまばらかつ、そのほとんどが常連だった。

 種族も性別も年齢もばらばら、ただ皆一様に、穏やかそうな気質をしている。

「ご、ご注文を繰り返しますね。日替わりランチのAセットひとつ。飲み物は、アールグレイティー。食後に、カフェモカ……で、お間違いないでしょうか」

「ええ、大丈夫よ。ふふ、少し前はとってもたどたどしかったのに。子供の成長は早いわねぇ」

 そう言うテーブル席の婦人は、あずさがアルバイト初日にはじめて注文を取った相手だった。彼女の目の前で食器を落としてしまったこともあり、その際に頬や腕の目もうっかり開いてしまったこともあったが、ただ穏やかに「あらあら」と微笑むのみだった。他の客の前でもあずさは二、三度体の目を開いたことがあったか、だれも気にせずにいてくれた。ここ客は、やさしい。

 とはいえ、面映ゆさは覚える。顔を赤くしながらもあずさはぺこぺことお辞儀をして、カウンターに行き、色に注文を伝える、と。

「本当に子どもの成長は早いね」

「う、さ、沢座さん……」

「心からの褒め言葉さ。オムライスセットは私が運ぶから、百目鬼くんはお昼休憩に入っちゃって。メニューはどうする?」

 オーナーであり、このカフェのすべての調理を担当している色が、昼も夜も休憩時間には美味しい賄いを出してくれる。

「あ、そうだ」

 ふいに色があずさの耳に顔を寄せたかと思うと、耳打ちした。

「個人的に作った牛すじカレーあるんだけど。オムライスにかけて食べない?」

 色が作った牛すじカレーがかかった、オムライス。想像するとお腹がぐうっと鳴った。

「い、いただいても、よろしいのでしょうか」

「もちろん。でも、店にないメニューだから、裏に用意するね」

「ありがとうございます」

「沢座さん、私にも一口貰えるかしら?」

 と、テーブル席の婦人がこちらを向いてにこりと微笑む。「聞こえちゃってましたか」と色が頭を掻いた。

「これからくるお客さんへの口止め料ってことで」

「仰せのままに。百目鬼くん、先に裏行ってて」

 あずさは従業員用の着替えスペースに行き、色が来るまで宿題をすることにした。

 数学の問題で少し行き詰まり考えていると、机上に置いていたスマホがぶぶっと震える。

(あ、浅香さん、アクアの限定SSR当たったんだ)

 遥から、ソーシャルゲーム「スター・ウィッシュ」のガチャ画面のスクショと「昼休みに引いたら当たったよ!」というメッセージが届いていた。「スター・ウィッシュ」は八月に舞台化が決まっており、遥はもともとプレイしていたらしく、あずさも一咲が出演することをきっかけにアプリを入れた。

 音楽ゲームで敵を倒していくというシステムで、最初は不慣れでイージーモードもクリアできなかったが、今では最高難易度にも挑めるようになった。数多収録されている曲はどれもとてもよく、慣れればゲームも楽しい。物語も重厚で面白く、あずさはすっかりハマっていた。

 先日買った「スター・ウィッシュ」のスタンプに、ちょうどみずがめ座をモチーフにした朗らかな少年アクア、遥の推しキャラクターが「おめでとう!」と掲げているものがあったから送る。すぐに既読はつき、おとめ座をモチーフにした艶麗な青年ウィルゴが「ありがとう」と言っているスタンプが返ってきた。

『そういえば、「ヘヴ・デヴ」の新刊予約はじまったね~!』

『そうですね。本屋さんで予約しました』

『私も通販頼んだ~! 仕事終わりが楽しみ!』

 遥はメッセージ上でも彼女らしさがあって、明るい表情が脳裏に浮かんだ。

 小さく笑うと、色がオムライスを持ってやってきた。スパイスが香ばしく、ごろりとした牛筋がいくつも乗っている。

「こ、こんなにたくさん、いいんですか」

「もちろん。百目鬼くんは美味しそうに食べてくれるから、ついたくさん振る舞いたくなっちゃうんだよね」

「そ、そうでしょうか」

 食べているときの表情など気にしたこともなかった。

「うちの常連にもひとり、君ぐらい美味しそうかつよく食べる子がいるんだよね」

「たくさん食べられる方……」

 これまで見てきた常連の中に心当たりがなく首を傾げるあずさに、色が言う。

「百目鬼くんが働き始めてからまだ来ていないね。忙しい子だから」

「そうなんですか」

 店に戻る色を見送り、あずさはオムライスを食べはじめた。

 素敵な朗読劇の余韻があって、美味しいものでお腹が満たされて、明日にも楽しみが控えていて。

 こんなに幸せなのははじめてかもしれないとあたたかな感覚に浸りながら、昼休みが明けたあずさは仕事に戻る。

 店先に出たタイミングでドアが開き、新しい客が入ってきた。

「いらっしゃま——」

 俯かないように意識して顔を上げ挨拶しようとしたあずさは、ぴたりと固まった。

 センターパートにセットされた金髪、フレームが細くレンズの薄い眼鏡を隔てた青みがかった綺麗な瞳。背はすらりと高く、均整の取れた肉体には、今日はシンプルなパーカーを纏っている——。

 あずさはまた新たなことを知る。人間とは動揺が一定を超えると逆に冷静になるものらしい。おかげで全身の目も開かずにいてくれた。

 窓際のテーブル席に案内するまでは無心でいられた。一礼してカウンターそばに下がった。ところで、あずさの背には無数の汗が浮かび上がった。

(あれって……まさか……伊原さ——)

 思いかけてからあずさはぶんぶんと首を横に振った。

(み、見間違いだ。きっと)

 常日頃から彼のことを考えているから、どこか似た人にうっかり、一咲の姿を重ねて見てしまったのだろう。きっと、そうだ。そうに違いない。

 そう自分に言い聞かせつつも、本当に見間違いかを確かめる勇気もなかった。なんならその客が帰るまで裏に引っ込みたかった。

 だが、このカフェの従業員といて働いている身、サボるわけにはいかない——。

「すみません、いいですか」

(う)

 先の席から声が飛んでくる……知っている声のような気がする。

 空似だと思いたい。かなうなら応じたくない。けれど、決して仕事をサボるわけにはいかない。

 葛藤しながら重い足取りであずさはテーブル席に近づく。

「は、はい。ご注文を、お伺いします」

「あ、すみません。注文というか。「日替わりランチのAにするか、Bにするか。それとも定常メニューにするか悩んでまして。

 店員さんのおすすめはなんでしょうか」

「え、お、お、おすすめ、で、ですか」

 ロボットのようにぎこちなくなりながらも、あずさは何とか答える。

「お、オム、オムライスを、今日、食べました……」

「そうなんですか。じゃあ、俺もオムライスにしようかな。大盛で」

「は、はい。オムライス、大盛ですね」

「それと……飲み物は、店員さんはどれがお好きですか」

「へっ。あ、えっと……キャラメル、マキアート……です」

「じゃあ、それも。お願いします」

 にこりと微笑みその人は言う。

 あずさの心臓は変な音を立てる。

 一礼し、くるりと踵を返し、カウンターに向かう。

 色がこてんと首を傾げた。

「百目鬼くん、右手と右足が一緒に出てたよ」

 それにあずさはなにも答えることも、注文をすぐに伝えることも出来なかった。

(——メンバー別ごはん事情インタビューで言ってたけど、本当にデフォで大盛り頼むんだ……!)

 これが夢でもない限り、もうごまかしようもなく、どうしようもなく。

(本物の、伊原さんだったぁ……!)

 注文中に、ほんの一瞬ちらりと目を向けてしまえば、直射日光を浴びたようにちかちかとした。全身の目がうずりと疼いたがひとつも開かなかっただけ自分で自分を褒めたい。

 今日も今日とてアルバイトに勤しんでいただけなのに。

 あずさは、仕事場に推しが訪れるという人生最大のピンチに陥っていた。


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