4話
遥から借りたライブ映像を観た後のあずさの行動は実に早かった。
まだ残ってくれていたチケットを急いで購入し、家の近所のコンビニで発券を済ませた。
そしてライブの前週に遥に誘われるままに、ものづくり作業ができるというスペースに行ってうちわ作りをした。
借りた映像にたしかに、うちわを持っている人はたくさんいた。それはあずさが知っているようなうちわではなく、はなやかにデコレーションされた中に「No⇆CK」のメンバーの名前だったり、「ピースして」「指さして」などの願いが描かれてた。
「ライブのうちわは応援してますって思いを伝えたり、ファンサ希望をアピールしたりするのに持ったりする感じかな」
「ファンサ」
「ファンサービスの略ね。目が合ったらウィンクしてくれたとか、手を振ったら振り返してくれたりとか。「じゃんけんして」って書いたうちわをメンバーが見てくれたら、実際にじゃんけんしてくれたりするの。勝っても負けてもいい笑顔見せてくれるんだよね……」
ファンサを望む度胸などなかったあずさは、名前だけを入れたうちわを作った。「伊原さん」と作ろうとしたが遥の説得もあり「一咲さん」にした。
自分なんかがおこがましいという思いもあったし、一咲があずさに向かってウィンクなどをしてくれる姿などが想像できなかった……というか、したくなかった。
大勢の客の中からあずさが見つけられることがあるとすれば、おそらく、この特異な容姿が目についてしかありえないだろうと思う。人よりもはるかに多い目を開いて、一咲を見ようとしている姿が。
(客席の人たちは僕を見ないけれど……舞台上の人たちは、どうなんだろう……)
「ヘヴステ」を二度観に行き、その二度とも全身の目を目いっぱいに開いて一咲を見つめた。
もし一咲が数多の目を持つ客に気づいていたら。もし気持ち悪いと思われてしまっていたら。
その可能性を考え出すと、少し、ライブに行くのが怖くなった。それでも、輝く一咲を観たい気持ちが勝って会場を訪れた。
土曜日の夜。中央線に乗り、最寄駅から徒歩八分ほどのところにある、スタイリッシュなデザインをした劇場へと向かった。物販でペンライトやメンバー全員でデザインしたというゆるキャラのキーホルダーなどを買った後、遥と合流してファミレスで夕飯とともに舞台や「No⇆CK」について語らってから、ライブ会場に向かった。
遥とあずさの席は離れていたからスタッフにチケットを切ってもらったところで別れたが、その際に。
「百目鬼くん、うちわ持ってきた? お互い推しに応援の気持ちをめいっぱい届けようね」
朗らかにそう言われたが、しかし二階の前方席についたあずさはリュックからうちわを出すことはできなかった。
せっかく誘ってもらって、一緒に作ってもらったのに申し訳ないとは思う。
可能性はとてつもなく低いとしても、その人の名前を書いた、万一にも目を引くかもしれないものを持ちたくなかった。一咲に自分を見て欲しくなかった。今日は目を開かないように気を付けよう、と決意はしているけれど、それを貫ける自信もなかったから。
「二階席だし客降り来ないよね」
「近くでにゃんちゃん見たかったなぁ」
「にゃんちゃんファンサの鬼だもんね」「この間でこピースしてくれてめっちゃかわいかった!」と隣席の女性二人が楽しげに話していた。
客降り、という単語は知らなかったが、そういえば配信で見た舞台や借りたライブの映像でキャストが客席に降りてるものがあった。そのことだろうか。彼女たちの話通りならば一咲がかずさを捉える確率はよりいっそう低くなった。
ほっと息を吐くと、客席の明かりが落ちた。
一階席の客はそれを合図にしたように立ち上がる。二階席は着席したままだったが、あたりの人たちは応援グッズの他に双眼鏡を構えだす。
舞台のときとは少し違う雰囲気。あずさは両手を胸に当てながらステージを見つめていると、一番最新のハイテンポな楽曲とともに四人が登場し、ライブがはじまった——。
遥の推しである、真面目で頑張り屋の頼れるリーダー——冠木有馬。
猫又の半妖故の猫耳が愛らしい元気で明るい末っ子——猫間晶太。
色気と眠気がたっぷりのおっとりとしたお兄さん——夢川泰良。
全員、とてもきらきらとしていて、かっこいい。だが、やはり、あずさの目はどうしようもなくその人に吸い寄せられる。
センターパートの金髪に、青みがかった綺麗な瞳。すらりと高い背に均整の取れた肉体にストリート系の衣装がとても似合っている。いや、彼ならば何を着ても似合うのだろう。
ステージでは燦然、素は天然、ユニットのダンス隊長——伊原一咲。
それからも一咲を調べ、ユニットの存在を知ってから何度も聴いたユニット曲やそれぞれのソロ曲が披露される。ロック、バラード、ラップ……多種多様な楽曲を四人が歌って踊って、客席に眩い光を届けてくれる。
合間合間で入るトークやバラエティコーナーでは、場内は笑いに包まれた。
そうしているうちに、あっという間にライブは終盤を迎える。体感はまだ数分、実際はいくつもの曲目演目を経たのだから当然。
舞台を見ているときも、似たようなことを感じる。浦島太郎ってこんな気分なのだろうか。いや、少し違うだろうか。
「——最後の曲、行くぞ!」
MCを経て、ユニットリーダーである有馬が高らかに宣言し、アップテンポの曲が流れ出す。「No⇆CK」が最初にリリースした楽曲で、ライブ映像ではサビ部分で分かりやすい振り付けを客が真似たり、コールアンドレスポスをしたりととても楽しそうだった。
あずさは声を出す勇気は持てなかったが、胸元で勝手でペンライトを振りつつ不恰好に振りを真似た。
と、二番に入ったところでステージ上からメンバーが一階の客席に降りていく。
ファンは喜びいっぱいに手やうちわ、ペンライトを振る。メンバーは歌いながらもそれに応える。
上から見るその光景はなんだか微笑ましかった。遥は一階席だと言っていたから、あの中のどこかで楽しんでいるだろう。
「……ね、一階に一咲とにゃんちゃんいなくない?」
「でも声は聴こえるよ?」
隣席の客が囁き合って、すぐだった。
「にゃんちゃんだ!」
後方の席の誰かがあげた声に、あずさはつられて振り向く。いつの間にかドアが開かれていて、そこにはファンからは「にゃんちゃん」の愛称で親しまれる明るく元気な最年少メンバー、猫間晶太がいた。彼は猫又の半妖らしく、癖っ毛の茶髪のあわいから猫らしい三角形の耳が生えている。
そしてその後ろから——。
「え、一咲もいる!」
一咲と晶太はそれぞれ上下に分かれ、二階席の外側の階段を歌いながら降りていく。
そのまま最前席の前の空間まで下りてきた二人は中央階段のところで合流した。
一咲の登場から激しく感じていた動揺は頂点に達する——あずさの座席は、二階二列目、中央階段に面した席だった。
高低があまりない分最前列で舞台を観たときよりも近い距離に一咲がいる状態で、サビに突入する。ファンは先よりも歓喜いっぱいにコールアンドレスポンスに応えていく。
あずさは声は当然出せないままに、胸元で振りをすることすらできなかった。
一咲に、自分を見られたくない。けれど、あずさは一咲を見たい。だから、目は逸らせない。そして、間近にいるのにだからこそ、もっとよく見たいと全身の目がうずうずと疼く。
(ここで開いたら、さすがに、気づかれる)
しかし興奮は理性を飛び越えていく。両頬の目が堪えきれずに開いていく。
だって、かっこいい。
ファンの傍に来てくれて、狭い空間を最大限に活用して歌って踊って光を届けてくれている、その人が、どうしようもなくかっこよくて、尊くて。
応援していることを伝えたくてたまらなくなる。こんな自分にに応援されたってとも思うけれど、それでも。一方通行でもいい。気持ち悪いと思われても、いいから。ただあなたに出会えてうれしいということを伝えたいと願ってしまった。
声を出す勇気は相変わらずなくて、けれど、あずさのバッグの中にはうちわがあった。黒いうちわに彼のメンバカラーである白のカットシールで「一咲さん」と記したうちわ。遥に協力してもらったものの、不器用な自分らしい不格好さが滲む仕上がりになってしまったそれを、震える手で取りだす。柄の部分をきゅっと両手で握り込んで持って、一咲を見つめた。ら。
青みがかった瞳が、こちらを見たような。目が合ったような、気がした。
ひゅっと息を呑むあずさに、その人はそっと瞳を細めて微笑む。
サビが、終わる。
Cメロに向かっていく間奏に入って先に晶太が、そのあとに続いて一咲が、真ん中の階段を上りだす。その二段目に足をかけたとき。一咲がこちらの方を向いた。そしてあずさが持つうちわを指さした、気がした。
「ありがとう」
あたりに歓喜の悲鳴が湧き起こる。あずさはひたすら呆然としていた。いつの間にか曲が終わっていて、客席からアンコールが響き出したところでようやくわずかに意識がよみがえる。
(し……)
心臓が、止まらない。
止まってしまう方が大変だということにも気づかないまま、しばらく、あずさは胸を激しく高鳴らせていた。




