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百目鬼くんの推しごと  作者: 鈍野世海
8章・百目鬼くんと遠征

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23/25

19話

(——どうしよう)

 せっかく買った夜食は胸のあたりが妙にいっぱいで食べられなかった。ベッドに横たわっても、微妙な睡眠をとったせいか、それともハムスターの滑車の如くぐるぐる回り続ける思考のせいか、なかなか寝付くことが出来ない。

 浅瀬をちゃぷちゃぷ行き来するような睡眠の末、目覚まし通りに起床した。ホテルの朝食は美味しかった。部屋に戻ってから生存報告を兼ねて父と遥に朝食の写真ととともに連絡を入れれば、父からは自身も映すようにと訴えられ(スルーした)、遥かからは「ヘヴデヴ」のトーマがぐっと親指を立てたスタンプが届いた。しっかりと眠れなかったわりには体調はずいぶんよかったけれど、それ故にか、その間もあずさの頭の中にはずっと、昨夜の一咲からの誘いがあった。

「会えたら、嬉しい……」

 昨夜の彼の言葉をなぞるたびに、あずさはどうしようもない気持ちになった。あたたかいような、苦しいような、頭がぐわんぐわんとするような。

 一咲と友達になれたら、と何度も考えたが一度も想像はつかない。けれど、一咲からの申し出に答えたいという気持ちはあった。誰かに親しくなりたいと思ってもらえるのは、嬉しい。しかしそれに答えるにはあずさは、一咲を推している、という事実をどうにかしなくてはいけない。

 一咲に推していることを打ち明けるのは……やはり、できれば、避けたい。あの疑惑の上映会後もどうにか続いているカフェでの日常を壊してしまうことになる。

 ならば、一咲を推すのをやめる——。

「絶対、無理」

 そもそも、やめるやめないを決められる感情ではない。爆発的に生まれた一咲への焦がれは、生涯あずさの中から消えることはない確信があった。

 じゃあ、一咲からの申し出を断るしかないのだろうか。

(……断るなら断るで連絡を入れたいけど)

 物覚えは別段いい方ではないのだが、それが一咲の声であったからか、彼が二度唱えてくれた電話番号はあずさの頭に刻み込まれていた。けど、それを自身のスマホに打ち込むのはなんだか憚られる。

 どの方向にも踏ん切りがつけられないまま時間は経過していき、いつの間にか午後になっていた。会場近くのホテルにいるから余裕はあるもののそれでも少し落ち着かなくて、あずさは気分転換と昼食を兼ねて外に出ることにした。

 青々とした空に太陽が燦燦と照っている。

(大阪の夏は、東京の夏よりも少し暑いかも)

 暑さ対策の帽子をいっそう目深にかぶりつつ、ホテル徒歩五分ほどのところにあるらしいファミレスを目指して歩いていると、前方をかわいらしいフリルのついた日傘をさした黒髪ツインテールに、尖った耳を持った女子が歩いていた。

脳裏に過るのは、天乃だ。応援団を通して仲良くなった……とは言えないが、それでも睨まれることはなくなったし、何度か一咲の舞台に関する話もした。

 そんなことを考えながらついその背を見つめてしまい、視線を感じたからかふいに彼女がこちらを振り向いた。

「あ」と、あずさが声を零すと、「げ」と、声は聞こえずとも天乃がそう言っていそうな顔をしたのが見えた。本人だったとは。

 天乃が壁際に寄って足を止めたのを見て、あずさもそちらに寄り、ぺこりと頭を下げる。

「こんにちは、天乃先輩。えっと、先輩も「ギャラスタ」を観にこられたんですか?」

「それ以外でわざわざこんな真夏日に大阪にこない。夏の日差しも遠出も好きじゃないし」

「そ、そうですか」

「先輩もってことはあんたも大千秋楽観に来たの。相変わらずいいチケ運ね」

 それはお互いさまではと思いつつ、あずさは「はい」と頷いた。

「近くに泊まっていたんですが、落ち着かなくて……ファミレスでお昼でも食べつつ、開場まで時間を潰そうかなと思って」

「ふぅん」

 しばしあずさを見つめた天乃は、厚底の靴をかつんと鳴らして歩き出す。

「行くわよ」

「え、行くって」

「昼、食べるんでしょ。あたしもこの近くのカフェで時間潰す予定だったから。付き合いなさいよ」

 天乃に連れて行かれたのは、なんともファンシーな雰囲気をしたカフェだった。

 ゴシックな雰囲気のカフェだった。深紅をベースにした壁に、アンティーク調の什器。天井にはシャンデリアが吊るされ、淡い光を落としている。初めて訪れるタイプのカフェに、あずさはついきょろきょろとあたりを見回してしまう。

 と、頭に犬の耳を生やした店員がメニュー表を持ってきた。だが、それを見るよりも先に天乃は「オムライスランチ、デミグラスソースとチキンライスのを、ふたつ」と注文した。

「飲み物は、あたしはジンジャーエール。百目鬼くんは」

「え、あ、えっと、アイスコーヒーでおねがいします」

「かしこまりました」

 にっこりと微笑んだ店員が下がる。

「ここはオムライスランチが一番おいしいから」

「来たことあるんですか?」

「それなりに。一咲くんの舞台はひとつでも多く観たいし。あんたは遠征はじめて?」

「は、はい」

「今日はあの人と一緒じゃないんだ」

「あの人……遥さんですか?」

「名前は知らないわよ。ああ、でもなんか、そんな風に呼んでた気がする。ほら、上映会の時の」

「遥さん、この日は毎年家族の集まりがある日らしくて、帰省するらしくて。実家で配信を観ると言ってました」

「ふぅん。結局あの人って、あんたのなんなの?」

「友達、です」

「社会人っぽい女と、男子高校生が? どうやったら出会うのよ」

「ええと……いろいろな偶然で……?」

 話せば長くなるし、軽率に他人に話すべき内容でもないとも思った。天乃も特別興味があったわけではないのか、「まぁ、別にいいけど」と運ばれてきたジンジャーエールに口をつけた。

「じゃあ、初めてのひとり遠征で疲れてたってとこ? それとも夏バテ? ひ弱そうだもんね」

「え」

「さっき、あんたと目が合ったとき。これから最高の作品を観るやつの顔をしてなかったから」

「そう、ですか……?」

 自覚はなかったが、たしかに考え事はずっとしていた。

「……もしかして、それでお昼に誘ってくださったんですか?」

「は? 違うけど。ここ、半妖に特化したキャンペーンを定期的にやってて、今は目に関する半妖割やってんの」

「そ、そんなニッチなキャンペーンが……?」

「じゃなかったらあんたとランチなんてしないわよ」

「そうですよね」

「……あっさりと納得されるのも、癪なんだけど」

「あんたと話してると調子が狂う」と天乃はわずかに唇を尖らせた。

「目のこと言われても、ちっとも気にしないのね。それが原因なんでしょ。あんたがいじめられてたの」

「……一因ではあったとは思います。今でも体の目は出来る限り人前で開かないようにしたいと思っています」

「劇場ではかっぴらいてるのに」

「う……伊原さんの引力には勝てなくて。それに、劇場にいる方は、大抵舞台に集中されているのであまり気にされることがなくて気が抜けちゃってるのもあると思います……」

「悪かったわね、集中してなくて」

「そ、そういうつもりでは」

「冗談よ。一咲くんがあんたにあんなファンサさえしてなかったら、目に入ってなかったし」

(あんなファンサ……)

 たしかに凄まじい威力のファンサではあった、と思いつつ、あずさはアイスコーヒーで乾いた舌を潤す。

「……幼い頃のことも、少し前まで周囲と上手くやれなかったことも。結局のところは、僕が弱かったせいだと思います。僕がもっと、周囲とコミュニケーションをとろう、受け入れてもらおうって頑張れていなかったから」

「どこまでもいい子ちゃんね。まぁ、たしかに、半妖であろうがなかろうが、あんたのおどおどを見てると腹は立つ」

「す、すみません……」

「謝罪は簡単に口にしたら価値が下がる」

「う……す……はっ!?」

「あ?」

「「スタッシュ」三章で青年を助けたドーラのセリフですね……!?」

「……妙に肝が据わってるとこも、余計にむかつく」

 天乃は深々とため息を吐いてから、わずかに首を傾げた。

「……それで。結局、疲労なの。夏バテなの。それとも、なんかあったわけ」

 あずさは答えに窮した。

 天乃は一咲に同担拒否を自称するほど一咲に焦がれており、特にあずさと一咲とのかかわりを素直に話すわけにはいかない相手だ。けれど、おそらく、天乃は今、あずさを慮ってくれている。それを無下にするのも違うように感じて、しばし悩んでから、あずさは口を開いた。

「友達の話なんですが……」

「その導入は大抵自分の話でしょ。無駄に回りくどいことしないでくれる?」

 あっさりと一蹴された。

「す……う……ええっと……僕の、話ではあるんですが。その……昨夜、アルバイト先によくいらっしゃるお客さんに偶然、会いまして」

「あんた、その感じで接客とかしてんだ」

「一応、はい……それで、その人は、とても素敵ないい人で……たぶん、おそらく、きっと、僕と、親しくなりたいと思ってくださっていて。昨夜会ったときも……その、今日の夜、一緒に夕飯を食べないか誘ってくださって。でも、その……いろいろあって、誘いを受けるのが難しい状況で」

「色々ってなによ」

「……僕は、その人に隠し事をしている状況、で……でも、それを打ち明ける勇気もなければ、それを抱いたまま親しくはなれないというか、というか」

「なに、好きなの?」

「す……」

「好きなのね」

 推しているのだからその通りではあるが、そう表現されるとなんとも面映ゆい気持ちになる。

「別に、好意を持ったまま友達になればいいじゃない」

「それは……騙していることになりませんか……向こうはただ親しくなりたいと思ってくれているのに、僕は……純粋な友達になれません……」

「そうね」

 しれっと、天乃は首肯した。

「でも、友達になろうなるまいが、あんたは結局後ろめたさを抱えることになるんじゃないの。友達なれば、好意を隠し持っているうしろめたさを、ならなければ親しみを拒んでしまった後ろめたさを」

 たしかに、そうだと思った。どちらを選んでも一咲に対して後ろめたさを覚えるし、きっと後悔もする。傷つけるし傷つくから、あずさは踏ん切りがつけられずにいた。

「デミグラスソースとチキンライスのオムライスが食べたい」

「へ」

「けど、この店ではデミグラスソースを選んだら、ごはんは必然的にバターライスになる。チキンライスを食べたければ別のソースを選ばなくちゃいけない。どっちを重視し選択するかは人による。でしょ」

「そう、ですね……?」

「まぁ、私は店に聞くけど。メニュー表ではこうなってるけど、デミグラスソースとチキンライスを組み合わせられないのって」

「聞かれましたねぇ。はい、オムライスランチです」

 犬耳の店員がデミグラスソースのオムライスをあずさと天乃の前に置き、にこりと会釈して去っていく。

 天乃は両手をぱちんと合わせると、スプーンを手に取り、さっそくオムライスを口に運んだ。あずさも「いただきます」と唱え、一口食べる。デミグラスソースと、チキンライスが組み合わさったオムライスを食べるのは初めてだった。ちょっぴり味が濃いけれど、それが、美味しかった。

「どっちかしか選べないなら、どっちかを選ぶか、もしくは折り合いをつけるしかない。そしてそのどれが一番いい選択だったのかなんて、選んでみないと分かんない。ま、ここに件の妖怪か半妖でもいれば別かもしれないけど」

「件……未来予知ができる半人半牛の妖怪、でしたっけ」

「そ。知り合いにいる?」

「い、いないです」

「残念」

 大仰に肩を竦めた天乃は紙ナプキンで口元を拭った。

「あたしたちは妖怪の血を引いているけれど、妖怪じゃない。健康無事に生きたところで普通の人間と同じくせいぜい百年くらいで死ぬ。要するに、あんたがどんな選択をしたところで、どうせいずれ死ぬ」

「そ、そんな身も蓋もない」

「でも事実よ。そんな短い人生で少しでも心残りなく生きるためには、なりたい自分になったり理想の環境を作り出すには、意志を持って行動するしかないんじゃない」

 そうして瞳を細めた彼女は、わずかに微笑んだ。

「あんたたちのおかげさまで、あたしはそう思った」



 開場の少し前。物販でランダムブロマイドを買い足すという天乃と別れたあずさは、電話を掛けた。

 相手はアルバイト先のオーナー、色。2コールで応答してくれた彼は、やさしい声で「どうしたの」と尋ねてくれる。

「——沢座さん、あの……突然変なことを聞いて申し訳ないのですが……伊原さんの連絡先って知っていますか」

「知ってるけど。どうしたの」

「あの、伝えてほしいことが合って——」

 電話を切った頃に、ちょうど開場の呼びかけが入り、あずさは劇場に入った。

 あずさが大阪にいることは一咲に知られてしまっているし、席は最前。変装をし用かとも悩んだが、あずさは素のままで行くことに決めた。

 一咲に教えてもらった電話番号を使用しないための五分五分の賭けはどうにか勝ち、色に伝言は頼めた。大阪での思いがけない出会いによって、あずさなりに色々と考えて、一咲とどう向き合うか、心を決めた。

 不安はある。怯えもある。でも、今は——。

 やがて、迎えた十八時。「ギャラスタ」、大千秋楽公演の幕が上がる。

 そして舞台に一咲が扮するドーラが現れると、どうしたって胸が高鳴って。やっぱり、全身の目が疼いて、いっぱいに開いて、こらして、見つめた。

 ずっと楽しみにしていた舞台を、推しを、あずさは全身全霊で堪能した。

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