16話
からん、ころん。
先日から「cafe ZASHIKI」の出入り口にドアベルが設置された。常連さんからの旅行土産で、花の細工と鈴が組み合わさったそれを色はいたく気に入っていた。
あずさもとても素敵なドアベルだと思うのが、それが一瞬でもちりんと音を立てると、心臓がどきりと鳴るのはこの店の常連に推しがいるから。
多忙であるはずの一咲は、それでも二週に一度ほどの頻度でこのカフェにやってきてはランチやスイーツを楽しんでいる。
アルバイト先のカフェで起きたとんでもないこの偶然にあずさは退職まで考えたが、店員としてのあずさに親しみを寄せようとしてくれている彼に決心した。自分がいつかこの店をやめなくてはいけないその時まで決してファンであることは明かさず接し、彼にとっての安寧の場を提供し続けようと——にもかかわらず。先日の上映会で通路席というキャストを間近で見ることが出来る、また向こうからも視認しやすい素晴らしい席を引き当てたあずさは、アルバイトのときと大して変わらない身なりで臨んでしまった。迂闊だった。そして見事に一咲と目が合ってしまった。
あれ以来あずさは一咲に〝行きつけのカフェの店員が自分のファンだった〟ことを知られてしまったのではないかという疑惑を抱き、ひやひやしていて……そして、ついにその答え合わせのときがきた。
体育祭が翌週に迫った週末のランチタイムに、一咲はやってきた。あの上映会後初の来訪。あずさは入口で出迎えたときから、緊張がマックスで血の気も失せていた。いつどこで指摘されるか、それとも指摘はなくとも気まずい態度を取られるか。どきどきとしていたのに、一咲はいつも通りと変わらない態度だった。
「ご注文を繰り返します。ランチBセットの大盛り、ドリンクは食前にカフェラテで、お間違いないでしょうか」
「はい……あ、百目鬼くん」
「は、はい、なんでしょう」
「百目鬼くんはお昼まだ食べてない?」
「え、あ、はい。まだ、です」
「色さん。百目鬼くんと一緒にランチしてもいいですか」
「えっ」
「いいよ。そろそろ休憩に入ってもらおうと思っていたから」
どこかでなにかしらのアクションがあるかとは思ったが——もしかせずとも、向かい合ってランチをしながら、あの日のことを論われるのか。
処刑台に上がるような気持ちで、あずさもランチセットを注文し、二人分のドリンクを用意してから促されるままに彼の向かいに腰を下ろす。
「百目鬼くん」
「はい……」
「の高校は、そろそろ体育祭の時期?」
「……え?」
「ああ、いや、俺が通っていた高校もこれくらいの時期に体育祭やっていたなぁと思って」
「あ、はい。うちの高校も、もうすぐ体育祭です」
「百目鬼くんは、なにやるの」
「えっと、その、応援団を」
「……そっかぁ。いいな」
応援団に憧れでもあるのだろうか。そう聞こうと思ったが、十五歳の頃には芸能人としてデビューし活動していた一咲は、そもそも体育祭に出たことがないのではないだろうか。前に読んだインタビューで修学旅行にはいけなかったと話していたし……そう思うと、少し切ない気持ちになる。
「俺も、その学校に入りたい」
(やっぱり高校生活に未練が——)
「そうしたら、百目鬼くんに応援してもらえるんでしょう?」
「……え?」
あずさはぱちぱちと瞬いた。その言葉を率直に受け取るとすれば——あずさに応援をしてもらうために、あずさの高校に入りたいと言っているように聞こえるが気のせいか。いやいや、そんなわけがあるか。大体、そんなことをせずともあずさは常に一咲のことを応援して——。
(もしかして、ゆさぶられている……!?)
応援というワードをもとに、あずさが一咲を応援しているファンである可能性を確かめようとしているのか。
しかし直球で尋ねてくるのではなくこうして揺さぶってくるあたり、まだ映画館で目があったファンとカフェで働いている店員が同一人物だという確信を彼は抱いていないのではないか。ならば、どうにか切り抜け、一咲の安寧を保つことが出来るだろうか。
……本当は、守りたいのは一咲の安寧だけじゃない。
このカフェで働くのが好きで。そしてこの頃は、一咲と少しずつ他愛ないことを話すようにもなって。それも、楽しかった。もっとこの時間が続いてほしいと思っていた。
「僕は」
罪悪感がせりあがる。誤魔化しこの言葉を口にしたかったのに、すぐに出てこない。
「僕は……」
「百目鬼くん、どうしたの。……体育祭、楽しみじゃない?」
「っ、それは。とても、楽しみ、です。大変なことも、たくさんあったけれど、本当に、すごいものが、できそうで……」
以前の会議で攻撃的だった天乃が突然協力的になったり、応援団パフォーマンスの目指すクオリティがとても高くなったり、最初はネガティブな意見もちらほら上がったり、ぎくしゃくとした雰囲気になったりもした。
だが晶太がムードメーカーとなって場を明るくしたり団員たちを前向きに鼓舞してくれたり、早間がリーダーとしてめげずに皆を引っ張り続けてくれたおかげで、今では多くの団員が良いものを作ろうと一丸となって頑張れているように感じる。
犀川は半ば無理やりだったがそれでも素敵な脚本を仕上げてくれた。天乃は演出のリーダーとして厳しい意見を上げながらも周囲を少しでも傷つけないよう気を付けていた。各々の様々な思いがこもった作品を披露できる舞台が、あずさはとても楽しみだった。
「百目鬼くん、前にテイクアウト用のココアのカップに、「お疲れ様です」って書いて差し入れてくれたでしょ」
「あ、はい……」
「俺、あれですごい、元気出たんだ。百目鬼くんに応援してもらえてるって感じて嬉しかった。応援って、すごい力を持ってると俺は思う」
それから、そっと瞳を細めて、一咲は言う。
「誰かが誰かに頑張ってほしいって願えば、それは必ずその相手に届くと思ってる。そしてその相手も、応援してくれた誰かに答えたいって持っている以上の力が湧くことだってある。実際、百目鬼くんが応援してくれた翌日、俺すごい仕事頑張れたんだよ」
「え……」
「百目鬼くんはとっても応援上手みたい」
「そんなこと」
「あるよ。少なくとも、俺にとって百目鬼くんの応援は、とんでないバフになる」
「バフ」
「だから、そんな百目鬼くんから応援が貰える同じ高校の人たちが、羨ましい」
そう話す一咲からは、あずさの反応を探る様子は見られなかった。ただただ体育祭の話をして、ただただ……あずさのささやかな応援を、とても大切に思ってくれているようで、少し面映ゆくも、嬉しかった。
あの上映会で、一咲はあずさに気づいてなかったということだろうか。二度も目が合ったのは単なる偶然と、そう思っていいのだろうか。この時間を、まだ、続けてもいいのだろうか。
「……伊原さん」
「なぁに、百目鬼くん」
「ファイト、です」
「えっ」
「お、応援、です。あの……僕でよければ。いつでも、伊原さんを、応援します、から」
目をまあるくして、一咲は黙り込む。と、ちょうどそこに、二人分のランチセットを持った色がやってくる。
「バフを通り越して、こうかはばつぐんだ、って感じかな?」
「色さん……」
わずかに頬を染め恨めしそうに色を見る一咲に、きょとんと首を傾げるあずさ。色はくすくすと笑いながらふたりの前にグラタンの乗ったプレートを置いて去る。
「……百目鬼くん」
「はい」
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「なんで、応援してくれた百目鬼くんがお礼を言うの」
一咲は、おかしそうに笑う。
(誰かを応援したいと思う気持ちを、応援する勇気を与えてくれたのは、伊原さんだから)
彼にだけは話すことはできない答えをあずさは胸の中で唱えて、ただ、微笑みを返した。




