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百目鬼くんの推しごと  作者: 鈍野世海
7章・百目鬼くんと応援団

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19/25

15話

 好きなものを貶されると、腹立たしさが抑えられなくなる。そして、腹が立つと理性がちっともコントロールできなくなり、自分が思っている何倍もの悪意を持った言葉をぶつけてしまう。

 天邪鬼の血を継いだ半妖、天乃ののが幼い頃抱いてきた、厄介な性質だ。

(……上靴、ない)

 朝登校し、自分の靴箱を見たら、上靴がなくなっていた。はじめてのことではなかった。

 職員玄関のスリッパを借りて教室に向かえばクラスの女子数人が窓に集っているのが見えた。そして彼女たちは、天乃がちょうど教室に入ったタイミングで、手に持っていた天乃の上靴をそこから落とした。不運にも、三年一組の教室の真下には中庭の池があった。

 三階分離れた高さから落とされた上靴は、どぷんと大きな音を立てて、池の中に沈む。

 天乃はゆっくりとした足取りで窓辺に近づく。

 けらけらと笑う女子の声。何とも言えない視線を向け合う子たち。

「よくまだ学校に来られるよね」

「さすがにかわいそうじゃない?」

「でも、正直自業自得なところあるし」

「天邪鬼だからって、ねぇ? 性根がまともだったらさ……」

 ——分かってるよ、そんなこと。

 近くにいるはずなのに遠く聞こえる声に、思う。

 もうずいぶんと前からこの教室は他の場所よりもずっと褪せて感じられた。けれど、ここのところ嫌なことが重なっていて、天乃はもうだんだんすべてがどうでもよくなってきていた。

 ——自分が天邪鬼の半妖でなければもう少し、上手く生きられただろうに。

 幼い頃から、ずっとそう。自分の好きなものを貶されたら、思ったことを思った以上の悪意を持ってぶつけてしまう。そうしたら、いつの間にか天乃の方が圧倒的な悪役になる。天乃の好きを先に無暗に貶めたのは向こうだというのに。

 呼吸をするごとに、世の中が嫌いになっていった。そりゃあ、もともと口も良くなければ性格もいいとはいえないし、そこに悪意を乗算して攻撃してしまうのだから、最悪以外のなにものでもない。両親は天乃の性質を理解しどれだけひねくれた言葉をぶつけてしまったって愛してくれて、それはありがたかった。でも家族以外にも、天乃を慮り寄り添ってくれる人に出会ってみたかった。血と関係のない味方が、ひとりでも欲しいと望んでいた。

 しかし中学生になってもそんな友達に恵まれなかった天乃は、次第に周囲との交流を避けるようになっていった。一方で、二次元へと傾倒していった。いじわるな現実とは違う理想郷に惹かれ焦がれ、やがて天乃は2.5次元舞台に出会った。

 夜更かしするほどハマっていたアイドル育成ゲームが舞台化し、最初は半信半疑で観に行った。現実に落とし込まれた理想郷に圧倒された。そして、ライブシーンで客席に降りてきたその人は——天乃がゲームで推していたキャラクターに扮した伊原一咲は、すべての客に、天乃にさえ、平等に微笑みを向け、光を齎した。はじめて、現実の存在が愛おしいと思えた。

 そしてそこからそう遠くないうちに二度目が訪れた。

 高校一年、体調不良と嘘を吐いて競技の出場をサボった体育祭。白黒で描かれた漫画の一コマを読むように校舎の窓からぼんやりと眺めているときに、応援団パフォーマンスを見て——とても感動した。まるで舞台のようだと思ったのだ。

 一咲の舞台以外で興奮したのがはじめてで、目についた近くの席でひとりで本を読んでいる女子に、たまらず声を掛けてしまった。ねぇ、観て、すごい。観ないと絶対後悔する。とか、そんなこと。

 それがきっかけで、天乃はその女子とつるむことになる。

 正直言って、趣味も、性格も合わなかった。けれど偶然声を掛けたその子は、天乃がどれだけとげとげしたことを言っても離れていかなかった。SNSで推しを貶す言葉を見てしまって悪意たっぷりの言葉を吐いたって、窘められはしたものの「天乃は本当にその人が好きなんだな」と受け入れてくれた。

 あの頃は楽しかった。一咲がいて、友達がいて。そう、あの頃この世界は、とっても理想的だった。

 しかし、理想というのはほんの少しの歪みで、あっけなく砕いていく。一咲も、友達も、応援団も、なにもかも。もう、粉々になってしまった。

 ——なんか、もう、いいや。

 もう、疲れた。上手く生きられない自分も、理想通りのまま回ってくれない世界も。

 ため息を吐いた天乃は、開かれたままの窓枠に足をかけようとした。

「天乃!」

 しかし、教室に飛び込んできた早間のせいで、天乃の襟首は掴まれる。

「離せよ」

「天乃」

「離せってば」

「天乃、来い」

 ライオンだか虎だかを食らう豹の妖怪の血を引いているらしい彼女に力で勝てるわけがなく、天乃はそのまま教室から連行された。

 連れて行かれた先は、保健室だった。養護教諭の姿はなかったが、早間は躊躇なく天乃を椅子に座らせると保健室を出て行く。

 うっすらと漂う薬や湿布を彷彿させるにおい。換気のためにか半分をほど開けられている窓から吹き込む風に、白いカーテンが揺らめいている。

 ぼんやりしている間に早間は濡れた天乃の上靴を回収してきた。

「一応拾ってきたが。もう履きたくないだろう」

「……」

「教師に話しておく。あいつらに弁償させよう」

「別に、もういい。もう、学校来ないし」

 早間がため息を吐く。予鈴が鳴る。それでも彼女は保健室を出て行かない。腹が少し、立つ。

「なんでいまさらあたしに絡むの。応援団で一緒になったから? それだけで? 二年でクラスが離れたときは……最初しか、会いに来てくれなかったくせに」

 ぐっしょり濡れた靴の入った袋を床に置き、早間が天乃の向かいの席に腰を下ろす。

「君は新しい友達と舞台の話をしていた。理解できない私よりも、そっちの方が楽しいだろうと思ったんだ」

「っ、私は分かってくれなくても、凛々子(りりこ)といたときの方が!」

 座っていた椅子をがたんと鳴らし腰を浮かせ正面を向けば、困ったような表情の早間がいる。

「でも君から私に会いに来てくれたことは、一度もなかった」

「そ、れは……」

 下唇を噛みしめた天乃は椅子に座り直し俯く。

「……だって。あの頃は、あんたの言う通り、楽しくて。でも、あんただって知ってるでしょ。あたしとその友達がどうなったか」

 早間は沈黙したが、それが答えだ。当然だ。あのことは、学年中、もしかしたら学校中で噂になっていた。

「趣味の話をしてたら突然ブチギレたクソ女、それに嫌がらせをするようになったクソ女って」

「……」

「あたしはあいつに先に言ってた。あたしは一咲くんが大好きだって。なのに、あいつはあたしの目の前で言ったのよ。一咲って顔()いいよねって。誉め言葉のつもりっぽい声音で。馬鹿でしょ。舞台が好きなくせに役者見る目なさすぎなんじゃないの。一咲くんはすべてがいいのに! 百歩譲って好みの違いによる言葉だったとしても、それをあたしの前で言う方が頭おかしいでしょ。なのに、また私が悪者になった」

 二年のクラス替えで、天乃は唯一の友達と……早間とクラスが離れた。けれど、早間とまともにコミュニケーションが取れていたことが天乃の勇気となったこと、そして自己紹介で舞台が好きと語った女子がいたことから、天乃は新しい友達を作った。

 現実で、同じクラスの人と、舞台の話ができるのは嬉しかったし楽しかった。だから……教室の前に早間が来ていることに気づきながらも、天乃は舞台の話を続け無視してしまったこともあった。

 ——今は好きなことが話したい気分だし。凛々子が相手だと、私が一方的に話すことになっちゃって、ちょっと……虚しいときあるし。どうせ明日も来てくれるから明日は、凛々子と話せばいいや。

 そう思っていたら、いつからか早間は来なくなった。一咲を貶されたことをきっかけに友達は失い、クラスのはみだし者になって。天乃はひとりぼっちになっていた。

「……ねぇ、愉快だったでしょ。あたしがそんなことになってるって聞いたとき。あんたを疎かにした、当然の報いだって」

「そんなこと思っていない」

「思ったって言ってよ! そう言ってくれた方が……あたしは」

 人生ではじめて自分を受け入れてくれた友達の前で胡坐をかいた。毎日健気に会いに来てくれることが嬉しくて、心地よくて、多少適当に扱っても彼女なら許してくれるだろうと愚かにも胡坐をかいていた。

 天乃が自分から早間に会いに行こうと思ったのは、ひとりぼっちになってから。けれど、自分が彼女を疎かにしたせいで見放されたことは分かっていたから、できるはずもなかった。だから、いっそ、責めてほしかった。

「一年のときに見た、応援団パフォーマンス」

 ふいに、ぽつりと。早間が言った。

「君はあれにたいそう感動していたな。まるで、ひとつの舞台のようだったと」

「なに、いきなり」

「舞台に君ほどの関心を抱くことこそなかったが、私もあのパフォーマンスには感動した。だから、去年のパフォーマンスには落胆した。だから、今年、応援団長に立候補をした」

「改革でも起こそうって?」

「そうだ。君とともに見たあの光景が好きだったから。卒業する前に、もう一度、見たかったんだ」

「……」

「だから、集まりに君の顔を見たときは、君も、同じことを思ってくれているのだと思って。また……君と話せると思って……嬉しかった」

 いつもは仏頂面なくせに、こんな時にだけ早間はわずかに微笑む。

 天乃はスカートの上に置いていた手をぎゅうっと握る。口腔に苦いものが滲み溢れていた。

 と、保健室のドアがノックされた。「別の教室を使うべきだったか」と少しばつが悪そうな表情を浮かべた早間がドアを開けると、そこには猫間、百目鬼、犀川がいた。

「君たち、どうしたんだ」

「あずさくんたちに会いに行ったら、あずさくんが天乃先輩と話したいことがあるって言うからさ。俺ちょーど早間先輩が天乃先輩と保健室に行くとこ見かけたから、一緒にお見舞いに来たってわけ」

「す、すみません。体調が悪いときに。その、スポーツドリンクを買ってきたのでよろしければ……話は、また今度で大丈夫ですので……」

 おそらくそこら辺の自販機で買っただろうペットボトル二本を百目鬼が早間に差し出す。早間の背越しにそれを見ていた天乃はわずかに胃を少しむかつかせながら、足を組み、百目鬼を見据えた。

「昨日弁慶の泣き所を蹴ってきた相手によく差し入れなんてできるわね」

「昨日? あずさくんと先輩会ったの?」

 首を傾げた猫間に百目鬼が「「ヘヴステ」のイベントがあって、そこで偶然……」となんの意味もない身振り手振りをつけて説明する。

「話したいことって、そのときのことでしょ。別に、体調が悪いわけじゃないし。言いたいことがあるなら、言えば?」

 ぱちりと瞬いた百目鬼は、わずかに眉尻を下げる。胸元に手を寄せ、何度か視線を彷徨わせながらも、やがてまっすぐに、天乃を見た。

「天乃先輩。先輩が、僕を嫌っているのは、僕が、自分の容姿を利用して伊原さんにファンサを乞うた、と思っているからですか。それで、先輩は自分の大好きなものを僕に貶されたと思っているからですか」

「は? それ……まさか、凛々子?」

「すまない。以前、彼らが君に関する話をしていたから、口を挟んで君の性質を説明したんだ」

 早間が申し訳なさそうに眉を下げて言う。おそらく、天乃が知らないところでフォローを入れていたということだろう。いたたまれない気持ちになった天乃は彼女からすぐに目を逸らし、小さく舌打ちをした。

「……そうよ。あんたが狡猾な手を使ったせいで、誰にでも平等であるはずの一咲くんが、この短期間に二度も、同じ人にファンサをした」

「僕は、ファンサをもらうために体の目を開いたことは、ないです。それでも、目立つのは、目につくのは、事実……だと思います。それで、伊原さんが何度か僕に目を向けてくれてしまった可能性が、あることも……。だから、僕のせいで天乃先輩に嫌な思いをさせてしまって……ごめんなさい」

 百目鬼は頭を下げる。天乃の胸に立っていた薄暗い靄が濃くなる。

「謝るってことは、もうその体の目を開かないってこと? それとも現場に来ないでくれる?」

「目を開かないように、は、頑張りますが……現場に行かないのは、無理、です」

 顔を上げた百目鬼は、彼は言う。

「僕は、もう、伊原さんを知ってしまったから」

 それは、弱弱しいくせに、やけにはっきりとした声だった。痛いほどにまっすぐに澄んだ瞳だった。

「どうしても、生の伊原さんが観たいから。そして、観たら……すべてで、伊原さんを観たくなってしまって、また目を開いちゃうかもしれませんが……あっ、現場に行くときはテープで目を塞ぎます! そうしたら、行けるかもしれません!」

「いやでも伊原さんの引力を前にしたらぶち破ってしまうかも……」と百目鬼はぶつぶつと呟き、「ガムテで覆えば?」と猫間が気楽に言って「いや、剥がすとき痛いでしょ。つうか、テープ自体肌に良くないし」と犀川が呆れたように言う。

 そんな様子を見て、早間が少し困ったように、でもたまらずというように、小さく笑う。

「……ずるい」

 ぽたりと。目から涙が落ちてきて、頬を伝った。一度溢れると、二滴、三滴とどんどん涙が溢れて落ちてきて、鼻もぐずぐずになっていく。

「あ、先輩、あの、これ」

 真っ先にポケットティッシュを差し出してきたのは、百目鬼だった。

 ぐっと歯噛みし、舌打ちした天乃は、百目鬼の手からティッシュを二、三枚思いっきり引っ張り出す。

 ずず、ずずと何度か鼻をかんでから顔を上げて、百目鬼を見る。

 あいかわらず、子羊のようなおどおどとした雰囲気。目の妖怪の半妖のくせに目を隠そうとしている、少し長い前髪。

「……百目鬼くんって、いじめられてたでしょ」

「天乃、いきなりなにを」

「いじめられて、他人と関わるのをやめたこと、あるでしょ」

 天乃以外の、気づかわしげないくつもの視線が百目鬼に向く。けれど、この話題を振った瞬間から、百目鬼にはそれが見えなくなっていた。九割がたそうだろうと踏んでいたことが、確信に変わる。

「あたしもそうだったから分かる」

「え……」

「意外じゃないでしょ。幼い頃からこの性格だもん。周囲になじめる方が奇跡だって……でも、一咲くんはそんなあたしにも……誰にだって、平等に微笑みかけてくれた」

 やさしくて、かっこよくて、そのうえ私の好きをこの次元に持ってきてくれる、とっても素敵な存在。同担拒否するくらい大好きで、けれど、誰のことも好きになるわけがないって信じていた。

 でも、「No⇆CK」のライブで偶然観た、百目鬼にファンサをする一咲は、いつもとなんだか雰囲気が違って見えた。

 応援団で一緒になったことでそれが同じ学校の生徒と知り、つぶさに観察するようになった。

 子羊のようなおどおどとした雰囲気。目の妖怪の半妖のくせに目を隠そうとしている、少し長い前髪。見ていればなんとなく分かる。半妖という特性に悩まされ、苦しみ、似た境遇を味わってきたこと。

 それでいて彼は、天乃とはまるで違う現在にいた。他人に怯えながらも、他人と真摯に向き合おうとしている。ちっとも擦れていない善人。

 本当は、一目見た瞬間からなんとなく感じていた。そして二度目を見たら確信した——そもそも、あの上映会のはじまり。一咲に目を向ければ自然と視界に入ってしまった通路席の百目鬼は、体の目が開かないように堪えているようだった。それでも、一咲は、百目鬼を見た。

 一咲は、百目鬼がの容姿が目立つからファンサをしたわけじゃない。一咲は性別や形で誰かを特別視するような人じゃない。あれほど純粋な輝きを持った瞳でたっぷりの愛しさを向けられれば、きっと一咲じゃなくたって、目を惹かれる。

 妬ましかった。憎らしかった。悔しかった。羨ましかった。

「凛々子も、あんたも、どうしてそんなにまっすぐ生きていられるの」

 一度好きになったものに、こうでいてほしいこうであってほしいという理想や希望ばかりを投影してきた。縋って、依存してきた。逸脱すれば憤慨し、貶められたと感じれば攻撃した。そこから一歩も動かず、針だけを出して、〝あたしが好きになったときのそれ〟と〝それが好きなあたし〟を守ろうとしてきた。

「あたしだって、あんたらみたいになりたかったのに。好きなものに対して純粋に向き合って、大切にできる人になりたかったのに」

「なりたいなら、なればいいじゃん」

 猫間が、あっけらかんと言う。

「……は? 何言ってんの」

「俺、オーディション何十回も落ちてようやく芸能人になったんだけど」

「知ってるわよ。そんなの。一咲くんにしか興味ないけど「No⇆CK」の番組見てたら嫌でも耳に入ってくるし」

「ひどい言い分……まぁいいや、よくないけど。そんなわけで、なるために何度も何度も挑戦して頑張ったってわけ。だから、先輩もなりたいならなれるまで頑張ればいいじゃん」

「……猫間って、馬鹿だと思ってたけど本当に馬鹿なのね」

「んだとぉ!」

「職業と人間性じゃ訳が違うでしょ。人間性は一度凝り固まったら変わりようない」

「そんなことないと思いますよ」

 口を挟んだのは犀川だった。

「それこそ百目鬼は入学したての頃、声かけ難い雰囲気でした。でも今は俺や猫間先輩とつるんでるし、結構いろんなやつとも話せるようになった。それは、百目鬼がいい方向に変わったからだと思います」

「犀川くん……」

 百目鬼に感激したように見つめられた犀川は、面映ゆそうに「本当のことだろ」という。それに百目鬼ははにかむと、天乃を見た。

「僕は……僕を知っている人がいない場所で改めて友達作りをしたい、と思って家から距離のあるこの高校に入ったんです。でも、結局、誰とも上手く話せなくって。そんな中で、ちょっとした事件……があって。そこで行動を起こせたことが、今に繋がって、伊原さんに巡り合うきっかけにもなりました。そして伊原さんに出会ってからは、たくさん元気とか、勇気とかもらって。頑張りたいことが増えて。どんどん、世界が広がりました。僕はずっと僕が嫌いだったけれど。今は、そこまで嫌いじゃありません」

 長い前髪の向こうで、澄んだ光を持つ瞳がそっと細む。

「こんな僕でも少し変われたんだから、きっと、天乃先輩も、なりたい自分に慣れると思います」

 少し。ほんの少しだけ、似ていると思った。はじめて観に行った舞台で、天乃を照らしてくれた、一咲の光に。

「……傲慢」

「へっ」

「あたしが羨ましいって言ってるあんたをあんたが〝こんな〟とか下げるなんて」

「ご、ごめんなさい……?」

「簡単に謝るな。もっとむかつく」

 また「ご」といいかけた百目鬼は慌てて自分の口を塞ぐ。少なくとも天乃は生涯、天然でそんな素振りはできやしないと思う。

「……あたしは、一咲くんのする行動を信じるし、したいことを応援する。だから、あんたは目を開くのも現場に来るのも勝手にすればいい」

「いいんですか」

「そもそもあたしは運営でもなんでもないんだから、あんたを規制する権利なんてないし。それから……凛々子。本気で、二年前と同じくらいすごい応援団パフォーマンスを作るつもり?」

「本気だ」

「それで温いものになったら、あたし、体育祭めちゃくちゃにしちゃうかも」

「させないためにがんばる。だが、それには……やはり二年前の感動を知っている君が手を貸してくれたら、心強いんだが」

 自分だったらこの期に及んでそんなことを言はしない、まっすぐに手を差し伸べられはしない、天乃は思う。天乃は、百目鬼にも、凛々子にも、なれやしない。けれど。

「あたしはこの学校のやつが好きじゃないし、応援するつもりはない」

「天乃」

「でも、応援したい人はいる。心がそっちに向いていてもいいなら……やる」

「! ああ、誰かを応援したいという気持ちさえあれば、その心の向かう先はどこだっていいと私は思う」

「あっそ……じゃあ、容赦しないから」

 勇気を出して、差し伸べられた手を掴めば、早間はほっと微笑んでくれた。久々に見たその笑顔は、ここ二年の間で最も天乃の心を温かく満たしてくれた。

「なるほどなぁ。天乃先輩が去年の応援団パフォーマンスのこと扱き下ろしてのは、二年前のがよすぎて、貶されたって思ってたからなのか。そのときの映像ってないの」

「あいにく、体育祭はそういうのは記録していないな」

「記憶には残っているけれど、敵うわけがないんだからなぞるのは却下ね」

「たしかにせっかくやるなら俺らだからできる最強最高なオリジナルがいいよなぁ。やっぱ、学ラン着て、ドラマチックかつファンタジックに歌って踊って応援する?」

「端々が馬鹿……」

「クオリティが担保できるのなら、それくらい華やかにできたらいいが、脚本や演出は……いや」

 ふいに顎に手を当てた早間が、天乃、猫間、百目鬼を順に見た。

「それなりに舞台に精通している者はいる」

「……あたしたちに脚本と演出をさせる気? 凛々子、本気でいいもの作るって言ったそばから」

「脚本はさておき、客として見て楽しい者の知識や想像力は、君たちにはあるのではないだろうか。勿論丸投げするのではなく、君たちの考えをベースにみんなで意見を出し合い、より見ごたえのある表現を追求する」

「まぁ……それくらいなら……」

「そうだ! 脚本はサイサイができると思う!」

「は、おい、何言ってんだあんた」

「だって、サイサイ、趣味で——」

「だーーーーーーーっ!」

 なにかを暴露しようとした猫間を犀川が盛大に声を張り上げ妨害したとき。

「君たち、もう予鈴鳴ったよ」

 保健室に、養護教諭が入ってくる。蟒蛇の半妖である彼女は黄金の瞳をにっと細め、二股に割れた舌で唇を舐める。

「青少年の青春は聞いていて面白かったが、教師としてはサボらせるわけにはいかないからね。話し合いはまた休み時間にでもしなさい」

 容赦ない大人の一声にその場にいた子どもたちは顔を赤らめた。猫間だけが「一時間目の単位落としたらやばいんだった! またあとでな! いいもの作ろうぜ!」とさらに青臭いことを躊躇なく宣い、それぞれ教室へ戻っていく。天乃だけは、まだ教室に戻り難くその場にとどまったが、保健室を出て行く百目鬼の背を見てちらりと思った。

(そういえば……一咲くんのオタで、学年の違う猫間(ユニットメンバー)ともつるんでるって、あいつ、どういう立場? 取り入るような性質じゃないだろうし)

 まっすぐで、純粋で、けれどどこか謎めている。猫間とつるんでいるのは偶然か……もしかして一咲となにかしらの縁を持っていたりするのだろうか。

(でもあいつは多分、一咲くんと対面したところで、好意は口にしないんでしょうね)

 挙動不審にはなりながらも、好意を抱いていることは隠しそうな気がする。百目鬼は一咲のことを、そこにあること自体が尊い、触れられる気も触れるつもりも毛頭ない、まるで太陽のように崇めている感じがする。むしろ、あのファンサを見ると一咲の方が——。

 天乃は舌打つ。多少省みることはあれど同担拒否であることに変わりはないのに、考えすぎてしまった。そのうえそれが……まぁ相手があいつならと少し許容できてしまったのが、やっぱりちょっとむかついた。

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