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百目鬼くんの推しごと  作者: 鈍野世海
7章・百目鬼くんと応援団

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18/25

14話

 その週末、あずさはアルバイトを終えるなり、都心の映画館へと駆けつけた。イベント『「ヘヴステ」円盤発売まで待てない! 一夜限りの超フライングスペシャル上映会』に参加するためだ。

 先日緊急で発表されたそれに、あずさは遥と連番で応募をし、見事当選したのだ。公演終了からずっと焦がれていた「へヴステ」を、生の舞台ではないものの大画面で再び浴びれることが出来る。しかも、「ヘヴステ」のメインキャスト陣のトークショーまであるのだ。そこにはもちろん主演のひとりである一咲も名を連ねていた。一咲が拝める、しかも「へヴステ」に関する話が聞けるととてもわくわくしていた……そう、わくわくしているのだが。

(あ、天乃先輩だ……)

 公演グッズを再販している物販列に並んだら、目の前が天乃だった。

 二つに結ばれた髪はふんわりとカールがかかっていて、トーマのイメージカラーである黒をベースとした華やかな衣服を身に纏っている。肩に下げたバッグは豊富な「へヴステ」のトーマグッズでデコレーションされていた。

 幸い、天乃はずっと俯いてスマホを見ていたためあずさの存在には気づいていないようだが——列の進みに合わせて動いた天乃がなにげなくこちらを向いた。

「あ」

 ふたりの声が重なる。どちらも苦い音をしていた。天乃は露骨に舌打ちをした。

「当たってんのかよ。倍率エグイベだったのに」

「こ、こんばんは、です……天乃先輩」

「こんばんは、百目鬼くん。現場被るのこれが初めてじゃないけど初めてのご挨拶ね。それとも、この間の話し合いで私のことが印象に残ったのかしら?」

 冷笑を浮かべる天乃にどう応えればいいか戸惑っているうちに、彼女は「どうでもいけど」と鼻を鳴らして、顔を前に戻し、スマホをに視線を落とす。あずさは内心で短く息を吐く。

『突然口を出してすまなかった。あいつとは一年の時の縁があって……無闇に他人を攻撃するやつだとは思いたくないし、思っても欲しくなかったんだ』

 天乃の事情を話してくれた早間が、どこか寂しそうにそう言っていたことを思い出す。

 天乃があずさを認識し敵視するのには、きっとちゃんと理由がある。それは、早間の言うとおり、あずさが一咲を貶めたと感じているからなのか。感じているとすればなにが原因なのか。天乃にたしかめたい、とは思う。けれど、ここで聞くべきことではないだろう。あずさも天乃も、他の客も、今日という日を楽しみにしここに来ている。それに水を差すようなことはするべきではない。

 グッズを買い終え、先に席についていた遥の隣に腰を下ろすと、心配そうな顔がこちらを覗き込んできた。

「百目鬼くん、大丈夫? なにかあった? 欲しいグッズ買えなかった?」

「あ、いえ、その……学校の人に会いまして」

「同じ学校に「へヴステ」好きな子いるんだ、いいね。でも、その感じだと、百目鬼くんは学校では舞台好きなの隠していたのにバレちゃった~みたいな?」

「隠してはいないのですが……」

「?」

 会った相手が同担拒否で、しかもあずさの一咲に対する推し方に嫌悪を抱いているかもしれない。あずさのこれまでの態度に至らないところがあっただろうか。いっそ遥に確認してみたい気持ちも芽生えるも、これもやはりここで口に出すべきことではない。

「なんでもないです」

 あずさに応えに遥は不思議そうにしながらも、しかし気を遣ってくれてか彼女は話題を転換してくれた。

「それにしても百目鬼くん、通路席と縁があるよね。ライブの時もそうだったんだよね」

「たしかに、そうですね」

 今日のあずさと遥の席は、出入り口から階段に面した中列の席だった。

「……う」

「百目鬼くん?」

「いえ、あのときの伊原さんを思い出して」

「ああ、ファンサもらえたんだもんね」

「た、たぶん……?」

「そこは自分が受け取ったと思っておこう。その方が健康にいいよ」

「心臓は痛いですが……」

「それはそう。いやぁ、本当、「No⇆CK」はファンサ手厚いよね。あ、もしかしたら、キャストさんで入りでこの階段通るかもよ。そうしたらまた間近で推しが見られるかも」

「あ、それなら、浅香さん通路側に来ませんか?」

「え、いいよ、百目鬼くんが当てたチケットだよ、可能性を堪能しようよ。推しって間近で通るといいにおいがするんだよ……」

「ええっと……」

 たしかに推しを近くで観られるのなら嬉しい。だが……この頃あずさは、一咲からの要望もありカフェで彼と話す時間が少しずつ増えていた。カフェでのアルバイト時と観劇ではあずさは衣服ぐらいしか違いがない。もし万が一、一咲がここを通ったり客席を見ることがあれば。ともすれば。

「あ、浅香さん、変わりましょう。変わっていただけたら助かります」

「えっ、えぇ……助かるの……? 私としてはこの上なく嬉しい申し出だけど。本当、遠慮してない?」

「してないです。どうか、お願いします、後生ですから……」

「わ、分かった、分かった」

「ファンサで受けた心臓のダメージがそんなに大きかったのかな?」と呟く遥と席を入れ替えて間もなく、客電がうっすら落ち、スクリーン下のステージに明かりが灯る。トークショーの進行を担う司会者がステージに立ち、挨拶を短く切り上げ、告げた。

「それでは、本日トークショーに参加していただくキャストの皆さんにご登壇いただきます。皆様、暖かな拍手でお迎えください——レイ役、御崎楽(みさきがく)

 その声とともに、客席の後方のドアが開く。そこからステージへと続く階段を左右の客席に手を振りながらやわらかな微笑みと典麗な所作で降りていき、客席からは拍手とともに歓声が湧き起こる。あずさがいる通路から二番目の席でも御崎の姿が間近に感じられた。ということは。

「続いて、トーマ役、伊原一咲」

 名前を聞くだけで心臓がとくりと跳ねる。一咲のことを推してから劇場でも、それどころかアルバイト先のカフェでだって何度だってその姿を見ているのに、彼が登場する瞬間の興奮が落ち着くことは一切ない。むしろ、その都度薪をくべられているかのように熱は高まっていく。

 開いているドアから、一咲が姿を見せる。今日は黒をベースにしたオーバーサイズの衣装を身に纏っていて、ゆるっとした感じが巣の姿でありながらもトーマらしかった。

 あずさは疼く体の目をぐっと堪えつつできうる限り影を潜めつつ、胸の前でめいっぱい拍手をする。手を振りながら階段を下りていた一咲の足がちょうどあずさたちの列に差し掛かろうというとき。彼は下手側を向いた。

 一咲は手に持っていたマイクを口元に寄せ、にこりと微笑む。

「今日は来てくれてありがとう」

 いっそう激しい歓声が上がる——その中であずさはすっかり呆然としていた。一咲が微笑んだそのとき、目が合った、気がした。目が合った気がした一咲からは驚きや困惑は見えなかった。

 気のせいか。それとも、バレていないのか。演じているのか。分からない。たしかだったのは彼が過ぎる間際、ふんわりと爽やかな香りがここまで届いたことだけだった。

 トークショーでは稽古期間や舞台本番の裏話、それぞれの役作りや思いを聞けてとても楽しかったのだが、その間もあずさの胸はずっとどきどきしっぱなしだった。楽しい時間はあっという間に過ぎ、キャスト陣が再び階段を通ってはけていくときには、あずさは今度は絶対に目が合ってしまわないように薄眼で一咲を追いかけつつも、ほんのり香った爽やかさに、鼓動はまた激しく高鳴った。

 それでも上映会に入り久々に「へヴステ」を観ると、胸のどきどきは違うものに変わっていき、しっかりと集中することが出来た。

 カーテンコールまでしっかりとおさめられた映像が終わり、主題歌とともにスタッフロールが入る。

 最高の作品を映画という形であれど再度見れた喜びと、またしばらく「ヘヴステ」を浴びることが出来ない切なさを感じていると、スタッフロール明けの画面に「特報」の文字が浮かびがった。

 にわかに場内がざわめき出す中、スクリーンには重々しい効果音とともにその文字が浮かび上がる。

「来月発売の二十巻にて、「へヴステ」重大情報、解禁!」

 客席が歓声に包まれたとき、ステージにぱっと明かりが灯った。かと思うと、今度はステージの脇から御崎と一咲だけが登場する。

「皆さん、「へヴステ」、これで終わりじゃありません」

 御崎の宣言に続けて、一咲も口を開く。

「もしかしたら皆さんが想像しているような情報もあれば、皆さんの予想だにしないものもあるかもしれません」

「本日先行上映した映像を収録した、ディスクの発売」

「そして、原作二十巻の発売をどうぞお楽しみください!」

 主演ふたりからのあまりにも楽しみすぎる宣伝に、場内は映画館とは思えない熱気が満ちていた。それから御崎がステージ脇にはけようとしたが、その袖をを一咲が引く。

 マイクを通さずに耳打ちでやりとりを交わしたふたりは微笑みあうと、客席側の階段へと歩みを進めた。おそらく一咲の提案で、こちらからはけることにしたのだろう。

 客席に手を振りながら階段を上っていくふたり。あずさは怒涛の情報量に身を潜めることも忘れて、ただただ、呆然と一咲を目で追っていた。ぼうっとしていたから、気づけばあずさの頬の目はゆっくりと開いていた。

 そして、また中列に到着したタイミングで一咲の目がこちらを向いた。また目が合ったように感じた。こんなこと一日に二度もあるのか、あるとすればそれはいったいどれだけ徳を積んだ人に訪れる奇跡か。

「またね」

 一咲がマイクを通さない肉声で、そう告げる。あたり一帯が黄色い歓声を上げる。もはや何も考えられずにいたあずさの意識が戻ってきたのは。

「ねぇ、一咲くん私たちの列へのファンサえげつなくなかった?」

 客の退場がはじまってすぐに遥がそう言ったときだった。

 一咲はあずさに気づいていないのか。気づいているけど偶然だと思っているのか。それとも、あずさの完全なる自意識過剰なのか。ぐるぐると目が回りそうなほどに思考を巡らせながら映画館を出たところの電柱そばに、髪をふたつに結んだ女子がいた。天乃だ。彼女はあずさを捉えると、厚底の靴をコツコツと鳴らして近づいて来る。そして、低い声で、一語一語はっきりと告げた。

「調子に乗んなよ、クソガキ」

 それを言うことだけが用事だったのか、天乃はふんと鼻を鳴らして身を翻し歩き出そうとする——。

「ちょおっと、待って?」

 その肩を、遥が掴んだ。その顔は——観たことがないほど怒りに満ちていて、ともすれば般若のようだった。

「人の楽しい時間に水を差しておいて言い逃げするんじゃないよお嬢さん。百目鬼くん、この子とどういう関係? さっき言ってた学校の人?」

「え、えっと」

「なに、この人。お前の彼女? 気弱陰湿野郎の代わりに怒ってくれるなんて、いい彼女じゃない」

「友達だし、百目鬼くんは気弱陰湿野郎じゃないよ。なに、なんでそんなにあたり強いの? 前世で百目鬼くんに殺されでもしたの? いや前世ですら百目鬼くんはそんなことしないよ」

「はぁ? 何ひとりで言ってひとりで完結してんの。つーか離してくんない? 馬鹿力痛いんですけど」

「あ、ごめん。怒りのあまり力加減を見誤った」

 遥がぱっと手を離すと、天乃は少し拍子抜けたような顔をした。

「それで、なんで百目鬼くんにケチつけたの?」

「こいつが自分の容姿利用してあたしの一咲くんから何度もファンサ貰いやがったクソ野郎だからに決まってんでしょ」

「え、ええ~……どうしよう突っ込みどころ多すぎる」

「あ、あの、天乃先輩。僕、そんなこと、した覚えは」

「男なうえに、頬やら首やらにアホみたいについている目かっぴらいて見ておいて? 目に入らないと思ってんの?」

 肩を震わすあずずさに、天乃は厚い靴を鳴らしながら近づく。

「この間のライブも、今日も。一咲くんは、あんたを見て、あんたにファンサをしてたのに? この短期間で二度もかましやがって」

 ごん、と天乃は踵を地面に勢いよく叩きつけた。攻勢をかけているのは天乃の方なのに、その顔は真っ赤で今にも泣きそうだった。

「なんで……あんたは……」

 ぽつりと呟いた天乃は不意に顔を上げたかと思うと、靴の爪先をあずさのすねにぶつけた。

「いっ」

 それから脱兎のごとく駆けだした。

「あ、ちょっと……もう! あの靴はいててあの速度何者!?」

 天乃の姿はあっという間に見えなくなり、遥は追いかけたそうにうずうずとしながもあずさの元に駆け寄ってくれた。

「百目鬼くん、大丈夫?」

「は、はい」

「同担拒否って感じの子を見かけたことはこれまでもあったけど、あそこまでのは初めてだよ……なんというか」

 頬をかきながら遥が言う。

「関わらないで済むなら、関わらない方がいいタイプかもね。お互いのために」

 あずさもそう思う、けれど。

 ——なんで……あんたは……。

 余りにも悲痛に満ちた表情で呟いた天乃の顔があずさはどうしても忘れられなかった。

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