10話
舞台、『幻想方舟』、通称「ファンステ」。原作はweb雑誌で連載されている中華風世界観の漫画だ。この世には選ばれし仙師のみが搭乗し贅沢の限りを尽くせる空飛ぶ方舟型コロニーが存在する。その船は常に様々な地の中空を漂っていて、幼い頃偶然にもその船を見て憧れた主人公は「自由気ままに食べて飲んで遊びつくす暮らしがしたい!」という私欲たっぷりの夢を掲げ、最高の戦士を目指すというの物語。
六月半ばから公演がはじまり、あずさはアルバイト代が入ったこともあり、リセールや当日券を駆使し何度も観劇に足を運んだ。
あずさの推しである一咲は自由奔放な主人公に振り回されながらもその背をしっかりと守る、真面目で頼れる旅仲間の紫星を演じている。
その日は日曜日で、昼公演を見終えたあずさは夜公演までの空き時間を過ごすために近くのカフェに足を運んだ。
アイスコーヒーを頼んで頭を冷やしても、あずさの興奮はなかなか冷めやらない。何度観劇しても胸には無数の感想が生まれるし、全身の目をどれだけ開いて凝らして一咲をみても見てももっともっと見たいと思ってしまう。
もう何度目か分からない熱いため息を吐いた。
(夢川さんも、相変わらずすごかったなぁ……)
「No⇆CK」のメンバーからは夢川泰良も出演している。日頃はおっとりとしてる彼が演じたのは、主人公側と対立する勢力に属し、笑顔で人を唆し陥れるダークなキャラクター、瞑。キャスト発表時は少し意外に思ったのだが、衣装を纏った状態のキャスト写真やキービジュアル撮影動画の発表を見たら圧倒された。モデルとして活躍する彼が持つすらりと高い背丈に抜群のスタイルが瞑というキャラクターに完璧にマッチしていた。しかも、舞台で演技を見るともう彼しかいないと思わされるクオリティだった。
所作の端々に持ち前の色気が百どころか千パーセント引き出されていて、人を唆すシーンでの笑顔や声がこちらまで洗脳されている気分になるほど凄艶でぞっとした。激しい戦闘シーンも隼のように機敏に、蝶のように軽やかにこなす。思えばユニットのライブでも激しいダンスを完璧にこなしていた。
そんな彼と一咲の戦闘シーンは本当に目が離せなくて、もっと見たくて、なんなら目が足りないとさえ思ってしまった。
「あなた、さっきの舞台、見られてましたよね」
女性の声がすぐ近くで聞こえた気がした——あずさの、腰のあたりで。
ぽかんとして目を向けると、本当に腰のあたりに綺麗な女性の顔があった。その顔がわずかに首を傾げようものなら、滑らかな黒の長髪も合わせてだらりと傾く——。
「のわっ!?」
びっくりしたあずさの頬の目が思わず開くと、それが捉える。隣の席に座る女性から、白い首が長くうねってこちらに伸びてきているのを。
「ろくろ首……?」
「ふふ、そうです。驚かせてすみません。趣味なもので」
にょろにょろと常人と同じ長さまで首を戻した女性が、頬に手を当ておっとりとした笑みを浮かべる。
「私、日首このみと言います。あなたは、百目鬼の半妖さんですか?」
頬の目をきゅっと閉じながら、あずさはこくりと頷いた。
「あ、えっと、はい……百目鬼、あずさ、です」
「やっぱり、そうでしたか」
「やっぱり……?」
「いえ……さっきの公演で近くの席でしたし、私、首の可動域が人よりあるものですから、貴方の鑑賞姿が見えまして。羨ましいなと思っていたんです。ほら、よく言うでしょう、舞台のオタクって。目が足りないって。私も、泰良くんを見るための目が足りないと思っていて。首を伸ばせば間近で追尾できるんですけど」
ついび。
「大変迷惑になってしまうでしょう? ともすれば出禁です。ですがその点、目であれば誰も邪魔せずがっちりぎっしり泰良くんを凝視できると思いまして」
がっちりぎっしり。
「いっそ、あなたから奪いたいくらいでした」
「う、うば……」
「うふふ、冗談です」
にっこりとした笑みが完璧すぎるがゆえに、本当に冗談なのかどうかはかりかねる。なんだか不思議な人だ。
「あずささんもこのあと夜公演を観劇されるのですか?」
「は、はい」
「ではもしよかったらそれまで私とお話しませんか? 遠征でひとりできているものですから。舞台のすばらしさを分かち合う相手がいなくて寂しくて」
以前のあずさだったら間違いなく、たどたどしく断りの言葉を述べていたと思う。今も対人に対する不安や緊張が全くないわけではないが、しかし、それよりもあずさも先の興奮を誰かと分かちたいと思っていた。様々な出会いと経験があずさを顔を上向かせてくれた。
「あの、僕で、よろしければ」
このみはあずさの方の席にやってくる。元の机上に広げていた便箋とペンとともに。
「泰良くん宛に、さっきの公演の感想をしたためていたんです」
「ファンレター、ですか」
「ええ。現地で見れたときは新鮮かつ最高熱量の感想を、少しでも早く本人の手に渡る形で用意したくって。終演後にはまたたっぷりと味わい尽くし噛みしめた感想も送るのですが」
にっこりと微笑んだこのみは、こころなしか、泰良の笑みにどこか重なって見えた。
「本当に、夢川さんが好きなんですね」
「ええ、昔からずっとファンなんです」
泰良は高校二年生の修学旅行中に今の事務所にスカウトされ、デビューすることになったらしい。昔から、というともしかしたらこの人は七年来のファンなのだろうか。泰良の引力も、このみの熱量も、凄まじくて素敵だと思った。
「夢川さんの演じる瞑、本当にすごいですよね。呪いの土台にするために青年を唆すシーンは、こちらまで掌握されている気分になるというか」
「ええ、本当に。まだまだ泰良くんの新たな一面を見られるなんて、本当に幸甚です。あずさくんは一咲くん推しですよね。全身の目で健気に追っていたでしょう」
健気とは、物は言いような気もするが、あずさはこくりと頷く。
「私、終盤戦闘で紫星が主人公を土台にして瞑に回し蹴りを入れるシーンが好きなんです。攻撃を食らときの瞑がそそるのもありますが……紫星の身のこなしが素晴らしくて」
「は、はい、わかります。本当にかっこよかったです。着地が少しうまくいかなかった数日前の公演から演出がなくなっていて、もう見れないかもと思っていて……もちろん、怪我なく演じてほしいのでそれが最善だとは思いつつもやっぱりちょっぴり惜しくて……だからまた見れて嬉しかったですし、なんというか、レベルアップしているというか。あのひとつの動きに、紫星と主人公が背を預け合っている信頼感がこれまで以上に表現されているように感じて……!」
「あずさくんも本当に一咲くんが好きなんですね。あっ、そうだわ」
このみはバッグの中から、机上にあるのと同じ柄のレターセットを取り出した。
「あずさくんもその思いをしたためて、夜公演のときに送ってみませんか? もしよろしければ、私のレターセットの残りをお譲りしますから」
これまで観た「ヘヴステ」も、ライブも、朗読劇も、そして今行われている「ファンステ」でも、毎度たくさんの感想は抱くし公演アンケートにはなけなしの語彙でびっちりと感想を打ってはいる。けれど、それを本人に直接届く形で伝えようと思ったことはなかった。
あずさはライブで一咲のうちわを振ったことを思い出す。ファンレターもあれと同じで、推しにただひたすら応援しているという気持ちを伝えられる手段なのかもしれない、とは思う。だが、うちわとは込められる情報量が段違いだと思うし、一咲への思いや公演の感想を理性的に理路整然と認められる気がちっともしない。ただでさえもともと言葉を扱うのは得意ではない。
「読むに値するものを書ける気がしないです……」
「そんなこと気にする必要はありませんよ。その人を思って書いた事実が大事だと私は思います」
「その人を思って書いた事実……」
「ええ、そういうのは筆致に現れるものですから」
まだ少し躊躇っていると、机上に置いていたあずさのスマホが震えた。どういう偶然か、メッセージが同時に三通も届いていた。犀川、晶太、それから遥から。
「私のことは気にせず、見てもらって大丈夫ですよ。この間に紅茶のお代わり注文しちゃいますから。あずさくんもコーヒーお代わりしますか?」
「あ、えっと、それじゃあ、お願いします」
まず犀川からのメッセージを開くと。
『数学の宿題、問三、躓いてる。分かりそうだったらヒント貰えると嬉しい』
それとともに、猫が頭を下げているスタンプが届ていた。あずさは「家に帰ったら、確認するね」と返事を打つ。
続いて、晶太のメッセージを見れば、サンドイッチの写真が届いていた。
『今日オフだったから俺考案新作サンド作った!』
晶太とはあれからマメにとはあれから結構マメにメッセージを交わしている。といっても、晶太が他愛ない話や写真を送ってくれるからあずさがそれに応えることが多いが。
晶太の実家がパン屋であることはファン間で知られており、晶太自身も大々的に宣伝している。新作サンドの中身は、キャベツとマヨネーズと何らかの大きな揚げ物が挟まっていた。「美味しそうに見えます。挟まっているのは揚げ物でしょうか」と返事を打つ。そして最後に、遥からのメッセージ。
『百目鬼くん、今日ファンステ観に行ってるんだよね。私はチケット取れてないんだけど、用事があって近くにきていてね。もしタイミングが合いそうだったらどこかで会わない?』
この近くに来ているのか。遥とは会いたいが、このみからの誘いを受けておいてこの場を離れるのは申し訳ない。
今日は断りのメッセージを入れよう、とあずさは画面に指を滑らす。
「なんでこのみが百目鬼くんとお茶してるの」
頭上から降ってきたのは、遥の声だった。顔を上げれば、呆れた顔をした彼女がいる。
「あら、遥ちゃん。早かったわね」
きょとんとしたあずさが、遥とこのみを交互に見た。
「あの、おふたりは知り合いなんですか……?」
このみはおっとりと微笑み、遥は肩を竦めた。
「知り合いっていうか……私に「No⇆CK」を布教した友達が、その人」




