9話
晶太はレッスンがあるからと食事を終えると先に帰った。
荒らしのような出来事が過ぎ去ると外の天気も久々に晴れていた。あたたかな夕陽に照らされる道を犀川と連れたって歩き、最寄り駅へと向かう。そしてそれぞれの路線にへと別れる間際。
「……犀川くん、大丈夫?」
あずさは勇気を出して声を掛けてみた。犀川はきょとんと首を傾げる。
「え? 大丈夫ってなにが?」
「ファミレスに、いるとき。そ猫間さんに僕の気持ち代わりに話してくれたあたりから……だと、思うんだけど。その、少し、顔色が悪いように見えて」
あのときはまだ外の天気は悪かったし光の加減とかでそう感じたのかもしれない、とも思った。だがもし気のせいではなくて、本当に犀川の調子がどこか悪かったのだとしたら、確信はなくともこの不安を放ったまま別れたくはなかった。
しばしあずさを見つめた犀川が、そっと目を逸らす。
「あー……いや、別に大したことじゃないんだけど」
「や、やっぱり、どこか具合が悪かった……!?」
「いや、そういうんじゃなくてさ……百目鬼って、俺のこと、覚えてない?」
思わぬ問いかけに、あずさはぽかんとする。
突然記憶喪失になってもいなければ、犀川と特別なにか約束を交わした記憶もない。
「……やっぱ、覚えてないよな」
「え?」
「入試のとき。隣の席だったんだけど」
「そ、そうだったの……!?」
入試の日のことを思いそうとして見るも、しかし、あずさはぴんとこない。
人の顔をあまり見れない性質だから……というのもあるが、あの日のあずさはかなり不調だった。慣れていない空間に知らない人がたくさんいる緊張感と試験の緊張感が掛け合わさり、始終意識が半ば朦朧としていた。そして帰宅し寝て起きたら、風邪でも引いていたかのようにその日の記憶が曖昧になっていた。問題用紙の計算などの痕跡から一応試験には臨めていたらしいことは見てとれたものの、解答用紙にそれを正しく記せていたか自信がなく、合格発表まで気が気じゃなかった。
「 ご、ごめん、全然気づかなくって……」
「いや、俺も、相手が百目鬼じゃなかったら、認識してなかったと思う」
ぱちぱちと瞬いたあずさは、ふっと青褪めた。
「それって……もしかして、僕、その……」
——入試の日に、体の目を開いたりしてしまっていのだろうか。
凡庸なあずさが記憶に残るようなことがあるとすれば、それくらいだ。日頃、特に人が多い場所では気を付けるようにはしてるものの、あの日は朦朧としていたから無意識のうちにやらかしてしまっていてもおかしくない。
「そうじゃなくって。俺、あの日、消しゴム忘れてさ。同じ教室内に友達もいなくて、もうすぐ試験も始まりそうでめちゃくちゃ焦ってたの。そしたら、百目鬼が貸してくれたんだよ。わざわざ自分の消しゴムを割って」
あずさはまたぱちぱちと瞬いた。そんなこと……そういえば、あった。
当時使っていたペンケースにつけていた好きな漫画のキーホルダーを見つめ、好きなシーンを思い浮かべながら、朦朧とする意識をどうにか保とうとしていたら……視界の端、近くの席に自分と同じくらい落ち着かない様子の人がいた。少し親近感を覚えていたら、もうすぐ試験が始まるというのに彼の机上に消しゴムが置かれていないのに気づいた。
もしかして、と思って、自分の消しゴムを半分割ったものの声を掛ける勇気はなく、どうするか迷い頭もろくに回らなかったあずさはその人の机に向かってえいと投げ乗せた……。
「……お、思い出した」
頭が回らなかったにしても、もうちょっとやりようがあったのではないかと思う渡し方にちょっと頬が熱くなる。
「同じクラスになってすぐにあのときの人だって気づいてたから、ずっとお礼、言いたかったんだけどさ……その、態度的に声掛けられたくないタイプなのかもとも思って」
「う……ご、ごめん……」
「いや、謝るようなことじゃないって。けど、ただ。猫間先輩とのやりとり見てて、もっと早く仲良くなれたのかもとか思ったら、ちょっと、なんか、悔しいなって思っただけ。気にしてもしょうがないんだけどさ。ゴールデンウィーク明けに百目鬼から声掛けてくれたときすごい嬉しかったし、今はこうして話せてるんだから」
そうして、少しはにかみながらも犀川はそっと瞳を細め微笑んだ。
「あのときも、入試のときも。ありがとう」
「犀川くん……」
「あと、百目鬼、気にしてそうだから言っとくけど。お前が頬とかの目を開いたところで、俺はちっとも驚いたり引いたりしないからな」
ほんのちょっぴり拗ねたようにそう言ってから、犀川は「そろそろ電車きそうだから行くわ」と歩きはじまる。
あずさはとてもあたたかな熱をもった胸を両手で押さえながら、彼の背に呼び掛けた。
「犀川くん」
そして、口にする。ずっと、友達と交わしてみたかった憧れの言葉。
「また、明日」
こちらを振り向いた犀川は、手を挙げてひらりと振った。
「また、明日」




