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19/26

令嬢、事実を知る

 その夜。まだ夢の中にいるみたいにふわふわな私は、ソファに座ってぼんやりと左手の指輪を見ていた。私達の新居。今日からここで一緒に暮らすんだ。明かりの少ない部屋の中。初めての夜。緊張よりも幸福感が私を麻痺させて体から力が抜けていく。


 信じられないな。私、結婚したのか。こんなに素敵な人と。アオを見てそう思った。時々子どもっぽいこともするけれど、はっきり言って欠点がない。そんな人の奥さん? これって本当に現実?


「アリア」


 と彼の声が聞こえてくる。我に返って緊張した顔を見せると、アオは楽しそうに笑った。


「どうしたの? そんな顔して」


 そう言って頬をくすぐる彼の手。恥ずかしいけれど、もっとして欲しい。…なんて言えない。


「…何でもない…」


「嘘つき」


 そう耳元で囁いて、そのまま優しいキスをくれる。何て甘い。


 元々甘やかしてくれていたけれど、一線を越えるとこんなにも糖度が上がるのか。こんな甘さって存在するんだ。そんな事を思う程甘い。


「好きだよ」


 と、彼が囁く。催眠術をかけられた様にその低い声は私を惑わす。私も。と、言ったつもりだったけど声にならなかった。本当に好き。感情に溺れてはっきりとそう思う。けれどそれは消した筈の怖さも連れてくる。彼からこんなにはっきりと愛されたら、この世界を手放せなくなってしまう。手放さなければならなくなった時、私はきっと絶望してしまう。そんな恐怖と、彼と、死ぬまで一緒にいられるのかな。こんな私を放さないでいて欲しい。


「アリア」


 と、もう一度彼が囁く。優しく私を抱きしめて、撫でて、こんな事を言った。


「俺の事好き?」


 さっき声に出せなかった言葉。改めて問われたら恥ずかしくて、私は小さく頷いた。


「本当に?」


 もう一度、うん、と頷く。


「何があっても気持ちは変わらない?」


「…?」


 その言葉に目が覚めた。まるで懺悔をするような不思議な言葉。彼がそんなものを抱えていたなんて信じられない。ずっと私に優しかった彼が。


「アオ?」


 髪を撫でて呟いた。


「どうしてそんな事を言うの?」


「…お前を優先できなかったことがあるから」


 ソフィー様の事だ、と気付いた。でも、あの時は。


「…アオ?」


 小さい子どもに話しかけるように静かな声で彼を呼んだ。そして視線を合わせた彼に言う。


「あの時私を優先していたら、私は今よりあなたを好きじゃなかったかもしれない」


 あの時のアオの行動を、私は感謝してる。彼女を助けてくれたアオの事、尊敬してる。


「私の大切な人を守ってくれたアオに感謝してる。それに、もしもそれでも私が悲しい思いをしたら、あなたはそばに来てくれるでしょう?」


「…」


 その言葉にアオは目を見開いた。そして顔を隠して笑う。


「驚いた」


 その声は聞いたこともない声色で、私は目を見開いた。


「お前、全てを見透かしている様な事を言うな」


「…え?」


「そうだよ」


 聞き返した私に、見た事もない表情の彼が言う。


「俺はお前の大切な人を守ってやった。そしてここに来た。お前はそんな俺の事を、本当の事を知っても好きていてくれるか? かこ」


 過去。昔の事? 何かあった? そう思って話の続きを待っていた私を見て彼は笑う。


「二十年近く聞いていなかったからぴんとこないのか? 『伊藤かこ』?」


 伊藤かこ。それは私の「前の」名前。未来と同じ名字の、未来と対になっているかの様な。


 その一言で、彼が「誰」かを理解した。


「…あなた…」


 あの神様! あんぽんたん!!? そう気付いて血の気が引いた。どうしてここに? 私を清算しに来たの?


 …待って。アオは? アオはどこに行ってしまったの? 無事なの? アオは関係ないのに…。そう思ってさっきの彼の言葉を思い出す。


 …え? あ。嘘。もしかして元々この人だった? 何で? そんな事ができるなら、私をこの世界に送る必要なんて無かったじゃない。もしかして私をからかって遊んでいたの? 全部嘘? ふざけないでよ。酷い。酷い酷い!!


 それなのに、彼が目の前に現れたら前みたいに首を絞めてやる! って思っていた事、思い出しても実行なんてとてもできなかった。想像以上に酷いことをされている筈なのに、アオにそんな事できない。


 アオには。


「?」


 肩を落とした自分を見て、アオは不思議そうな顔をした。


「どうした?」


「…これからどうするつもり?」


「どうするって?」


 信じられない。彼の声がまだ愛おしい。この体にある心が勝手に反応している。変なの。こんなの有り得ない。一体何をしたらこんなちぐはぐな状態になるっていうの? 私が何をしたって言うのよ。あなたを押し倒して首を絞めただけじゃない。それの仕返し? 随分残酷な事をするのね。そんな私を見ているのは楽しかった?


 けれど私は全部知っていたし、ずっと気付いてもいた。それなのに負けて溺れてしまった私が馬鹿だったんだ。


 少し拒むように体を揺らしたら、彼はあっさりとその手を放した。その手を放されることにすら心が痛むほど彼が愛おしい。愚かすぎて笑ってしまう。けれど納得しよう。これはただの茶番だったの。騙されただけ。心が落ち着けば傷付くだけで終わりにできる。ううん。もしかしたら私はここで終わるのかもしれない。だったら考えるまでもないか。馬鹿馬鹿しい。


「随分遅かったわね。間違いに気付かなかったの?」


「…? 間違い?」


 全部嘘だった癖に。と、彼を詰ってしまいたい。けれどできない。どうしてだろう。なんてお人好しなの。こんな事、もうさっさと終わりにして欲しい。


「答えなくても良いわ。好きにして」


「…は?」


「あなたがここに来たって事は、私をどうにかするつもりなんでしょ? だったらさっさとして」


「…ああ。成程」


 強い口調でそう言ったら、やっと納得したらしい。あんぽんたんはアオの顔で、私が逆らえない人の顔で笑って、こんな事を言う。


「そうか。今回は話が早いな。じゃあ、お言葉に甘えて」


 痛いのは嫌。怖いのも嫌。せめて悲しいだけで許して欲しい。無力な私はそんな事を思う。こんなに情けない事があるだろうか。


「こっちを向いて。アリア」


 彼が言う。腹が立つ。その声も全部嘘だった。嘘だと分かっている癖に高鳴ってしまう心臓も、からかうようにその声を聞かせるあんぽんたんにも本当に腹が立つ。


「目を閉じて」


「…」


 その言葉の通りにした。さようなら。人生がこんなに馬鹿馬鹿しいだなんて知らなかった。人間の一生なんて所詮、神様の暇潰しなのよ。一生懸命喜怒哀楽なんて感じなければ良かった。


 彼の気配を近く感じる。それを無意識に感じてしまうのは、もう癖になってしまったから。悔しい。悔しい悔しい。


「愛しているよ。アリア」


 …は?


 聞き返そうとした言葉は唇を塞がれて言えなかった。優しくて長いキスは、私の恐怖を少しだけ溶かす。


 驚いて見開いた視界に彼が戻ってくる。


「本当はこのまま押し倒して全部貰いたいところだけど、お前が大事だから止めておく。けど、そんなにいつまでも我慢できると思うなよ。…で、かこ」


 これはどういうことだろう。その言葉に安心した様な、残念な様な、そんな愚かな感情が湧き上がる。神様。どうして人間はこんなにも不自由で。


 愛おしいのですか?


「お前、何か勘違いしてるだろ」


 そう言ってあんぽんたんは笑った。

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