令嬢、思いを伝える
危ねええ…。と、結構しっかり聞こえてくる自分の名前に肩を竦めた。その手の先で戸惑ったような声が聞こえる。
「…あの? アオ? 呼ばれてない?」
「いいの。いいから」
「え? え?」
「本当に勘弁してくれ…」
と、自分にではなく呟いたアオの言葉にアリアは口を噤んだ。
そして二人、言葉もなく学園を歩いた。実り祭りも終わった後の校内は誰もいない。皆町の収穫祭に行ったのだろう。それともなければ門が閉まるまで学園の中で余韻を楽しんでいるかもしれない。ここは中央から離れた場所だから飾りも無く静かでいつも通りの学園だ。
そこをずっとそのまま、手を繋いで二人で歩く。どこに行くのかな、と思っていたらアオが空を見上げて呟いた。
「一番星か」
見上げると、空に強く輝く星が一つ。空はオレンジ色に染まり、黒くなりかけている。こんなに人がいない静かで暗い学園は初めて。ここにはあと半年もいられない。生徒や関係者でなければ卒業してしまったらこの道を歩くこともない。そう気が付いて少し寂しくなった。アオや皆と過ごした学園生活も本当に楽しかった。
そんな事を思いながら手を引かれるまま歩いていたら、空はあっという間に黒くなり、足元も見辛くなってきた。校内だから安全だし、アオもいる。怖くはないけど。そう思って足元に向けていた視線を上げたら森林公園まで来ていた事に気付く。結構歩いたらしい。学園内にあるから小規模だけど大きな木や芝生が綺麗な手の行き届いたスペース。生徒はここでお昼を食べたり放課後話をしたり絵を描いたりと思い思いに楽しむ。この公園の反対側にいつか皆が集まったカフェがある。
誰もいないそこは静かで、空が広かった。
「星が沢山見えるね」
と、見上げて呟いた。うん。と、アオの声が聞こえてくる。
「ここは他と比べて暗いからよく見えるんじゃないかと思った」
「そう言えば、そろそろ門を閉められてしまうんじゃないかしら」
さっき閉会の挨拶もしていたから祭りは終わりだ。そう気付いて呟くと、アオは不本意そうな顔でこんな事を言う。
「今日、この後業者が入って一部撤去作業するから裏門は開いてる筈。まだ大丈夫だよ」
その不本意の理由を理解する。無理矢理手伝わされていたんだもんね。
「アオ。お疲れ様」
「…」
むす。
「大変だったね」
「別に、そんなに大変ではなかったけど」
はぁー。と、ため息をついて彼が言う。
「あそこで名前を呼ばれたくはなかったよね…」
「皆、とっても助かったんじゃない? それに今日の実り祭りは本当に素敵だった」
「…なら良いけどさ」
だったら余計に呼ばないでくれ。と、アオはぶつぶつ呟いていたけど、可笑しくて笑ったら黙った。
あそこの大きな木まで行って戻ろうか。と、アオが言ったから頷いて二人で歩く。無言でも気まずくならない彼と一緒にいるのは安心する。
木の下から空を見上げた。隙間の開き始めた部分から星の光が見える。
「あっという間に冬になるね」
この祭りが終われば冬はすぐそこだ。そして別れの季節がやってくる。
「うん」
と、こっちも見ずに頷いたアオを見ていた。幼い頃はアオとも殿下とも親が会わせてくれていた。そのまま学校に行き始めて偶然会うことも約束する事も増えた。この後はどうなるんだろう。卒業までに私はちゃんと伝えられるかな。
「あ…そうだ」
思い出して私は今日、ずっと持ち歩いていたキーホルダーを取り出した。昨日の夜、やっと解けたんだ。何度も何度も色んな事を試した筈のそれは、無心で動かした方向にさっくり嵌まり、あっさりと分離した。
「昨日やっとできたの」
繋がっているそれを外して見せるとアオが笑う。
「結構時間がかかったな」
「冷静に考えても解けなかったの」
「雑念があったんじゃないの?」
ぎくりとした私の手からそれをつまみ上げ、繋げてから戻す。
「俺のこと?」
「…アオのこと考えていたら雑念になるのかしら」
深刻な雰囲気になるのが怖くて冗談半分でそう言ったらアオはすんなり頷いた。
「なるんじゃない?」
「…」
確かにアオのことを迷っている時は、時々取り出して弄ってみても全然上手くいかなかった。その後やっと答えが出て、暫く触っていなかったこれを久し振りに昨日触ったらあっさりと。…本当にそうだとしたら変な魔法でもかかってるんじゃないかしら。これ。そう思ってまじまじとそれを見ていたらアオの声が耳元で聞こえてくる。
「それが解けたって事は答えが出た?」
あの? 本当に何かあるんですか? これ。
「アリア」
隣にいた彼が、そう言って私の正面に立つ。そして私の後ろに手を着いて言った。
「そろそろ返事をくれない?」
…え?
あ。これは壁ドンというやつでは? ひぃー。
「あの…」
どうしよう。どうしよう。何て言おう。心の準備が! それにこんなシチュエーションは想像外で!! 私今すっごい顔色してる!! 暗いから見えないかもしれないけど念の為見ないで!! 恥ずかしいー!! そう思って俯いたらアオは誤解したらしい。
「俺と付き合えないのなら、ちゃんと振ってくれて良いんだよ」
まるで口説くように静かに耳元で彼は囁く。
「何があっても俺はアリアの事を嫌いにならないから。ずっと友達でいるから、大丈夫」
満点の星の下。彼は尚も愛を囁く。けれど悲しい。そんな事言わないで。
好き。と、呟いた。けれど小さな声は、こんな近くにいる彼にも届かない。
「え?」
「…あなたが好き」
必死に絞り出して小さな声でそう言った。驚いたのかもしれない。その後、少し沈黙が訪れて。
「…アリア」
やがて嬉しそうに私を呼んで髪を撫で、そのままキスをくれて抱きしめてくれた。ずっとそばにいてくれた彼と、もっと近付いたことを感じる。特別な二人だけがするキスと抱擁を、私は目を閉じて受け止めた。
その時にアオが見た事の無い顔で笑った事を、抱き締められていた私は知らない。




