令嬢、王子を困惑させる
翌日の午後、私は急に王宮に呼ばれて一人、応接室にいた。珍しいものや可愛いもの、美味しいものがあったりするとまるでお友達のように声をかけて下さっている王族からの連絡だったから親は何も思わなかったようだ。昔は国王と王妃の名前で親宛に届いていた手紙は、数年前から殿下の名前で私宛になった。今回も殿下からのお誘い。
どうされたのかしら。と、不思議に思う。手紙には何も内容がなかった。ただ、可能なら来て欲しいという一文だけ。アオもいない。こんな状況で私と殿下だけが話すことがある?
…昨日のことかしら。とは薄々思いながら大人しく待った。私は完全に部外者なんだからソフィー様が大丈夫ならそんなに気を使わなくても大丈夫なのに。
そう思っていたら扉が開いて殿下が入ってくる。彼を迎えるために立ち上がり、礼をしようとしたら彼は困った様に笑って言った。
「アリアネル。アイオライトがいなくて落ち着かないかもしれないけれど、俺達は友達なんだから二人の時にそんな事しないで」
「今日は突然の誘いにもかかわらず、来てくれてありがとう」
と、席に着いて彼は言った。
「いえ。全然」
彼が認めてくれるなら私達は友達だ。そんな事を気にしないで欲しい。
「ええと…それで今日わざわざ来てもらったのは昨日の事を話したいからなんだけど」
「はい」
「本当に悪かったね。アイオライトとの約束を壊してしまって」
「お気になさらず。ソフィー様…ソフィア様は大丈夫ですか?」
口を滑らせた私を笑って殿下が言う。
「ソフィア、愛称で呼んでもらえることになったって凄く喜んでいたんだ。ありがとう」
「そんな。私もそう言って頂いて、本当は嬉しかったんです」
心からそう思って言うと、殿下もにこにこ笑って頷いた。
「大丈夫だよ。アイオライトがしっかり守ってくれたみたいだからすぐに落ち着いた。ただ、君達の約束を壊してしまった事を気に病んでいるみたいでね。本当はソフィアから直接謝罪したいと言っていたんだけど、その前にこっちから状況を説明しておこうと思って」
「はい…」
なんだか大事になってきてしまった。そう思ったけど大人しく頷いた。
さて、殿下が教えてくれた詳細は以下の通りだった。
ソフィア様に絡んだのは彼女に恋慕していたソフィア様と同じ階級の侯爵令息の同級生だったらしい。勿論私も知っている。もう一年もしない内に私達は学校を卒業する。それに焦った彼が、一緒に噴水を見て欲しいと誘ったが断られたそうだ。そこまではまだ良いんだけど、マズいことに彼はお酒を飲んでいたらしい。そして、そのせいかかなり乱暴に振る舞ったそうだ。それを見ていた他の同級生もいたらしいが、彼の剣幕と身分に手が出せなかった。そこに偶然通りかかったアオが場を収めたそうだ。身分もそうだけど、誰よりも大人びている彼のこと。酔っぱらった相手を刺激せずソフィー様を助けたらしい。…その場は。あくまでその場は以上。その後は後述。
それを聞いて、そうだったのか。と、ただ納得した。結果、これで済んだのは良かったんじゃないかな。誰も怪我をしなかったし、今後の傷跡も最小限で済んだ。さすがアオ。他の人だったらこう収められたかは分からない。やっぱりすごい人だな、と素直に思った。
と、思っていた私はこの時も今後も知ることはない。ソフィー様の家から正式な抗議文が届いて同級生の家が大混乱したこと。次に王族からの非難の手紙が届いて黒に近い色で青ざめたこと。最後に、アオに今年もアリアネルと噴水を見れたのかとわくわくで尋ねた彼の両親が事の成り行きを知り、件の侯爵家に乗り込んでいったこと。因みにそれはアオも知らない。ただ、我が家の自慢の息子と可愛い可愛いアリアネルの仲を何邪魔してくれてるんじゃい!! というご両親の怒りは凄まじかったようだ。良くも悪くも欲が無く、国一番おっとりしていると言われる公爵夫妻の二人の物凄い剣幕に、あんたらあんまり関係ないじゃんとは言えず、侯爵家は震えて土下座をし続けたそうな。重ねて言うけれど、それは子どもは知らない話。
その後、同級生の彼は飲酒の件が当然学校にも伝わり、数日の謹慎という事で罰を受け、学校関係者の前でもソフィー様に直接謝罪した。これでこの件は一件落着。彼がとてもとても憔悴していた本当の理由は知っている人しか知らないのである。
「大きな騒ぎにならなくて良かったです。こちらの事はお気遣いなく。本当に何とも思っていませんので」
「そうか。…うん……と、そう?」
笑顔で言ったのに、彼は困惑した様に聞き返してきた。その顔を不思議に思っていたら言い辛そうにこんな事を言う。
「本当にアイオライトと噴水一緒に見なくて大丈夫だった?」
え? 何でそんなに気にしているの? と思いながら私はあっさり頷いた。
「はい。大丈夫ですよ?」
「……そう?」
そうかー。と、呟いて殿下は天井を仰いだ。そして言い辛そうにこんな事を言う。
「ソフィアから、その、噴水を男女で見る意味を教えたって聞いたんだけど?」
「あ…はい」
「それを踏まえてアイオライトと見たかった…とかはない?」
「…」
う。それを聞かれると…何て答えたら良いのか。
「あの…アイオライト様はそういう事を気にされる方ではないですし…」
「気にはしなくても一緒に見たかったとは思うよ?」
うん? まんまな事を仰いますな。殿下。
「それにアリアネルもそうかなと思っていたんだけど」
「あの…」
どうしよう。そう思った自分の頬が熱くなるのを感じる。まずい。これじゃ気付かれてしまう。
「アオから何か聞いたのですか?」
動揺して愛称で彼を呼んでしまった。けれど殿下は気にする様子もない。
「いや? …ああ、午前中にアイオライトには来てもらって、一連の話はしたんだ。でも騒動の話だけで君との事は何も聞いて…」
そこまで言って殿下は固まる。あれ? …え? と、小さな声が聞こえてくる。そして、顔を上げられない私にこう言った。
「…もしかしてアイオライトから告白でもされた?」
「!!!?」
何っで!? 何で急にそんな確信をつくのですか殿下!! え!? 知ってたの!? アオの気持ち知ってたの!? 男の人同士ってそういう事話したりするの!!?? アオってそういう事を友達に言っちゃう人!? 嘘ー!
と、思ったけれど何も口には出せず。真っ赤になって肩を震わせている私を見て、殿下が勝手に察した顔も見れない。ただ、ばれた事は理解した。
「あ…そう」
「…」
何も答えられない。もう泣きたい。
「…えっと…聞いても良いのかな。アリアネル、何て答えたの」
…ぶんぶん。声を出せる気がしなくて、黙って首を横に振った。
「え? 断ったの?」
ぶんぶんぶん!
「…保留?」
…こくん。
「…そっか」
うん…。と、小さな声が聞こえてきて、殿下はこんな事も言う。
「答えたくなかったら答えなくて良いけど…何で?」
何で? って? 保留にしている理由?
「…お、驚いてしまって」
その声は水の中にいるかのように上ずって震えた。それ位私は動揺している。
「…え、と? アイオライトの気持ちに全く気付いていなかったって事?」
「…はい」
「…」
ここで、殿下がちょっと引いていたのを私は知らない。あれだけ甘やかされて意思表示されても? 気付かない? と。
余談だけれど、アイオライトがアリアネルに興味を持った男をことごとく遠ざけていた事も知っている殿下は同情してちょっと涙ぐんだ。ある事情から、彼がそういう行動をする理由を理解している王子だからこその涙である。
「…そっかー…」
と、やがて殿下は呟く。それは何に対する「そっかー」ですか? と聞きたくなったけれど私は何も言わなかった。
「うーん…。俺が先にその答えを聞くつもりはないんだけど、自分の中に答えは出たの?」
「…いえ。まだ…」
「…そっか」
すぐに出もしないのか。と、殿下は当然思っただろう。けれど、それはアオに向かう感情の整理だけで済まないからという事を私だけが知っている。この世界で手放せない程幸せになる事がまだ怖い。
「彼に何か不満でもあるの?」
「いえ」
「じゃあ、どうして?」




