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令嬢、やっと気付く

「…」


 前世も含めて、誰かと恋愛の話なんてしたことはない。そんな初めての経験に、暢気にも甘酸っぱい感情を覚えた。それに彼が気にしてくれるのは正直嬉しい。一人で抱え込むのが怖かったし、自分とアオに一番近い友人だから。


「自分が彼に相応しいのかどうか分からなくて…」


 それでも本当の事は言えない。だから遠からず近からずの言葉を口にした。こんな話でも少し気が軽くなる。


「相手が君が良いと言っているのに?」


 でも…。と、言いかけた自分の弱さを力強い声で殿下は消してくれる。


「そんな事は考えなくて良いんだよ。アリアネルがアイオライトを好きかどうかだけの話だ」


 まるで背中を押してくれるような殿下の言葉は、頑なに動けず立ちっぱなしだった私の体勢を少しだけ崩す。焦り過ぎなんだよ。と、アオの言葉も聞こえてきた。


「アイオライトは、アリアネルが受け入れてくれれば本当に嬉しい思うよ。逆に言えば、それ以外の理由で断るなんて可哀想だ」


 まるで私の心を見透かしたような事を言う。けれどそれは真理だ。自分にはそれしかできない。それともなければ前の生の時の様に自分から何もかも手放して捨ててしまう選択肢しかない。それが今の自分にできるだろうか。


 できないししたくない。でも。


 でも…。


「じゃあ…もしも彼を受け入れた場合、自分が辛くなるかもしれないという気持ちはどう処理したら良いですか?」


 追い詰められて、私は言ってはいけない事を言ってしまった。けれど誰かに何かを言って欲しかった。こんなにも抱えきれない感情を知らないから。


 傾きかけた体は、それでもまだ踏ん張っている。このきっかけに動けなければ、きっともう動けない。そんな人生の選択を私は彼に委ねた。


「ならないよ」


 と、殿下は言う。


「あいつは絶対にそんな事をしない。君に辛い思いなんて絶対にさせない」


 ちが…。と、言いかけた。彼が私に辛い思いをさせるなんて思っていない。そうじゃなくて。


 けれどその言葉は口から出なかったし、彼は私が欲しかった答えをくれた。


「断言しても良い。あいつは君を守ってくれる。どんな小さなことからも、何もかもからも」


「…」


 …そうかもしれない。と、その強い言葉に背中を押されてすんなりそう思う。神様のミスすら、どうにかしてしまいそうな人。そんな人と一緒にいれば、起こるかもしれない何かもがどうにかなる気がしてきた。


「…そうかもしれませんね」


 と、やがて素直にそう言った。その私に殿下はこんな事も言う。


「アリアネル。何か不安な事でもあるの?」


「いえ……あ…ええと…はい。少し…あの…」


 迷った末、客観的に見てどう思うのか教えて欲しい。と思った。そして言葉を気を付けながら私は本音を口にする。


「私は周囲の方にとても大切にして頂いて、時々戸惑う事があるんです。こんなに良くしてもらって良いのかと」


「…」


「アオもそうです。私をとても大切にしてくれる。どうしてなのか、自分にその価値があるのか、不思議に思います」


「…どうしてそんな事を思うの? それを素直に受け取る事はできない?」


「…私は何もできないので…」


「そんなことはない」


「…」


「君はね。この国に無くてはならない人なんだよ。君がいなければ、この世界の今の幸せは無かった」


 目を丸くして殿下を見ると、自分を真っ直ぐに見て彼は言う。


「詳しい事は言えないけれど、皆がそう思ってるし事実だ。それだけは伝えておく」


 まるで自分の疑問そのものに答えてくれるかのような彼の言葉。戸惑ったけれど嬉しくて、その違和感すら通り過ぎてしまった。本当にそうだったらどんなに良いだろう。その気持ちに誘惑されてしまった。


 けれどやっぱりまだ怖い。自分はアオの胸に飛び込んで本当に大丈夫なんだろうか。


「…ねぇ。アリアネル」


「…はい」


 優しい殿下の声に顔を上げた。彼はいつもの表情に戻ってこんな事を言う。


「できるならのお願いだけど、今日話した事、君が言った事も俺が言った事も全部忘れてアイオライトの事を考えて上げて欲しい」


「…」


「断るとしても、それは気にしなくていい。自分の気持ちに正直に返事をして上げて」


「…はい」


 素直にそう返事をできる程、彼は私の憂いを綺麗に消してくれた。その私に彼が言う。


「君は自分の幸せだけを考えて。もう十分に皆を救ってくれたんだ。今後、もしもこの国の事で何か問題があれば、それをどうにかするのは俺の役目。信じて見守って」


 不思議な事を言う。そう思ったけれど深くは考えなかった。だから私は「はい」と返事をした。






 それから思い悩んだ夜があった。ため息が止まらない夜も、眠れない夜もあった。辛かった夜、それが恋煩いだと気付いた夜。


 そんな沢山の夜を越えて、やがてはっきりと自覚する。自分はアオが好きなんだ。好きじゃなかったらこんなに悩まない。そう気付いてほっとした。自覚したら納得した。彼を心の底から好きだった。いつの彼を思い浮かべても優しくて安心できる事に感謝した。


 それでも一瞬だけ頭を掠めた将来への不安。殿下に忘れてと言われてもかすかに残っていた滓。けれどそれを自分の手で綺麗に洗い流す。この理由で彼を拒むことはもうできない。もしも何もなくても、何かあっても、私は彼を受け入れて最後までの時間を過ごしたいと思うから。それ位彼が好き。


 腹を決めよう。と、自分に言い聞かせる。そうよ。私は神と戦った女。もしもあんぽんたんがアホ面下げてのこのこやってきたら、今回だって押し倒して首を絞めてやるんだ。そうしたら自分の力で安息を手に入れられるかもしれない。駄目で元々。それ位の気持ちでいれば気が楽だ。あんぽんたんじゃなくたって、人生いつ何があるかなんて分からないんだから。


 何よりも、あんぽんたんのせいでアオを諦めるなんて絶対に嫌。私は彼と幸せになりたいし、彼の為に最後まで抵抗する。そう思ったら素直に彼への愛を抱き締める事ができた。





 さて、それから言い出すきっかけがないまま日常は過ぎた。今までと変わらない毎日。アオも変わらない。けれどその間、今までは気付かなかった事に嫌でも気付く。


 …あれ?


 あの時感じた予感は、半分は正解で半分は間違っていた。彼は、私の事を更に甘やかしたりはしなかった。元々極甘だった。


 この人、こんなに私を甘やかしていたの?


 今までただ有難いと受け取っていた彼の行動を改めて見てみると、アオは自分をとんでもなく甘やかしていた。別に、べたべたと付きまとったり、好きだと囁いたり、物をくれる訳でもない。そんな分かり易いものではなかったし、彼があまりに自然にそれをするものだから余計に気付かなかったんだと思うけど。


 自分と歩く時には危ない側を歩いてくれて、大変な時にはそっと助けてくれる。私が興味ありそうなものを見付けて教えてくれるし、自分の好きなものも教えてくれる。嬉しそうに話を聞いてくれて、冗談も言って同意もしてくれる。楽しそうに笑顔を見せてくれて、不安になるような行動も言動もない。話しかければいつでも応じてくれて、できる限り私を優先してくれる。好きなものを覚えてくれているし、私が話したことや過去のことも良く覚えてくれている。私の事を心底信じていてくれる事も感じる。ただただ居心地が良い。


 …え? 嘘。


 私、こんなに大切にされていたんだ。それなのに何も気付かないなんて、アオも殿下も驚く筈だ。本当にすいませんでした。


「アリア」


 と、ある日アオが言った。


「…ん?」


 学校からの帰り道。馬車で帰る日もあるけれど、彼が一緒の時はこうして歩いて帰宅することもある。忙しい彼は、いつも私を家まで送ってくれる。少しも嫌がらずに。


「最近、何か変じゃない?」


「へ? 変? て? 何が?」


「何がって言われると…うーん…」


「…」


 そんな事無いですよー? と、笑って誤魔化してみたけど駄目だった。


「もしかして俺のこと意識してる?」


「うぐ」


 意外にデリカシーの無い発言。これってもしかしてアオの欠点!? と、思ったけど。


「そうだったら嬉しい」


 そう言って笑った彼にかき消される。


 神様。と、うっかり思って取り消した。あのあんぽんたんに、このもどかしい恋心を感謝する気はない。


 基、えー、神様? あなたもアオくらい素敵な人だったらあんなにがさつな殺人計画を立てなかっただろうし、そうしたら私だって違う対応したと思うし、だからって未来は殺させなかったけれど、もう少し落ち着いて話ができた筈だわ。少なくとも初対面で馬乗りになって罵声を浴びせながら首を絞めたりしなかった筈。だから殺人未遂については罪を問われなくても良いよね? それに送り先を間違えたのだってそっちの過失なんだから、これだって見逃してくれても良いよね? 来たって絶対に大人しく言うこと聞かないし、全力で抵抗するからまた首絞められて今度こそ息の根止められても文句言いっこ無しだよ。あなたにはあなたの言い分があるんだろうけれど、こっちだって今回は手放したくないものが山ほどあるんだもん。


 …だからできれば来ないでよ。あんぽんたん…じゃなかった…こほん。えーと、神様。


 けれど今回もあんぽんたんからは何の返事もなかった。


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