第8話:センター候補は、ガチムチ女剣士だった
翌朝、俺は一人で街へ出た。
フィリアは朝から建築ギルドとの打ち合わせで動けないという。「アキ様の御不在中も聖域の整備は寸分の妥協なく進めます!」と目を輝かせていたので、任せておくことにした。あいつに段取りを任せると、なぜかいつも予定の二割増しで仕上がってくる。
で、俺がなにをしているかというと。
「……また来てる」
昨日と同じ、武器屋の軒先だった。
レナ・ドルゲスは、昨日とまったく同じ場所に立っていた。同じ姿勢で、同じナイフを、同じ目で見ていた。
変わったのは、陽の傾きだけだ。
「……」
俺はしばらく離れたところからその背中を眺めた。
断られた。それは昨日の話だ。
だが「変な奴」と言いながら、今日もここに来ている。昨日あの場所でメモを渡してから、用心棒の仕事があるはずなのに、足がここへ向かっている。
――それはどういうことか。
答えは単純だ。
気になっているんだ。俺が言ったことが。
「よし」
俺は歩き出した。
◇
「また来たのか」
俺の足音を聞いて、レナは振り返りもせずに言った。
「ああ」
「……懲りないな」
「諦めが悪いのは昔からだ」
レナがようやく振り返った。切れ長の目が、值踏みするように俺を見る。
「お前、昨日も言ってたな。あたしの目が気になるって」
「そう言った」
「何がそんなに気になる」
俺は少し考えてから、正直に答えた。
「そのナイフの隣に置いてある笛が気になってる」
レナの肩が、ぴくりと動いた。
武器屋の棚の端。ナイフの隣に、小ぶりな木の笛が一本立ててあった。安物だ。傷も多い。だが、棚の中でそれだけ明らかに浮いていた。武器屋に、楽器はふつう置いてない。
「……店主に頼んで置いてもらってる」
「ああ」
「誰かに頼まれたわけじゃない。ただ……目に入ると、落ち着くから」
「吹くのか」
「……昔は」
それだけ言って、レナは黙った。
俺も黙った。
風が路地を抜けて、棚の上の笛をかすかに揺らした。
「昨日の夜、考えてくれたか」と俺は聞いた。
「は?」
「昨日渡したメモのことだ。聖歌隊の」
「……別に」
「嘘だろ」
「なんで」レナが眉根を寄せる。
「今日もここに来てるからだ」
レナは舌打ちこそしなかったが、視線を笛の方へ逃がした。それが答えだった。
「あたしには無理だって言っただろ」
「それは聞いた」
「歌って踊って、人前に立って――そういうのは、もっと華やかな奴がやることだ。あたしは剣を持って立ってるのが一番マシな人間なんだ」
「センターに立つのに、華だけが必要だと思ってるのか」
レナが俺を見た。
「ステージってのはな」
俺は続けた。
「音だけで成り立ってるわけじゃない。圧で成り立ってる部分がある。何百人って観客が最前列に押し寄せてくる中で、それでもそこに立って、全部引き受けて、それでも歌える奴が、本物のセンターなんだ」
「……」
「お前の身体には、その圧がある。昨日見てわかった。あの立ち姿は、何千人の前でも揺れない。そういうのは、いくら練習しても作れるもんじゃない。最初から持ってる奴だけが持ってるもんだ」
レナはしばらく、俺の顔を見ていた。
「買いかぶりすぎだ」
「そうは思わない」
「お前は昨日今日会っただけで、あたしの何がわかる」
「目と立ち姿だけで十分だ。俺は何百人とそういう目を見てきたから」
「何百人って……」
「俺は前世では伝説のトップヲタだったんだ」
「……また、わけのわからないことを」
「気にしなくていい。ただ、俺は人を見る目だけは本物だ」
レナはため息をついた。長い、深い息だった。
「……一つだけ聞いていいか」
「ああ」
「聖歌隊って、本当に人前で歌って踊るのか」
「そうだ」
「大勢の前で?」
「最終的には何千人の前でやる予定だ」
「……正気か」
「至って正気だ」
「あたしはそんな場所に立ったことは――」
「あるだろ」
俺は言い切った。
レナが黙る。
「A ランクの冒険者が半年で引退した。それだけの腕を持った奴が、何の理由もなく剣を置いて、武器屋でナイフを眺める日々を送るとは思えない。何かあったんだろ。俺はまだその話を聞いていないし、聞く権利もない。だが――」
俺はレナの目を、真っ直ぐ見た。
「その笛、まだ吹けるか?」
長い、長い沈黙があった。
路地の奥で、子供たちの声が遠く聞こえた。
「……わからない」
レナはようやく、そう言った。
「わからない、か」
「ずっと、吹いていない。もう吹けないかもしれない」
「試したのか」
「……怖かった」
その言葉は、ほとんど声にならなかった。
元Aランク冒険者が、怖かったと言った。その言葉の重さを、俺はちゃんと受け取った。
「そうか」
俺は棚の笛に目をやった。
傷だらけの、小ぶりな木の笛。
「じゃあ、一緒に試してみるか」
「……え?」
「怖いなら一人でやらなくていい。俺が隣にいる。聖歌隊の練習もそうだ。最初から一人で立てなんて言わない。全員で一緒に立つ」
レナは俺を見た。それから笛を見た。それから、また俺を見た。
「……お前は本当に、変な奴だな」
「よく言われる」
「断ったんだぞ、昨日」
「知ってる」
「それでも来るのか」
「推しのために組む聖歌隊のセンターは、お前以外に考えられないと思ったから来た。それだけだ」
◇
しばらくの間があった。
レナは笛を手に取った。
棚から、そっと。両手で包むように。
「……久しぶりに持った」
「どのくらい振りだ」
「……半年。引退してから、触れなかった」
「そうか」
レナは笛を見つめたまま、ゆっくりと息を吸った。
唇に当てた。
目を閉じた。
最初の音は、かすれた。
それでも音は出た。小さく、震えるような音が、路地に流れた。
二音、三音。少しずつ、音が安定してくる。
メロディにはなっていない。ただの音の連なりだ。でも、その音には確かに何かがあった。
俺は黙って聞いた。
フィリアがいたら「これはワシンジの共鳴音……!」とか言い出すところだが、今は一人だ。ただ路地に響く、その音だけがあった。
レナは笛を唇から離した。目を開けた。
「……出た」
「ああ」
「出た、な」
「出たな」
レナはゆっくりと、棚に笛を戻した。いや、戻そうとして――止まった。
そのまま、手の中に持ち続けた。
「……一回だけ、やってみる」
「おう」
「一回だけだ。気に入らなかったらすぐ帰る」
「それでいい」
「あと、歌えるかどうかはわからない」
「わからなくていい。まず来い」
「……それと」
レナは少し間を置いた。
「その笛、買っておく」
「ああ」
「べ、別にお前に言う必要はないんだが」
「そうだな」
レナは武器屋の中へ入っていった。
俺は外で待ちながら、空を見上げた。
雲が一枚、ゆっくり流れていく。
「……おい、なんだ」
背後から声が聞こえた。
振り返ると、武器屋の前の路地に、いつの間にか人だかりができていた。通りがかりの露天商、買い物帰りの主婦、昼飯前の冒険者らしい男たち――十人、いや二十人近くが、じっとこちらを見ている。
中のひとりが「さっきの聖下だよな?」と隣に耳打ちした。
ああ、そういえば俺の顔はギルバートで知れ渡ってるんだった。
「見世物じゃないぞ」と言おうとした、その瞬間。
俺の懐のサイリウムが、かすかに脈打つのを感じた。
いや、正確には脈打ったわけじゃない。ただ、俺の中で何かのスイッチが入っただけだ。
――そうだ。これは「現場」だ。
まだ聖歌隊は結成されていない。教会はまだ工事中だ。箱も整っていない。
だが今、レナという「光るもの」を持った人間が、半年ぶりに笛を手にした。
それは、れっきとした「現場」じゃないか。
「……チッ、仕方ない」
俺は懐からサイリウムを抜いた。
大閃光ウルトラオレンジが、昼の陽光の中でもはっきりと輝く。
野次馬たちがどよめいた。「聖下だ!」「サイリウムが光ってる!」
俺はサイリウムを軽く頭上に掲げた。
「聞けよ、お前ら!」
路地に声が響く。
「今この街で、光の女神ルミナの聖歌隊を作ってる! 世界で一番の奉納演舞を、この街のど真ん中でやるつもりだ!」
「「「おおっ!?」」」
「信じられないか? 信じなくていい! だが覚えておけ――この街から本物が生まれる瞬間を、お前たちは今日ここで目撃した!!」
ドパァン! とサイリウムが閃光を放った。
路地全体が、一瞬、真昼の太陽より明るくなった。
野次馬たちが悲鳴とも歓声ともつかない声を上げて後ずさる。
そこへ、武器屋から出てきたレナが俺を見た。
手には、例の木の笛。
「……何をやってるんだお前は」
「宣伝だ」
「宣伝」
「聖歌隊の。センターが決まったから、思わず」
レナは俺を見て、野次馬を見て、また俺を見た。
「……やっぱり変な奴だな」
「よく言われる」
「「「聖下ーーー!!」」」
野次馬たちが一斉に歓声を上げた。フィリアがいたら間違いなく「これぞワシンジの開幕宣言……!!」と号泣していたところだ。
レナは呆れたような、それでいてわずかに口元がゆるんだような、なんとも言えない顔をしていた。
その手の中には、しっかりと笛が握られていた。
――よし。
センター、一人目、確保だ。
◇
「アキ様ァァァァ!!」
教会へ戻った俺を、フィリアが血相を変えて出迎えた。
「どこへ行っておられたのですか! 今朝から連絡が取れなくて……! まさか邪悪な勢力に拉致されたのかと、捜索の手配を――」
「ちょっと街を歩いてただけだ」
「それならそうと仰ってください……! それで、その、収穫はあったのですか?」
「ああ。聖歌隊のセンターが決まった」
フィリアが目を丸くした。
「ほ、本当ですか!? どのような御方を……!」
「レナ・ドルゲス。元Aランク冒険者だ」
「あ、あの『鉄壁のレナ』の……!?」
どうやら冒険者としてはそれなりに名の知れた相手だったらしい。フィリアが両手を口元に当てて驚いている。
「センター、というのは……古代語で『中心にして核となる者』という意味ですね!? つまりアキ様は、あの御方を聖歌隊の要たる役に……!」
「そういうことだ」
「な、なんと……! あの圧倒的な存在感……! 確かに、ワシンジの加護を受けし闘神の巫女にしか見えません……!! アキ様の御眼力、さすがでございます……!」
「まあな」
俺は礼拝堂に入り、ルミナ像を見上げた。
欠けた右腕の女神は、今日も変わらず微笑んでいた。
「ルミナちゃん、一人目が来るぞ」
足場に覆われた教会の外では、職人たちが槌を打つ音が続いている。
箱が整って、センターが来る。
次は、残りのメンバーだ――。




