第60話:バルトロ、まさかの大活躍
「聖下、少し、お耳に入れたいことが」
その日の夜、バルトロが、珍しく真剣な顔で、俺のもとを訪れた。
「どうしました」
「実は、ここ数日、集落のあちこちで、話を聞き回っておりました」
バルトロは、そう言うと、懐から、小さな帳面を取り出した。行商人らしく、細々とした情報を書き留めていたらしい。
「記念品が売れなかった間、暇を持て余しておりましてな。せっかくなので、各集落を回って、いろんな方々と、世間話をしておりました」
「世間話、ですか」
「はい。商売柄、人の懐に入り込むのは、得意なもので」バルトロは、少し得意げに笑った。「大人には売れずとも、話は聞けます。子供に護符を売った縁で、その親御さんとも、随分、打ち解けましてな」
「そこから、何か分かったんですか」
「はい。聖歌隊の受け入れに反対しているのは、主に、ジークリンデ殿の部族だと、思われていますな」
「そうですね」
「ですが」
バルトロは、帳面のページを、めくった。
「反対の本当の理由は、少し、違うようです」
◇
「どういうことですか」と俺は、身を乗り出した。
「まず、大前提として」バルトロは、話し始めた。「北方の七部族は、これまで、長年にわたって、微妙な力関係の均衡を保ってきました」
「均衡」
「ジークリンデ殿の部族は、戦の強さで、他を圧倒しています。だが、それゆえに、他の部族から、常に警戒されてもいる」
「なるほど」
「フィン殿の部族が、聖歌隊の受け入れに積極的なのは、単に、そなたたちに好意的だから、というだけではありません」
バルトロは、声を潜めた。
「フィン殿の部族は、これまで、七部族の中では、比較的、小さな勢力です。もし、聖歌隊を通じて、エルドラド王国との交易が始まれば、その恩恵を、いち早く受けられる」
「勢力図が、変わる可能性がある、ということですか」
「その通りです」
俺は、その話を、しばらく反芻した。
(そうか。これは、単純な、賛成派と反対派の対立じゃない)
(力関係が変わることへの、警戒心も、絡んでいる)
◇
「では、ジークリンデ殿の部族が、頑なに反対しているのも」
「単なる、文化的な反発だけではないでしょう」バルトロは、頷いた。「もし、フィン殿の部族が、力をつければ、これまでの均衡が崩れる。それを、恐れているのだと思われます」
「……つまり、俺たちの存在自体が、部族間のパワーバランスを、揺るがしかねないってことですか」
「はい」
俺は、頭を抱えた。
「そんな複雑な事情、考えてもいませんでした」
「無理もございません。よそ者には、見えにくい事情ですから」バルトロは、少し得意げに笑った。「ですが、わたくしのような、あちこちを渡り歩く行商人には、こういう機微が、自然と見えてくるものでして」
◇
「では、どうすればいいと思いますか」
俺が聞くと、バルトロは、しばらく考え込んだ。
「一つ、提案がございます」
「なんですか」
「聖歌隊が、特定の部族だけを利するものではない、ということを、はっきりと示すのです」
「具体的には」
「例えば」バルトロは、身を乗り出した。「交易が始まった際の利益を、七部族すべてに、公平に分配すると、明言してはいかがでしょう」
「そんなこと、俺たちに、約束できるんですか」
「聖下が、そう望むと表明すれば、王国側も、無下にはできますまい。聖下は、王妃陛下の恩人であり、国王陛下の信頼も厚い」
俺は、その提案を、じっくりと考えた。
「……確かに、それなら、フィンさんの部族だけが得をする、という構図にはならない」
「その通りです」
「ジークリンデの部族の懸念も、少しは、和らぐかもしれない」
「はい」
俺は、バルトロを見た。
「バルトロさん、本当に、ただの行商人じゃなかったんですね」
「どういう意味でしょう」
「もっと、ただの調子のいい商売人だと思ってました。すみません」
バルトロは、少し照れたように笑った。
「わたくしとて、伊達に、あちこちの町を渡り歩いてきたわけではございませんので」
◇
翌日、俺は、長老会議に、この提案を持ちかけた。
「七部族すべてに、公平な利益を分配する」
その言葉に、長老たちの間に、目に見えて、動揺が広がった。
「それは、真か」とグドムンドが、慎重な声で聞いた。
「はい。この提案は、王国側とも、正式に交渉するつもりです」
俺は、はっきりと言った。
「俺たちは、特定の部族の力を強めるために、ここに来たわけじゃない。全部族と、良い関係を築きたいだけです」
長老たちの間に、これまでとは違う、静かなざわめきが広がった。
これまで沈黙を守っていた長老の一人が、初めて、口を開いた。
「我らの部族は、これまで、他の部族の陰に、隠れるようにして生きてきた。力を持たぬ者は、常に、割を食う。それが、この地の理だった」
「その理を、変えたいと思っています」
「異国の者の、口約束だけで、信じろというのか」
「口約束じゃなく、正式な取り決めとして、残します。文書に記録して、王国側にも、確約させます」
長老は、しばらく、俺を見つめていた。
「……検討には、値するかもしれぬ」
ジークリンデが、俺を見た。
その表情は、これまでのような、完全な拒絶ではなかった。何か、考え込むような、複雑な色を帯びていた。
グドムンドが、静かに、頷いた。
「本日のところは、これまでとする。各部族、持ち帰り、検討されよ」
その一言に、俺は、小さな手応えを感じた。
長老会議の空気が、確かに、少しずつ、変わり始めていた。
◇
会議を終え、宿舎に戻ると、フィリアたちが、心配そうな顔で待っていた。
「アキ様、いかがでしたか」
「手応えは、あった」と俺は答えた。「すぐに結果が出るわけじゃないが、少なくとも、門前払いじゃなくなった」
「よかった……!」とミレイが、胸を撫で下ろした。
「バルトロさんの調査のおかげだ」
俺がそう言うと、レナが、意外そうな顔をした。
「あの調子のいい行商人が、そんな役に立つとはな」
「本人の前で言うなよ、それ」
「聞こえてますよ」とバルトロが、少し不満げに、宿舎の入口から顔を出した。
「わたくしとて、日頃から、ちゃんと働いておりますので」
「知ってる知ってる」とレナが、笑いながら手を振った。
その和やかな空気に、俺は、少しほっとした。
シルが、窓の外を見つめていた。雪は、まだ、静かに降り続いていたが、その表情は、どこか穏やかだった。
「氷、とける?」
シルが、ぽつりと聞いた。
「溶けるといいな」
俺は、そう答えるしかなかった。
だが、その言葉には、確かな手応えが、込められていた。
◇
「バルトロさんのおかげです」
俺が、そう言うと、バルトロは、照れくさそうに、頭をかいた。
「いえいえ、聖下の決断があってこそです」
「でも、あの情報がなければ、俺、ずっと的外れな対話を続けてたと思います」
「まあ、それを言うなら」バルトロは、少し得意げに、胸を張った。「わたくし、口だけは達者ですが、こういう、人と人との間を取り持つのは、案外、得意でして」
「意外でした」
「よく言われます」
バルトロは、そう言って、笑った。
その笑顔に、俺は、これまでとは違う、何か信頼のようなものを感じた。
空回りしてばかりだった行商人が、思わぬところで、大きな力を発揮した。
北方の氷が、また一つ、溶け始めていた。
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