第59話:美しき戦士、剣を交える
「約束通り、力を示す」
試練の儀を三日後に控えたその日、ジークリンデが、静かにそう告げた。
「レナ、お前と戦う」
「望むところだ」
レナが、剣の柄に手をかけながら、不敵に笑った。
集落の広場に、その知らせは、瞬く間に広がった。北方最強と噂される戦士と、異国の女戦士の模擬戦。長老たちも、戦士たちも、そして、フィンの部族の人々も、続々と広場に集まってきた。
「大丈夫でしょうか、レナさん」とミレイが、心配そうに呟いた。
「大丈夫だろ、多分」と俺は答えた。「レナも、伊達に鉄壁のレナって呼ばれてたわけじゃない」
「それは、そうですけど……」
シルも、心配そうに、その様子を見守っていた。ツバキは、扇を握りしめたまま、じっと広場の中央を見つめている。
俺は、その人だかりの中に、グレーテの姿を見つけた。
彼女は、少し離れた場所で、俯きがちに立っていた。だが、その視線は、まっすぐに、姉であるジークリンデに向けられていた。
◇
広場の中央で、二人が対峙した。
ジークリンデは、大振りの剣を、静かに構えた。レナも、自分の剣を、正眼に構える。
「怪我をさせても、恨むなよ」とジークリンデが言った。
「望むところだって言っただろ」
その一瞬後。
二人は、同時に、地を蹴った。
剣戟の音が、広場に響き渡った。
ジークリンデの剣は、鋭く、無駄がなかった。研ぎ澄まされた技術が、一撃一撃に込められている。対するレナの剣は、より豪快で、力強い。だが、その一撃には、確かな重みがあった。
「速い……!」
観客の一人が、思わず声を上げた。だが、周囲の視線に気づき、慌てて口をつぐんだ。それでも、その驚きの色は、消えなかった。
俺は、その光景を、固唾を呑んで見守っていた。
前世でいえば、これは、まさに、格闘技の頂上決戦だった。技術と力、二つの異なる強さが、真正面からぶつかり合っている。
◇
剣戟は、五分、十分と続いた。
二人とも、息が上がり始めていた。だが、どちらも、退く気配を見せなかった。
「あんた、思ったより、粘るな」とレナが、汗を拭いながら言った。
「お前もな」
ジークリンデの声にも、わずかに、息の乱れがあった。
長老たちの間からも、次第に、感嘆の声にも似た、微かなどよめきが漏れ始めていた。表立って歓声を上げる者はいなかったが、その視線には、明らかな驚きと、興味の色が宿っていた。グドムンドでさえ、腕を組んだまま、身を乗り出すようにして、その戦いを見つめていた。
その時、ジークリンデの剣が、レナの剣を、大きく弾き飛ばした。
レナの体勢が、崩れる。
ジークリンデの剣先が、レナの首元に、迫った。
「……勝負あり、か」
だが、その瞬間。
レナは、崩れた体勢のまま、地面を転がるようにして、ジークリンデの足元に、剣を薙いだ。
ジークリンデが、慌てて飛び退く。
「……なるほど。最後まで、諦めないタイプか」
「悪いか」
レナが、立ち上がりながら、にやりと笑った。
その光景に、周囲から、小さなどよめきが起こった。
◇
戦いは、さらに激しさを増していった。
互いの剣が、幾度となく交錯する。時に鋭く、時に力強く。二人の戦士の間に、言葉を超えた何かが、確かに、通い合っているように見えた。
グレーテは、その様子を、食い入るように見つめていた。
俺は、彼女の隣に、そっと近づいた。
「大丈夫か」
グレーテは、俺の存在に気づき、はっとした顔をした。
「……はい。ただ、少し、驚いていて」
「何にだ」
「お姉ちゃんが、あんなに、真剣に、誰かと向き合っているところ。久しぶりに、見た気がします」
その言葉に、俺は、少し胸を突かれた。
「昔は、よく、稽古相手と、ああやって、笑いながら戦っていたのに」
グレーテの声が、少し震えていた。
「最近は、いつも、一人で、黙々と剣を振っているだけで」
「今日の戦いを見て、どう思う」と俺は聞いた。
グレーテは、しばらく、考えるように、視線を戦いに戻した。
「……嬉しい、です。でも、少し、複雑でもあります」
「複雑?」
「お姉ちゃんが、あんな顔をするのを見られて、嬉しい。でも、同時に、わたしといる時は、ああいう顔を、見せてもらえなかったんだなって、思ってしまって」
その言葉に、俺は、何も言えなかった。
俺たちは、再び、戦いに視線を戻した。
ジークリンデの表情に、俺は、何か、変化を感じ取った。
これまでの、冷たく平坦な表情ではなかった。剣を交えるたびに、わずかに、頬が紅潮している。息が乱れ、汗が滴っている。
それは、感情を抑え込んでいるようには、もう、見えなかった。
◇
「もう一撃、いくぞ」
レナが、剣を構え直した。
「望むところだ」
ジークリンデも、剣を構え直す。
その顔に、俺は、確かに、笑みのようなものを見た気がした。
一瞬だけの、ごく僅かな、変化。
だが、それは、確かに、そこにあった。
二人が、再び、地を蹴った。
激しい剣戟の音が、広場に響いた。
その音に合わせるように、グレーテの口から、思わず、言葉がこぼれた。
「……頑張れ」
小さな呟きだった。隣にいた俺にしか、聞こえないほどの。
だが、グレーテ自身が、その言葉に、誰よりも驚いた顔をしていた。
「わたし、今……」
グレーテは、震える手で、自分の口元を押さえた。
「……人前で、こんなこと」
その目に、涙が滲んでいた。
北方では、感情を表に出すことは、恥とされる。まして、戦の原因とされた自分が、公の場で、誰かを応援するなどということは、許されないと思い込んでいたのだろう。
「いいんじゃないか」
俺は、静かに言った。
「誰かを応援したいって気持ちを、恥じる必要なんてない」
「でも、わたしは……」
「掟で禁じられてるのは、歌うことだろ。応援することまで、禁じられてるわけじゃない」
グレーテは、はっとした顔で、俺を見た。
「……そう、ですね」
その声は、まだ小さかったが、さっきよりも、少しだけ、しっかりしていた。
グレーテは、涙を拭いながら、もう一度、姉の戦う姿を見つめた。
その視線は、これまでよりも、少しだけ、真っ直ぐになっていた。
◇
戦いは、結局、決着がつかないまま、両者が剣を収める形で終わった。
「……引き分け、か」とジークリンデが、息を切らしながら言った。
「悪くない結果だ」とレナが、笑った。
二人は、しばらく、互いを見つめ合っていた。
そこには、これまでにない、何か、通じ合うものがあった。
俺は、その光景を見ながら、グレーテの、あの小さな「頑張れ」という声を、思い出していた。
北方の氷は、まだ、完全には溶けていない。
でも、確かに、その一角から、少しずつ、溶け始めている。
そんな予感が、俺の中にあった。
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