第58話:歌を封じた少女、名を明かす
「アキ様」
その日の午後、フィンが、少し思い詰めた顔で、俺のもとを訪れた。
「グレーテのことで、話がある」
「グレーテの……」
「本人が、あなたと話したいと言っている」フィンは、そう言うと、周囲を軽く見回した。「他の者には、聞かれたくない、とも」
俺は、フィリアと顔を見合わせた。
「何か、心当たりがあるんですか」と俺は、フィンに聞いた。
「多少はな」フィンは、少し言い淀んだ。「グレーテは、私の部族で預かっている子だ。だが、あの子の抱えているものについては、私も、詳しくは踏み込まないようにしてきた」
「踏み込まない」
「彼女自身が、話したいと思うまで、待つべきだと思っていたのでな」
その言葉に、俺は、フィンの誠実さを感じた。
「分かりました。会いに行きます」
◇
川のほとりに、グレーテは、一人で座っていた。
前に会った時と、同じ場所だった。
「呼んでもらって、悪かったな」
俺が声をかけると、グレーテは、小さく頷いた。
「……いえ。わたしが、お願いしたので」
「話したいこと、って」
グレーテは、しばらく、川面を見つめていた。
やがて、ぽつりと、口を開いた。
「わたしの、姉のこと」
「ジークリンデか」
グレーテは、頷いた。
「知って、ますか。わたしが、姉の妹だって」
「フィンさんから、少しだけ」
「……そうですか」
グレーテは、それから、長い沈黙のあと、ゆっくりと語り始めた。
◇
「数年前、この地で、二つの部族の間に、大きな戦がありました」
グレーテの声は、震えていた。
「本当の原因は、土地を巡る対立だったと、後になって、知りました。でも、当時のわたしは、まだ幼くて」
「うん」
「わたしが、ある祭りの日に、歌を歌ったんです。ただの、子供の歌でした。でも、その歌が、敵対する部族への挑発だと、誤解されて」
グレーテの手が、震えていた。
「それがきっかけで、戦が始まったって、言われました。多くの人が、死にました」
俺は、黙って、その話を聞いていた。
「戦が終わった後、集落の人たちは、みんな、わたしを見る目が、変わりました」グレーテは、続けた。「直接、責める人はいませんでした。でも、遠巻きに、ひそひそと話される感覚が、ずっと、ありました」
「それは、辛かっただろうな」
「長老たちは、二度と、あの歌を歌わせるな、と決めました。わたしは、それ以来、歌うことを、禁じられています」
「……それは、君のせいじゃない」
俺は、思わず、口を挟んだ。
「子供の歌が、戦争の原因になるなんて、おかしいだろ。本当の原因が、土地の対立だったなら、なおさらだ」
グレーテは、首を振った。
「頭では、分かってるんです。多分、そうなんだろうって」
「じゃあ」
「でも」
グレーテの声が、震えた。
「わたしが、本当に、苦しいのは、そこじゃないんです」
「……どういうことだ」
グレーテは、しばらく、言葉を探すように、黙っていた。
やがて、消え入りそうな声で、続けた。
「お姉ちゃんは、あの日から、変わってしまいました」
「変わった」
「昔のお姉ちゃんは、よく笑う人でした。わたしと一緒に、笑い合ったり、歌ったりしてました」
グレーテの目に、涙が滲んでいた。
「でも、あの一件以来、お姉ちゃんは、感情を、一切、表に出さなくなりました。誰よりも厳しく、自分を追い込むようになって」
「……」
「わたしのせいで、お姉ちゃんは、笑うことを、やめてしまったんです」
その言葉に、俺は、はっとした。
(そうか。グレーテが本当に苦しんでるのは、歌えないことそのものじゃない)
(姉が変わってしまったこと。それを、自分のせいだと思ってること)
◇
「グレーテ」
俺は、静かに、声をかけた。
「それは、本当に、君のせいなのか」
「……違うんですか」
「ジークリンデが、感情を表に出さなくなったのは、君が原因だと、決まったわけじゃないだろ」
「でも、あの日から」
「あの日から、いろんなことが変わったのは、事実かもしれない。でも、それを選んだのは、ジークリンデ自身じゃないのか」
グレーテは、驚いたように、俺を見た。
「選んだ、って」
「君が、無理やり、そうさせたわけじゃないだろ。ジークリンデは、多分、自分の意志で、そういう生き方を選んだんだ」
「……」
「本当のところは、本人にしか、分からない。でも、少なくとも、君が、全部背負う必要はないと思う」
俺は、少し、間を置いてから、続けた。
「前世で、こういう話を聞いたことがある。誰かが、自分のせいで、大切な人が変わってしまったって、ずっと思い込んでる話だ。でも、大抵の場合、当人同士でちゃんと話してみると、思ってたのとは、全然違う真実が見えてくる」
「違う、真実」
「うん。君が思ってることと、ジークリンデが本当に感じてることは、もしかしたら、全然違うかもしれない」
グレーテは、しばらく、黙っていた。
その目から、涙が、静かに、こぼれ落ちた。
「……分からない、です。頭では、そうなのかもって、思えても」
「うん」
「心が、まだ、納得、できてなくて」
「それでいい」
俺は、静かに言った。
「頭で分かってても、心がついてこないことなんて、いくらでもある。無理に納得しなくていい」
グレーテは、涙を拭いながら、小さく頷いた。
「……ありがとう、ございます」
その時、少し離れた場所に、人影があった。
俺は、振り返った。
ジークリンデが、そこに立っていた。
その表情は、これまで見た中で、最も、動揺しているように見えた。手にしていた剣を、いつの間にか、強く握りしめている。
「……グレーテ」
ジークリンデの声が、微かに、震えていた。
グレーテが、はっとした顔で、姉を見た。
「お姉、ちゃん……いつから」
ジークリンデは、答えなかった。ただ、その視線が、グレーテと、俺との間を、何度も、行き来していた。
二人の間に、重い沈黙が流れた。
俺は、この場に、自分がいるべきではないと、直感的に悟った。
「……俺は、席を外す」
そう言い残して、俺は、静かに、その場を離れた。
姉妹の間に、何かが、動き始めている。
だが、それを、外から無理に進めるべきではない。
それは、二人自身が、乗り越えるべきものだと、俺には分かっていた。
少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったら、ページ下部の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援していただけると、毎日の更新の励みになります!




