第57話:わたしはただ、強くなりたかっただけだ
翌日も、俺たちは、試練の儀に備えて、準備を進めていた。
演舞の練習、体力の調整、そして、少しでも北方の民に、俺たちの想いを伝える方法を模索する日々。
そんな中、レナは、時折、姿を消すようになっていた。
「レナ、どこ行ってるんだ、最近」
俺が聞くと、ミレイが、少し困った顔で答えた。
「ジークリンデさんのところに、行ってるみたいです」
「ジークリンデのところ?」
「はい。何を話してるかまでは、分かりませんが」
「気になるでありんすね」とツバキも、心配そうに言った。「二人とも、あまり多くを語らない性分でありんすから」
「確かにな」
俺は、少し気になったが、レナのことだ、何か考えがあるのだろうと思い、深くは詮索しないことにした。
シルが、宿舎の窓から、外を見つめていた。雪原の向こうに、二つの人影が、時折、見え隠れしていた。剣を交える音が、遠くから、微かに聞こえてくることもあった。
◇
その日の夕方、レナが、少し疲れた顔で戻ってきた。
「レナ、どうだった」
俺が聞くと、レナは、宿舎の椅子に、どさりと腰を下ろした。
「あいつ、思ったより、根が深い」
「根が深い、って」
「ジークリンデのことだ。あいつの過去、少しずつ聞き出してる」
レナは、そう言うと、窓の外を見た。北方の夕焼けが、雪原を赤く染めていた。
「あいつ、昔、信頼してた戦友がいたらしい」
「戦友」
「幼馴染だったって話だ。二人で、一緒に鍛錬を積んで、一緒に戦果を挙げてきた仲だったらしい」
レナの声が、少し低くなった。
「だが、ある戦で、その戦友は、ジークリンデを庇って、命を落とした」
俺は、息を呑んだ。
「……そうだったのか」
「ジークリンデは、それ以来、感情を、より一層、殺すようになったらしい。悲しみも、怒りも、表に出さないように」
「なんで、そこまで」
「分からない。ただ、想像はできる」レナは、少し考えるように言った。「あいつ、自分が泣けば、その戦友の死が、余計に重くなる気がしたんじゃないか。悲しむことすら、贅沢だと思ったのかもしれない」
「贅沢……」
「戦友を守れなかった、っていう思いが、あいつの中で、まだ、燻ってるんだと思う」
俺は、その話を、しばらく反芻した。ジークリンデの、あの平坦な態度の奥に、そんな重い過去があったとは、想像していなかった。
◇
「なんでだろうな」とレナが、独り言のように呟いた。「ジークリンデ、その戦友のことを話すとき、少しだけ、声が揺れてた」
「揺れてた」
「ああ。あいつ、感情を表に出すことを、心底、恥じてるように見せてる。だが、本当は、感じてないわけじゃない。ただ、出さないようにしてるだけだ」
「出さないのと、感じてないのは、違う……か」
俺は、自分が、以前ジークリンデに言った言葉を思い出した。
「その言葉、覚えてるんだな、あいつ」とレナが、少し笑った。「今日、その話をしたら、妙に静かになってた」
「そうか」
俺は、少し考えてから、聞いた。
「レナは、なんでジークリンデに、そんなに構うんだ」
レナは、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりと答えた。
「似てるんだよ、あたしに」
「似てる?」
「見た目のことで、散々言われて、それを覆い隠すように、剣を振ってきた。あたしも、そうだった」
レナは、自分の手のひらを、じっと見つめた。
「あんたが、あたしに言ってくれたこと、覚えてるか。『歌い手に向いてる体格なんて、存在しない』って」
「覚えてる」
「あの言葉、あたしの中で、ずっと残ってる。だから、ジークリンデにも、似たようなことを、伝えたいと思ったんだ」
◇
「あんたの強さは、見た目とは関係ない」
その日の夜、俺は、レナと一緒に、ジークリンデのもとを訪れた。
ジークリンデは、いつものように、無言で剣を振っていた。
「また、来たのか」
「また来た」レナが、平然と答えた。「言い忘れてたことがあったからな」
「なんだ」
「あんたの強さは、見た目とは関係ない」
ジークリンデの手が、一瞬、止まった。
「美しいから軽んじられる、儚いと笑われる。そういう言葉、あたしも、散々浴びてきた」レナは、続けた。「だが、それは、あたしの強さとは、何の関係もない。あんたの強さも、同じだ」
「……」
ジークリンデは、答えなかった。
だが、その沈黙は、これまでの平坦な沈黙とは、明らかに質が違っていた。
「戦友のこと」レナが、静かに言った。「あんたのせいじゃない」
その言葉に、ジークリンデの体が、はっきりと強張った。
「……その話は、するな」
ジークリンデの声に、初めて、明確な棘があった。だが、それは、怒りというより、もっと脆い何かのように、俺には聞こえた。
「するなって言われても、あんたが、ずっとそれを引きずってるのは、見てれば分かる」
「余計な、お世話だ」
「かもな。でも、言わせてくれ」レナは、引かなかった。「あんたが、その戦友を、庇えなかったとか、間違った判断をしたとか、そういうことじゃないんだろ」
「……そうだ」
「なら、あんたのせいじゃない」
ジークリンデは、しばらく、無言だった。
「あの日」ジークリンデが、ぽつりと、口を開いた。「わたしが、油断していなければ、あの者は、死なずに済んだかもしれない」
「油断してたのか」
「……分からない。だが、そう思わずには、いられない」
「それは、後から振り返ってるから、そう思うだけだ」とレナが、静かに言った。「その場では、誰も、完璧な判断なんてできない。あたしも、昔、それで、仲間を失いかけたことがある」
ジークリンデの目が、わずかに、レナを見た。
「お前も」
「ああ。あたしのパーティにいた子が、一度、死にかけた。あたしの采配ミスで」
「……」
「死ななかったのは、運が良かっただけだ。あたしは、それ以来、ずっと、その重さを背負ってる。でも、それは、あたしのせいだけじゃない。戦場ってのは、そういうもんだ」
やがて、消え入りそうな声で、ジークリンデが、呟いた。
「……分かっている」
「分かってても、辛いんだろ」
「……」
ジークリンデは、答えなかった。
だが、その瞳に、月明かりに反射する、わずかな潤みが見えた気がした。
それは、一瞬のことだった。
すぐに、ジークリンデは、いつもの無表情に戻った。
「戻る」
そう言い残して、ジークリンデは、雪を踏みながら去っていった。
その背中を、俺とレナは、しばらく見送っていた。
「……少しは、届いたと思うか」
俺が聞くと、レナは、小さく頷いた。
「たぶんな」
北方の夜は、まだ深かった。
だが、その氷のような沈黙の奥に、確かに、何かが、少しずつ、溶け始めているような気がした。
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