第56話:ジークリンデの、美しすぎる悩み
雪が降っている。
わたしは、集落の外れで、剣を振っていた。
型どおりの素振り。何百回、何千回と、繰り返してきた動作。体に染みついた、当たり前の作業。
息が白い。汗が、額から落ちる。
それでも、止めない。
止めれば、何かが崩れる気がする。
昨日の、あの異国の男の言葉が、まだ、耳の奥に残っている。
「出さないのと、感じてないのは、違う」
そんな言葉を、これまで、誰からも、投げかけられたことがなかった。
苛立たしい。だが、なぜか、その言葉を、振り払うことができずにいる。
◇
物心つく前から、剣を握っていた。
父は、部族の長だった。娘であるわたしにも、戦士としての厳しい鍛錬を課した。
「お前は、いずれ、この部族を背負う」
そう言われて、育った。
だが、周囲の目は、いつも、違うところを見ていた。
「なんて美しい娘だ」
「戦士にするには、惜しいほどの器量だな」
「剣より、婚姻の道を選んだほうがいいのでは」
そういう言葉が、耳に入るたびに、胸の奥が、冷たくなった。
わたしは、努力を怠ったことは、一度もない。
朝は誰よりも早く起き、夜は誰よりも遅くまで、剣を振った。手のひらは、いつもひび割れ、傷だらけだった。
それでも。
「見た目通りの、儚い剣筋だな」
戦の後、そう笑われたことがある。
儚い、という言葉が、わたしの努力のすべてを、否定するように聞こえた。
◇
戦果は、確かに積んできた。
十四の歳で、初めて敵の首を取った。十六で、部族一の剣士と呼ばれる者を打ち倒した。二十歳になる頃には、この地で、わたしに敵う戦士はいなくなった。
だが、それでも。
「あの美しい戦士」
そう呼ばれることが、多かった。
強さよりも、先に、美貌が語られる。
それが、たまらなく悔しかった。
わたしは、ただ、強くなりたかっただけだ。
美しさなど、望んでいなかった。
むしろ、それは、わたしの努力を、覆い隠す、余計な布のように感じていた。
◇
妹の、グレーテのことを、思い出す。
あの子は、幼い頃から、わたしとは違い、感情を素直に表す子だった。よく笑い、よく泣き、よく歌った。
わたしは、それを、羨ましく思ったことがある。
自分には、許されないものを、あの子は、当たり前のように持っていた。
だが、それも、遠い昔の話だ。
今のグレーテは、感情をほとんど見せない。声すら、ほとんど出さない。
その変化の理由を、わたしは、誰よりもよく知っている。
だが、今は、その話をするつもりはない。
◇
「よう」
素振りを止めたわたしに、声をかけてきた者がいた。
エルドラドの女戦士、レナ。
「精が出るな」
「……何の用だ」
「別に。ただ、気になっただけだ」
レナは、わたしの隣に立った。
肩の力が抜けた、自然な立ち姿。だが、その体には、確かな鍛錬の跡があった。
「あんた、毎日、この時間に素振りしてるだろ。もう三日、見てる」
「見ていたのか」
「暇だったからな」
レナは、そう言って、少し笑った。
「あんたの太刀筋、見てて飽きない」
「……そうか」
「うまいってだけじゃない。何か、意地みたいなもんを感じる」
その言葉に、わたしは、内心、少し驚いた。
「意地」
「ああ。誰かに何か言われて、それを黙らせようとしてる剣筋だ。あたしにも、覚えがある」
わたしは、レナを、まじまじと見た。
「お前にも」
「あたしは、田舎の農村出身でな。剣を握る女なんて、変わり者扱いされてきた」
レナは、そう言いながら、自分の剣の柄を、軽く撫でた。
「見た目がどうとか、女らしくないとか、散々言われた」
「……それで」
「それで、見返してやろうと思って、剣を振り続けた。今も、その延長線上にいる」
その言葉が、わたしの中の、何かに触れた。
◇
「あんたのその剣も、似たようなもんじゃないのか」
レナが、まっすぐに、わたしを見た。
「美しいとか、儚いとか、そういう言葉を、黙らせたいんだろ」
わたしは、答えなかった。
答えられなかった、というほうが、正しいかもしれない。
「別に、責めてるわけじゃない」レナは、続けた。「あたしも、同じだったから、分かる」
「……お前は、何を言いたい」
「特に何も。ただ、あんたの剣、悪くないと思っただけだ」
その一言に、わたしは、小さく、動揺した。
これまで、そんなふうに、真っ直ぐに、剣を評された記憶が、ほとんどなかった。
いつも、美貌が先に語られ、剣の腕は、その後に付け足しのように語られる。
だが、レナの言葉には、そういう前置きが、一切なかった。
ただ、剣そのものを、見ていた。
「……お前の国の、聖歌隊とやらも、そうなのか」
わたしは、思わず、聞いていた。
「あの、光る棒を振り回す男は、何を見て、お前たちを評価している」
「アキラのことか」レナは、少し考えるように、視線を上げた。「あいつは、変わってる。誰かの見た目とか、身分とか、そういうのを、ほとんど気にしない」
「では、何を見る」
「心が、どこまで本気か。それだけだ」
その答えに、わたしは、しばらく、言葉を失った。
「……試練の儀、当日は、お前が相手をするのか」
「そのつもりだ」
「手加減はしない」
「望むところだ」
レナが、不敵に笑った。
その笑みに、わたしは、なぜか、少しだけ、心が軽くなるのを感じた。
「お前と戦うのが、少し、楽しみになってきた」
自分でも、意外な言葉だった。これまで、戦いを「楽しみ」だと感じたことは、ほとんどなかった。いつも、証明するための、義務のようなものだった。
「あたしもだ」レナが、剣の柄を、軽く叩いた。「本気でやり合える相手は、貴重だからな」
レナは、それだけ言うと、宿舎の方へと歩いていった。
その後ろ姿を、わたしは、しばらく見送っていた。
◇
雪は、まだ、降り続いていた。
わたしは、再び、剣を構えた。
素振りを、続ける。
だが、その動きは、さっきまでとは、わずかに違っていた。
誰かを黙らせるためではなく。
ただ、自分自身のために、振る剣。
そんな感覚が、初めて、胸の中に芽生えていた。
遠くで、集落の子供たちの声が、微かに聞こえた。
わたしは、その声に、少しだけ、耳を澄ませた。
少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったら、ページ下部の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援していただけると、毎日の更新の励みになります!




