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オタ芸を極めし無能、異世界で聖下と呼ばれる 〜タイガー!ファイヤー!と叫んだだけで古代の超魔法(ワシンジ)が発動する件〜  作者: シャー・アズン
第2章「聖歌隊(アイドル)、爆誕!」

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第6話:推しの「箱(教会)」は、ひどすぎた件

暗黒竜を出禁にした翌朝。


ギルバートの街は、嘘のように穏やかな朝日の中にあった。


昨日まで阿鼻叫喚のパニックだった大通りには、すでに露店が並び、馬車が行き交い、市民たちが笑顔で挨拶を交わしている。人間の日常への回復力というのは、どの世界でも変わらないらしい。


ただ一点だけ違うのは、道ゆく人々が俺の顔を見るたびに「聖下! ご加護に感謝いたします!」と深々と頭を下げてくることだ。


「……こそばゆいな」


俺――アキラは、宿屋の軒先でサイリウムを指でくるくると回しながら、頭を下げる市民のひとりひとりに「おう」とか「どうも」とか返しつつ、大通りの先を見据えていた。


目的地は、もう決まっている。


ルミナちゃんの教会だ。


「アキ様、そのように落ち着かなさそうな様子で……。もしや、昨日の奉納演舞のお疲れがまだ残っておられるのですか?」


隣を歩くフィリアが、金色の前髪をかき上げながら心配そうに覗き込んでくる。


「いや、そうじゃない。ただ……」


俺は言葉を止めた。うまく言えないな、と思った。


前世でいえば、これは推しのライブ会場に初めて足を運ぶ前夜の感覚に近い。期待と不安が胃の中でぐるぐる混ざり合って、どっちが上に来るかわからないあの感じだ。


推しの「ハコ」というのは、ヲタクにとって聖地だ。


そこがどんな場所かで、推しへの向き合い方がまるで変わる。広くて綺麗で、音響も照明も完璧で、ステージと最前列の距離が絶妙で――そういう「いい箱」なら、推しの輝きは百倍になる。


逆に言えば、箱がショボければ、それだけ推しの魅力が削られてしまう。


「……ルミナちゃんの箱が、ちゃんとした箱であってくれって祈ってるだけだ」


「な、なるほど……! 神聖な『ハコ』の中に宿る力が、女神ルミナ様の御威光を左右するということですね……! さすがアキ様、その深い洞察はやはり常人の域を超えております!」


「そういう解釈じゃないんだけどな……まあいいや、行くぞ」



ルミナ教会は、ギルバートの東区にあった。


大通りから一本外れた細い路地を抜け、古い石畳が続く坂道を登った先。周囲の建物に比べてひときわこぢんまりとした、白い石造りの建物がそれだった。


第一印象:小さい。


第二印象:古い。


第三印象:……傾いてないか、あの鐘楼。


「…………」


俺は無言で教会の全体像を眺めた。


正面の扉は木製で、塗装が完全に剥げている。石壁のあちこちにひびが入っており、蔦が好き放題に這い回っている。鐘楼は確かに微妙に右へ傾いており、鐘そのものも錆びた色をしている。入口の前には雑草が元気よく生えていて、信者が踏み固めた形跡なんて一切ない。


扉の横に、小さな木の板が打ちつけられていた。かすれた字で「光の女神ルミナ聖堂」と書いてある。


「…………」


「ア、アキ様? お顔の色が少し……」


「大丈夫だ。ちょっと待ってくれ」


俺は深呼吸を三回した。


落ち着け。落ち着くんだアキラ。


これはよくあることだ。前世でも、推しが出てくるライブハウスが地下の激狭物件だったことなんて一度や二度じゃない。箱がショボくても、そこから育てていくのがヲタクの仕事だ。むしろここからが本番だろう。


「……よし」


俺は気合を入れ直し、剥げかけた扉を押し開けた。



中に入って、さらに言葉を失った。


礼拝堂の内部は、外観に輪をかけてひどかった。


天井は高いが、あちこちに雨漏りの跡がある。長椅子は片側が完全に腐って崩れており、まともに座れそうなのは三列分くらいしかない。祭壇は石造りで年季だけは入っているが、花一輪飾られていない。


そして祭壇の奥、本来なら荘厳な神像が置かれているはずの場所に、確かにルミナ像はあった。


あったんだが。


「……なあ、フィリアさん」


「は、はい」


「ルミナちゃんの像、なんで右腕だけないんだ」


「……おそらく、修復費が出なかったのかと」


白い大理石で作られた、腰まで届く長い髪の女神像。柔らかく微笑む表情は確かに美しく、前世のルミナちゃんの面影がはっきり残っている。だが右腕が肘から先でぽっきり折れており、そこだけ生々しい断面が露出していた。


「推しの像が、欠けてる……」


俺のヲタクとしての魂が、静かに叫んだ。


「も、申し訳ありません。わたくしもまさかここまでとは……」


フィリアが珍しく言い訳のしようもない顔で俯いている。


そのとき、礼拝堂の奥の小部屋から、ぺたぺたとスリッパの音がして、一人の老人が姿を現した。


腰が九十度近く曲がっており、頭は完全に白髪。しわだらけの顔に細い目。神官服はかつて白かったのだろうが、今は全体的に黄ばんでいる。手には麦わらのほうきを持っており、どうやら掃除の途中だったらしい。


老人は俺たちを見ると、しばらくの間ぱちぱちと目を瞬かせた。


「……お客さんかね?」


声まで枯れている。


「は、はい。私はフィリア、一級魔術師でございます。こちらは――」


「俺はアキラ。アキ・ラベインだ。昨日この街を暗黒竜から救ったのが俺なんだ」


「ほほ。そうかね。昨日はえらく騒がしかったが、そういうことだったかね」


老神官は特に驚いた様子もなく、ほうきを壁に立てかけた。この爺さん、もしかして昨日の騒ぎを全部寝て過ごしたんじゃないだろうか。


「あんた、名前は?」


「ガルドじゃ。この教会の神官をもう五十年やっておる」


ガルド老神官は、よっこらせと長椅子の一つに腰を下ろした。崩れていない側を慎重に選んで座る動作が、なんとも手馴れている。


「五十年か……。で、信者は今どのくらいいるんだ?」


「わしだけじゃな」


即答だった。


「……わしだけ、というのは」


「わし一人だけじゃ。この街にルミナ様を信仰する者は、今はもうわし以外におらん。それが現実というものじゃよ」


ガルド老神官は、自嘲でも悲哀でもなく、ただ淡々と事実を述べるように言った。


礼拝堂に沈黙が落ちた。


雨漏りの跡だらけの天井。折れた腕の女神像。腐った長椅子。雑草だらけの入口。


これが、光の女神ルミナの「箱(現場)」の現実だった。


「……なるほどな」


俺は静かに言った。


「わかった。状況は理解した」


「アキ様……」


フィリアが心配そうに俺の顔を見る。


俺は祭壇のルミナ像を真っ直ぐ見つめた。白い大理石の女神は、右腕がなくても、変わらず微笑んでいた。まるで「気にしないで」と言っているような、前世のルミナちゃんがファンに向けるときの、あの困ったような優しい笑顔に似た表情で。


――ああ、ダメだこれ。


この笑顔を見たら、燃えるに決まってる。


俺の中で、何かのスイッチが静かにカチリと入った。


「ガルドさん」


「なんじゃね」


「俺、ここを世界一の箱にする」


老神官がぱちりと目を瞬かせる。


「……はて?」


「世界一の現場(教会)にするってことだ。ルミナちゃんにはそれだけの価値がある。こんな状態のまま放っておくわけにはいかない」


「ルミナちゃん……?」


「女神ルミナ様のことだ、気にしないでくれ。とにかく、まず箱を整えるところから始める。それがヲタ活の基本なんだ」


俺はそう言って、懐からサイリウムを取り出した。


「……『ヲ・タ・カツ』……!」


フィリアが後ろで息を呑む音がした。


「ヲタ活とは……まさかそれは古代語で、『御・他・活』――他者のために己の全力を尽くす、という崇高な誓いのことでございますか……!!」


「そういう解釈じゃ」


「な、なんと深い……! アキ様は今、女神ルミナ様のために己のすべてを捧げる誓約を、神前で宣言されたのですね……!!」


フィリアが感動で目を潤ませている横で、ガルド老神官がぽかんとした顔で俺とフィリアを交互に見ていた。


「……お前さんたちは、一体何者じゃね?」


「改めてだ」


俺はサイリウムをガルド老神官に向けて軽く掲げた。太陽みたいなオレンジの光が、薄暗い礼拝堂をぱっと明るく照らす。


「アキ・ラベイン。光の女神ルミナの、トップヲタ(最上位信者)だ」


「……ほほ」


老神官は一瞬きょとんとして、それから目を細めた。


「五十年この教会を守ってきたが、ルミナ様のことを、そんなに嬉しそうな顔で言う者は初めてじゃよ」


静かな礼拝堂に、老神官の枯れた声が染みるように広がった。


「五十年、誰も来なかったのか」


「来ることは来る。だが、物珍しさで覗いていくだけじゃ。最後に真剣に祈りを捧げた者がいつだったか、もう思い出せんくらいになってしまったわい」


「……そうか」


俺は改めて礼拝堂を見回した。


雨漏りの跡。腐った長椅子。雑草。欠けた女神像。


五十年分の、誰にも見られなかった時間がここにある。


「ガルドさん、一つ聞いていいか」


「なんじゃね」


「この教会、今でも好きか。ルミナ様のことが」


老神官はしばらく黙っていた。


それから、ゆっくりと頷いた。


「好きじゃよ。五十年、ずっとそれだけでやってきた」


「わかった」


俺は立ち上がり、礼拝堂の中央に立った。


「じゃあ、一緒にやろう。俺はルミナちゃんをこの世界のトップに押し上げると決めたんだ。そのためにはまず、この箱を立て直す必要がある。天井の修繕、長椅子の交換、入口の清掃、像の右腕の修復……やることは山積みだ」


「しかし、修繕には費用が……」


「それは俺がなんとかする」


どうなんとかするかはこれから考えるが、とにかく言い切った。ヲタクというのは、推しのためなら先にコミットしてから手段を考える生き物だ。


「フィリアさん」


「は、はいっ!」


「お前の一級魔術師のコネで、ギルバートの建築ギルドに話をつけられるか? 修繕の見積もりを出してもらいたいんだ」


「もちろんでございます! わたくしの名前と、アキ様の……いえ、聖下の御名をお出しすれば、ギルバート中の職人が喜んで集まってくるでしょう!」


「よし。あとガルドさん、一つ頼みがあるんだ」


「なんじゃね」


「この教会、俺に使わせてもらえないか。修繕したあと、ここを拠点にして活動したい。具体的には、ルミナ様の布教のための聖歌隊を立ち上げようと思ってる」


「聖歌隊……」


「ルミナ様の歌と踊りで、人々に女神の素晴らしさを伝えるんだ。それが俺のヲタ活(布教)計画の核心だ」


ガルド老神官はしばらくの間、折れた腕のルミナ像を眺めていた。


日の光が窓から斜めに差し込んで、女神像の白い石を柔らかく照らしている。その光の中で、ルミナの像はやっぱり微笑んでいた。


「……聖歌隊、か」


老神官がぽつりと呟く。


「かつてはあったんじゃよ、この教会にも。わしが若い頃は、ルミナ様の歌声が礼拝堂に満ちておった。あの頃は信者も多くてな……」


懐かしむような目で、礼拝堂の天井を見上げる。


「五十年前の話じゃが」


「そうか」


「……お前さんがやってくれるなら」


老神官はゆっくりと俺の顔を見た。


「ルミナ様も、喜んでくださるじゃろうな」


その言葉は静かで、しかし確かな重さがあった。


「任せてくれ」


俺はもう一度サイリウムを掲げた。


永久機関化した大閃光ウルトラオレンジが、ぱっと礼拝堂を照らす。欠けたルミナ像が、オレンジの光の中で一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、右腕があった頃の完全な姿に見えた気がした。


「……ほほ」


ガルドがまぶしそうに目を細めながら、静かに笑った。



「では早速、修繕の手配に参ります!」


教会を出るなり、フィリアが張り切った声を上げた。


「建築ギルドに加え、石工職人、大工、魔術式照明の業者……。この規模でしたら二週間もあれば十分整えられるかと。費用については、昨日の暗黒竜撃退の功績で街の商人ギルドからお礼の申し出が来ておりましたので、そちらに掛け合えば――」


「ちゃんと考えてくれてたのか」


「アキ様がコミットされた瞬間に、脳内で試算しておりました」


さらっとすごいことを言う。


一級魔術師というのは、魔術だけじゃなくて段取り力も一流らしい。


「頼む。費用の件も含めて全部任せる」


「お任せを! これぞワシンジの聖域を整える神聖作業……! 一切の妥協は許しませんッ!」


フィリアが瞳をギラギラさせながら手帳を取り出し、物凄い速度でなにやら書き込み始めた。


俺はその横で、改めてギルバートの大通りを眺める。


人の波。活気。にぎわい。


これだけの人がいる街なのに、光の女神ルミナを信じている奴が一人もいない。


「……まあ、そりゃそうか」


今の状態じゃ無理もない。あの教会を見て「信じたい」と思う人間がいたら、そっちの方がどうかしてる。


箱を整えて、聖歌隊を作って、歌を届ける。


その先に初めて、本物の布教ができる。


「地下アイドルの現場を育てるのと同じだ。最初はゼロから始めるもんだ」


俺は一度伸びをして、気合を入れ直した。


やることは多い。まず箱の修繕。次にメンバーのスカウト。聖歌隊の立ち上げ、練習、お披露目――前世のアイドルプロデューサーたちが命を削ってやってきたことを、今度は俺がやる番だ。


「ルミナちゃん、待ってろ。お前のステージを、ちゃんとした箱に用意してやるからな」


誰に聞かせるでもなく、俺は小さく呟いた。


大通りの向こうで、フィリアが建築ギルドの方向へ颯爽と歩いていく金色の後ろ姿が見えた。


さて。


ヲタ活(布教)第二章、ここから本格始動だ――。

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