第53話:行商人、氷の国で凍える
「聖下! 北方の民に、記念の品を売り込んで参ります!」
翌朝、バルトロは、そう宣言すると、荷車を引いて集落の広場へと向かっていった。
その足取りは、いつも以上に軽やかだった。だが、その服装は、あまりに軽やかすぎた。エルドラドで着ていた、いつもの派手な行商人の装いのままで、防寒着らしい防寒着を、ろくに纏っていない。
「大丈夫でしょうか、あの人」とミレイが、少し心配そうに見送った。
「大丈夫じゃないと思う」とレナが、即答した。
「なんでですか」
「昨日の、あの空気を見ただろ。あんな文化の場所で、ぬいぐるみみたいなもん売って、うまくいくわけがない」
「……それは、そうですね」
「それに、あの格好で外に出たら、商売どころじゃないと思う」
俺たちは、なんとなく、バルトロの後を追うことにした。
◇
広場に着くと、バルトロは、既に荷車を広げて、商品を並べていた。その体は、小刻みに震えていた。
推し護符。聖光棒。応援布。エルドラドで飛ぶように売れた、あの三点セットだった。
「さ、さあさあ、皆様……! 異国から届いた、心温まる品々でございます……!」
バルトロが、声を張り上げようとしたが、その声は、寒さでかすかに震えていた。歯の根が、カチカチと音を立てている。
広場を歩いていた戦士たちが、ちらりとこちらを見た。
だが、それだけだった。
誰も、立ち止まらなかった。
「あ、あの……こちらの品は、光の女神様のご加護が……!」
バルトロが、光る棒を振って見せた。淡いオレンジの光が、雪の上に反射する。
戦士の一人が、無言でその光を一瞥し、そのまま通り過ぎていった。
「……あれ?」
バルトロの声が、少し揺らいだ。
◇
一時間後。
「……売れません」
バルトロは、雪の上に膝をついていた。荷車の商品は、一つも減っていなかった。
「これほどまでとは……」
「言っただろ」とレナが、腕を組んで見下ろした。
「いや、しかし、これまで、どこの街でも、必ず何かしらは売れたのですが……」
「北方は、特殊な場所なんだ」と俺は言った。「感情を表に出すことを恥とする文化に、感情を煽るような商品は、そもそも合わない」
「うぐぐ……」
バルトロは、悔しそうな顔で、推し護符を握りしめた。
「では、どうすれば」
「無理に売ろうとしなくていいんじゃないか」
「そんな、悠長な……!」
バルトロが、勢いよく立ち上がった。
「わたくし、行商人の意地というものがございます! このまま、一つも売れずに帰るなど、あってはならないのです!」
「意地の問題か、それ」
「意地の問題です!」
俺は、その様子を見て、少し呆れながらも、なんとなく可笑しくなった。
バルトロは、それから、あれこれと戦法を変え始めた。声の抑揚を変えてみたり、商品の並べ方を変えてみたり、あるいは、口上そのものを北方風にアレンジしてみたり。
「ワシンジ聖印つき護符、いかがですかな。実用性は……ございませんが」
「実用性がないなら、いらん」
戦士の一人が、初めて口を開いてくれたが、返ってきたのは、にべもない一言だった。
「……手強い」
バルトロが、額の汗を拭いながら呟いた。真冬の中で、その汗だけは、妙に暑苦しく見えた。だが、その直後、体を大きく震わせて、今度は歯の音を鳴らした。
「さ、さすがに、この寒さは、堪えますな……」
「言っただろ、格好が薄すぎるって」とレナが、呆れた顔で言った。
「商売の時くらいは、見た目も大事でございまして……」
「見た目より命が大事だろ」
俺は、自分が羽織っていた予備の外套を、バルトロに渡した。
「これ、使え」
「よ、よろしいのですか……!」
「凍え死なれても困る」
バルトロは、震える手で外套を受け取ると、慌てて肩に羽織った。
「あ、あたたかい……! 聖下、命の恩人でございます……!」
「大袈裟だな」
「大袈裟ではございません! このまま雪原に埋もれて、氷像になっていたところでございました……!」
◇
その後も、バルトロの奮闘は続いた。
「聖光棒、いかがですか! 夜道が明るくなりますよ!」
戦士は、無言で去っていく。
「応援布、防寒にもなりますよ!」
老人が、じろりとバルトロを一瞥し、無言で去っていく。
「推し護符、御守り代わりに……!」
子供が、ちらりと護符を見た。
「あ! 坊や、これはどうかな!」
バルトロが、期待に満ちた目で、子供に護符を差し出した。
子供は、しばらく護符を見つめていた。彫られたルミナの女神像を、興味深そうに、しげしげと眺めている。
小さな手が、そっと伸びる。
「これ、光る……?」
「光るのは、こっちの棒だよ! 護符には、光る仕掛けはないけど、代わりにルミナ様のお姿が彫られていてね」
「……ほしい」
「ほ、本当かい!?」
バルトロの声が、一気に明るくなった。周りにいた大人たちが、ちらりとこちらを見たが、それだけだった。子供の素直な反応には、誰も口を挟まなかった。
「銅貨一枚でいいよ!」
子供は、ポケットから、小さな銅貨を取り出した。それを、バルトロの手に押し付けるようにして渡すと、護符を受け取り、逃げるように走り去っていった。
バルトロは、その後ろ姿を、しばらく呆然と見送っていた。
「……売れた」
「おめでとうございます」とフィリアが、拍手をした。
「一つだけですけど」とミレイが、苦笑いした。
「一つでも、売れたことに変わりはございません!」
バルトロは、その銅貨を、大事そうに握りしめた。
◇
その日の夕方までに、バルトロは、結局、五つの護符と、三本の聖光棒を売ることができた。
いずれも、買っていったのは子供たちばかりだった。大人の戦士たちは、最後まで、誰一人として商品に手を伸ばさなかった。
「大人には響かず、子供には響く、か」と俺は、その傾向を見て呟いた。
「興味深い現象ですね」とフィリアが、羊皮紙に何かを書き込みながら言った。
「子供は、まだ、感情を隠す文化に、完全には染まっていないのかもしれません」
「なるほど」
その言葉に、俺は、何か小さな希望のようなものを感じた。
子供たちの中には、まだ、素直に「ほしい」と言える心が残っている。それは、この厳しい文化の中でも、確かに存在する、柔らかい部分だった。
◇
「聖下」
夕暮れ時、広場の隅で、一人の若い男が、俺たちに声をかけてきた。
歳の頃は、二十代半ばだろうか。他の戦士たちと違い、その表情には、わずかながら柔らかさがあった。
「私は、フィンという。この地の、七部族の一つを纏めている」
「部族長、ですか」
「若輩者だがな」
フィンは、少し照れたように笑った。それは、この北方に来て、初めて見る、自然な笑顔だった。
「実は、先ほどの光景を、遠くから見ていた。あの子供が、護符を買う様子を」
「そうですか」
「正直に言おう。私は、そなたたちの演舞に、少し興味がある」
その言葉に、俺は、驚いて顔を上げた。
「興味、ですか」
「うむ。他の長老たちは、伝統を重んじるあまり、新しいものを警戒しがちだ。だが、私は、まだ若い。もう少し、柔軟に物事を見たいと思っている」
フィンは、そう言うと、周囲を軽く見回した。声を潜めるようにして、続けた。
「ここだけの話だが、私の部族の中にも、そなたたちの噂に興味を示す者が、少なからずいる。表立っては言えぬがな」
「表立っては、言えない」
「ジークリンデ殿の部族が、あまりに強い発言力を持っているのでな。逆らう空気には、なりにくい」
その言葉に、俺は、七部族の力関係を、改めて実感した。
「今日のところは、これだけだ。だが、いずれ、また話をしたい」
「ぜひ」
フィンは、小さく頷くと、足早にその場を去っていった。
俺は、その後ろ姿を見送りながら、少しだけ、光が見えた気がした。
「……味方、できそうな人が、いるかもしれないな」
「そうですね」とフィリアが、頷いた。
北方の氷は、まだ厚い。
だが、その氷の下に、確かに、溶けかけている部分もあるのかもしれなかった。
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