第52話:美しすぎる戦士は、鼻で笑う
「ジークリンデ」
その名を、俺はもう一度、口の中で反芻した。
「あんたも、この北方の戦士か」
「……」
女は答えなかった。ただ、俺のサイリウムを見つめていた。オレンジの光が、彼女の瞳に、静かに揺らめいていた。
その視線には、警戒でも敵意でもない、もっと別の何かがあった。前世でいえば、値踏みされているような、あるいは、観察されているような、そんな感覚。
「その光は、なに」
「サイリウムだ。俺の……まあ、仕事道具みたいなもんだ」
「仕事」
「歌と踊りで、心を届ける仕事」
ジークリンデの表情が、わずかに動いた。それは、笑みではなかった。むしろ、何か冷たいものが差したような、そんな変化だった。
「聞いている」
「なにを」
「異国の使者は、歌い、踊る」
ジークリンデは、感情の起伏をほとんど見せずに続けた。
「戦うことも知らぬまま」
その言葉には、明確な棘があった。
「戦うことなら、多少は知ってるつもりだけどな」
「……そう」
ジークリンデは、それだけ言うと、踵を返した。長い銀髪が、月明かりの中でひと揺れした。
「明日、見せてもらう」
「なにを」
「お前たちの、正体を」
そう言い残して、ジークリンデは、雪を踏みながら夜の闇へと去っていった。
俺は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「……なんか、とんでもないのが出てきたな」
心の中で、そう呟くしかなかった。
◇
翌日。
長老会議は、集落の広場で、再び開かれることになった。
理由は、グドムンドの一言だった。
「昨夜、ジークリンデ殿が、直接見たいと申された。ならば、この場で示すがよい」
「ジークリンデ、殿……」
俺は、その呼び方に、少し引っかかりを覚えた。
「殿、というのは」とフィリアが、小声で聞いてきた。
「特別な敬称のようです」と、隣にいたバルトロが答えた。「わたくしの記憶が正しければ……あの御方は、この地で最も戦の腕が立つと言われる部族の、長の一族かと」
「戦の腕が立つ一族……」
俺は、昨夜聞いた噂を思い出した。
(バルトロの言ってた「名うての戦士」って、まさか)
広場の中央に、ジークリンデが立っていた。
昼の光の下で見る彼女は、夜よりもさらに、その存在感が際立っていた。分厚い防寒着の上からでも分かる、鍛え上げられた身のこなし。腰には、大振りの剣が下げられていた。
その周りを、七部族の長老たち、そして何十人もの戦士たちが取り囲んでいる。
「聖歌隊とやら」
ジークリンデが、静かに言った。
「見せろ」
◇
俺は、みんなと顔を見合わせた。
「……やるしかないな」
「もちろんです」とフィリアが、深く頷いた。
「本気でいくで」とゴエモンが、腕まくりをした。
俺は、サイリウムを掲げた。
「行くぞ」
いつものように、俺たちは、演舞を始めた。
タイガー。ファイヤー。オレンジの光が、雪原に舞う。ミレイの魔力が、澄んだ音色となって空気を震わせる。レナの剣舞が、鋭い軌道を描く。シルが、光の粒を纏いながら跳ねる。ツバキの扇が、風を切る。
寒さなど、もう感じなかった。息が白く弾け、雪の上に汗の一滴が落ちても、体は止まらなかった。心を込めることに、寒暖差は関係なかった。
いつもなら、この瞬間から、観客の空気が変わる。
驚き、歓声、感動——そういう反応が、当たり前のように返ってくる。
だが。
広場は、しんと静まり返ったままだった。
戦士たちは、誰一人として、表情を動かさなかった。長老たちも、無言のまま、その光景を見つめているだけだった。
演舞が終わった。
沈黙が続いた。
やがて、ジークリンデが、口を開いた。
「……それだけ?」
その一言が、広場に、冷たく響いた。
◇
「軟弱」
ジークリンデは、短く言った。
「感情に任せて、体を振り回しているだけ。武ではない」
「武じゃない、って」
俺は、思わず言い返した。
「これは、心を届けるための表現だ。武術とは違う」
「心」
ジークリンデが、鼻で笑った。文字通り、鼻を鳴らして。
「心など、見えぬものに、何の価値がある」
「見えないから、価値がないってことにはならないだろ」
「北方では、価値はない」
ジークリンデは、剣の柄に、静かに手を添えた。
「行動でしか、示せぬものがある。涙も、笑いも、歌も——すべて、弱さの表れ」
「それは、あんたたちの文化だろ。俺たちの文化は違う」
「文化の違いなど、興味がない」
ジークリンデの声は、あくまで平坦だった。だが、その奥に、確かな強さがあった。
「見せたのが、それだけなら、認められない」
俺は、その言葉に、少しむっとした。
「じゃあ聞くけど、あんたは、感情を表に出したことが、一度もないのか」
ジークリンデの目が、わずかに、揺れたように見えた。
「……関係ない」
「関係あるだろ。人間なら、誰だって、何か感じてるはずだ。それを外に出すか出さないかだけの違いだ」
「北方の戦士は、出さない」
「出さないのと、感じてないのは、違う」
俺の言葉に、ジークリンデは、しばらく沈黙した。
その沈黙は、これまでの平坦な態度とは、明らかに質が違っていた。
俺とジークリンデの間に、張り詰めた空気が流れた。
その時、レナが、一歩前に出た。
「あんた、腕は立ちそうだな」
ジークリンデが、初めて、レナに視線を移した。値踏みするような、静かな視線だった。
「……多少は」
「あたしも、多少はやる」
レナが、剣の柄に手をかけた。
二人の間に、無言の緊張が走った。武人同士だけが分かる、何かの気配だった。誰も口を挟めない、張り詰めた沈黙が、広場を包んだ。
ジークリンデの視線が、レナの構えを、じっくりと検分するように動いた。剣の柄の握り方、重心の置き方、視線の配り方。それだけで、何かを読み取ろうとしているようだった。
「……面白い」
ジークリンデが、ぽつりと言った。それは、初めて彼女が見せた、感情らしい感情だった。
「お前は、少し違う」
「どう違うんだ」
「行動で、語ろうとしている」
ジークリンデは、それだけ言うと、俺の方に向き直った。
「聖歌隊とやら」
「なんだ」
「歌や踊りが、本当に力を持つというなら」
ジークリンデの瞳が、まっすぐに俺を見据えた。
「力を、示せ」
「……力って、具体的には」
「それは、お前たちが考えろ」
ジークリンデは、それだけ言うと、踵を返した。
戦士たちが、彼女に続いて、静かに散っていく。
広場には、俺たちと、困惑した表情の長老たちだけが残された。
「……なんか、めちゃくちゃハードル上げられたな」とレナが、苦笑した。
「ですね……」とミレイが、ため息をついた。
ツバキが、去っていったジークリンデの背中を見つめながら、小さく呟いた。「あの御方、なんというか……底が見えないでありんすね」
「底が見えない、か」
「はい。ただ厳しいだけではない、何かを、内側に、深く抱えていらっしゃるような」
俺は、その言葉に、少し考えさせられた。ツバキの言う通りかもしれない。ジークリンデの平坦な態度の奥には、単なる文化的な信条以上の、何か個人的なものが潜んでいる気がした。
俺は、ジークリンデが去っていった方向を、しばらく見つめていた。
(力を示せ、か)
まだ、答えは見つからなかった。
でも、逃げるつもりは、なかった。
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