第50話:北の国は、笑わないらしい
「北方部族連合について、調べられる限りのことを、まとめて参りました」
出発を三日後に控えたその日、フィリアが分厚い羊皮紙の束を抱えて座敷に現れた。「王宮の文献庫と、商人組合の記録、両方から集めた資料です」
「助かる。読ませてくれ」
俺は、その束を受け取った。一枚目には、簡素な地図が描かれていた。エルドラド王国の北端から、さらに北へ延びる広大な土地。針葉樹の森が黒々と塗られ、その奥に「永久凍土地帯」と注釈のついた白い区域が広がっていた。
「これが、北方部族連合か」
「はい。王国とは、これまでほとんど交流がなかった地域です。文献も、驚くほど少のうございました」
「それだけ閉ざされてるってことか」
「そのようです」
俺は、次の羊皮紙をめくった。そこには、北方の文化についての記述があった。
「……なんだこれ」
俺は、思わず声を上げた。
「どうかなさいましたか」
「『感情を昂らせることは、恥である』って書いてある」
「はい。北方部族連合の根本的な気風のようです」
俺は、続きを読んだ。
『北方の民は、喜怒哀楽を表に出すことを、戦士としての未熟さと見なす。涙を見せることは敗北の証であり、大声で笑うことは軽薄の証である。すべての感情は、内に秘め、行動でのみ示すべきものとされる』
「……つまり」
俺は、羊皮紙から顔を上げた。
「歌って踊って感情爆発させる俺たちは、完全にアウトってことか」
「その可能性が、高いかと」
座敷に、重い沈黙が落ちた。
◇
「わっちの歌、届くでありんしょうか……」
ツバキが、青ざめた顔で呟いた。「感情を昂らせることを恥とする方々に、心を込めた歌が、通じるのでありんすか」
「分からない」と俺は、正直に言った。
「分からない、って」
「今までも、分からないまま突っ込んできた。ヤマトのときもそうだった」
「それは、そうでありんすが……」
ツバキの声が、小さくなった。「わっちは、まだ歌い始めて日が浅いでありんす。もし、北方の地で、心を込めた歌が届かなかったら……」
「届かなかったら、どうする」
「……分かりんせん」
俺は、ツバキの目を見た。「届かなかったら、また考える。それだけだ」
「それだけ、でありんすか」
「そうだ。俺たちは、いつもそうやってきた。宵ノ國でも、王宮でも、最初から上手くいったことなんて一度もない」
ツバキは、しばらく黙っていた。それから、小さく頷いた。
「……そうでありんしたね」
「今度も、きっと同じだ」
◇
「レナ、笑わない文化、どう思う」とミレイが、隣で聞いた。
「別に。あたしも普段、そんなに笑わないし」とレナが、腕を組みながら答えた。
「そういう問題じゃないと思います」とミレイが、すかさず突っ込んだ。
「そうか?」とレナが、心底不思議そうな顔をした。
「そうですよ!」
そのやり取りを横目に、シルが、静かにサイリウムを抱きしめていた。それから、地面に指で文字を書いた。
「わたしも、こわい」
「シルさんもですか……」とミレイが、少し驚いた顔をした。
シルは、小さく頷いてから、続けて書いた。
「でも、アキが、いつもだいじょうぶって、いう」
その一言に、座敷の空気が、少し和らいだ。
「そうだな」と俺は言った。「大丈夫だ。多分」
「多分なんですか……!」とミレイが、ずっこけた。
「多分としか言えない。行ったことないんだから」
「それはそうですけど……!」
その時、庭の方から、やたら明るい声が響いてきた。
「聖歌隊様ー! お邪魔しますよー!」
バルトロが、荷車を引いて庭に入ってきた。
「バルトロさん、今日は何の用ですか」
「実は、北方行きについて、耳寄りな話がありましてね」
バルトロは、にんまりと笑った。「わたくし、北方にも、いくらか顔が利くんですよ」
「本当ですか」
「はい! 商売柄、あちこち回っておりますので。北方の民とも、多少の付き合いがございます」
「それは、心強いな」
「でしょう? というわけで」
バルトロは、両手を揉み合わせた。「わたくしも、北方行きに同行させていただけないかと」
「……記念品の商売、向こうでもやる気ですか」
「もちろんです! いや、それだけでなく」
バルトロの顔から、一瞬、いつもの軽薄な笑みが消えた。「聖下たちが、あの厳しい地でどう戦われるのか。見てみたいという気持ちも、正直ございます」
その言葉に、俺は少し驚いた。
「意外と、まともなこと言うんですね」
「わたくしとて、たまにはまともなことを申します」
バルトロは、また、いつもの調子で笑った。
「では、同行、お願いしていいですか」
「お任せください! 道中の食料調達から、北方語の簡単な通訳まで、なんでもいたしますよ!」
「北方語、話せるんですか」
「片言ですが」
「それは頼りになる」
俺は、フィリアと顔を見合わせた。フィリアも、少し安堵した顔をしていた。
◇
出発の前夜、教会の座敷に、全員が集まった。レナ、ミレイ、シル、ツバキ、フィリア、ゴエモン、そしてバルトロ。ガルドが、いつものシチューとパンを、少し多めに用意してくれていた。
「明日から、また長い旅になるのう」
ガルドが、目を細めて言った。
「留守を頼みます」
「任せておけ」
ガルドは、そう言ってから、少し間を置いた。「北の国というのは、儂も昔、噂に聞いたことがある。厳しい土地じゃと」
「知ってるんですか」
「若い頃、旅の商人から聞いた話じゃ。あの地では、涙一つ見せぬまま、何十年も戦い続ける者がおるという。儂には、とても真似できん生き方じゃ」
「厳しそうですね」
「じゃが」
ガルドは、俺を見て、静かに笑った。「厳しい土地にこそ、光は届く価値がある。ルミナ様の教えは、そういうものじゃろう」
その言葉に、俺は、少し胸が熱くなった。
「……そうですね」
「無理はするなよ。じゃが、届けたいものがあるなら、届けてくるといい」
「はい」
俺は、サイリウムを取り出した。オレンジの光が、座敷の灯りに重なった。
「北方部族連合。感情を出すことを恥とする、厳しい戦士の国」
俺は、みんなを見渡した。「正直、今までで一番、勝算が読めない相手だ」
「知ってるで」とゴエモンが、軽く肩をすくめた。
「でも」
俺は、続けた。「俺たちの歌は、心を込めて届けるものだ。恥だと言われようが、届けるまでやめる理由にはならない」
ツバキが、深く頷いた。「わっちも、そう思いんす」
「シルは」と俺が聞くと、シルが力強く頷いた。「んっ」
「ミレイは」
「わたし、頑張ります」
「レナは」
「言うまでもない」
レナが、剣の柄に手をかけながら、不敵に笑った。
「行くぞ」
俺は、サイリウムを掲げた。「北の大地に、コールを届けに」
◇
翌朝、教会の前に、王都からの隊列が到着していた。馬車が三台、荷馬車が二台、護衛の騎士が十数名。北方への長旅を見越した、大掛かりな編成だった。
「見送りに来たぞ」
ガルドが、教会の前に立っていた。その後ろに、街の人々も、ちらほらと集まっていた。
「聖歌隊様、いってらっしゃいませ!」「無事のお帰りを、お待ちしております!」
推し護符を握りしめた子供たちが、こちらに手を振っていた。聖光棒を掲げる者もいた。
「……なんか、また凄いことになってるな」とレナが、苦笑いした。
「見送りだけでこの人数か」とミレイも、目を丸くしていた。
俺は、馬車に乗り込む前に、もう一度、教会を振り返った。修復された右腕のルミナ像が、朝の光に照らされて、静かに微笑んでいた。
「行ってきます」
俺は、それだけ言って、馬車に乗り込んだ。隊列が、ゆっくりと動き出した。
馬車の窓から見える景色が、少しずつ、緑から白へと変わっていった。石畳の道が、土の道になり、やがて針葉樹の森が両側に迫ってくる。空気が、日を追うごとに冷たくなっていった。
「寒くなってきたでありんすね」とツバキが、外套の襟を合わせながら言った。
「まだ序の口や」とゴエモンが言った。「北に行けば行くほど、もっと冷えるで」
シルが、窓の外に降り始めた小雪を見つめていた。息が、白く曇っていた。
俺は、その景色を眺めながら、心の中で呟いた。
(ルミナちゃん。北の大地にも、お前の光を届けてくるから)
サイリウムを、そっと握りしめた。まだ見ぬ、北方の民との出会いが、もうすぐそこまで近づいていた。
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