第46話:ただいま、ギルバート
ヤマトから船で二日、王都から馬車で半日。
長い旅路の果てに、見慣れた教会の尖塔が見えてきたとき、俺は思わず声を漏らした。
「……帰ってきたな」
隣で馬車に揺られていたレナが、窓の外を見て頷いた。
「ギルバートだ」
「懐かしいです……」とミレイが、窓に頬を寄せながら呟いた。「魔術学校にも、しばらく顔を出していませんでした」
「あたしもだ」とレナが言った。「随分長い旅だった気がする」
「まあ、二月近く旅をしとったんやから、そら長いわな」とゴエモンが伸びをしながら言った。「せやけど、俺にとってはこっちの景色、全部初めてやから、逆に新鮮やわ」
「ゴエモンさんは、エルドラドは初めてでしたね」と俺は言った。
「せやで。石造りの街いうんは、ヤマトにはあらへんからな。見るもの全部珍しいわ」
シルが、窓に張り付くようにして外を見ていた。サイリウムを両手で抱えたまま、耳がぴんと立っている。
「みんな、げんき?」
「元気だといいな」
俺は、窓の外に流れる景色を見た。
見慣れた石畳の道、見慣れた畑、見慣れた城壁。前世の言葉でいえば、実家に帰ってきたときの、あの安心感に似ていた。
ただ、その安心感は、教会の坂道に差し掛かった瞬間、粉々に砕け散ることになる。
◇
「な……」
俺は、絶句した。
教会前の広場に、人だかりができていた。
それも、尋常な数ではなかった。少なく見積もって百人、いや二百人はいるだろうか。広場からあふれた人々が、坂道の下まで列を作っていた。
「な、なんですかこれ……!」とミレイが目を丸くした。
「フィリアさん、これは」
「わ、わたくしにも……分かりません……!」
馬車が近づくにつれ、人々がこちらに気づき始めた。
「あ……あれは……!」「聖歌隊だ……! 聖歌隊が帰ってきたぞ……!」「聖下……! 聖下がお戻りに……!」
歓声が、一気に膨れ上がった。
「「「お帰りなさいませ、聖歌隊様――――!!!」」」
その声量に、馬車が揺れるかと錯覚するほどだった。
俺は、窓に張り付いて、その光景を見た。
前世でいえば、これは、もう凱旋ライブの規模だ。国内ツアーから帰ってきたトップアイドルが空港に到着したときの、あの熱狂そのものだった。
「……なんでこんなことになってるんだ」
「アキ様の武勇伝が、この二月で王国中に広まったのだと思います」とフィリアが震える声で言った。「王妃陛下のご快癒、邪神教団の撃退、そしてヤマトでの……その、女神様の再臨まで……!」
「まさか、そこまで広まってるとは……」
「ワシンジの噂というのは、想像以上に速く伝わるものなのです……!」
「いつもの解釈だな」
「今回は本当のことだと思います……!」
馬車が、教会の前で停まった。
扉が開いた瞬間、歓声が爆発した。
◇
「聖下ー!」「レナ様ー!」「ミレイ様、お帰りなさーい!」「あ、新しい方だ……! あの着物の方、どなた……!?」
俺たちが馬車から降りると、人々が我先にと近づこうとして、慌てて設置された縄の柵に押し戻されていた。柵まで用意してあるあたり、この熱狂は今日始まったものではないのだと分かった。
ツバキが、その光景に少し圧倒された顔をしていた。「……これが、聖歌隊というものの、日常でありんすか」
「いつもはこんなじゃない」と俺は正直に言った。「多分、今日が特別だ」
「特別、でありんすね」
「たぶん」
ツバキは、教会や周囲の石造りの建物を見渡した。「それにしても、瓦屋根の宵ノ國とは、まるで違う眺めでありんすね。この石造りの街並みも、悪くありんせん」
ゴエモンが、辺りを見回しながら「けったいな熱気やな……」と呟いていた。
その時、人だかりをかき分けて、白髪の老人が現れた。
「お前さんたち……!」
「ガルドさん!」
俺は、思わず駆け寄った。
ガルドは、いつもの穏やかな顔で、俺たちを見ていた。目が、少し潤んでいた。
「よう、無事に帰ってきたのう」
「留守中、大変だったんじゃないですか」
「大変というか……」ガルドが、苦笑いした。「毎日、教会に人が押し寄せての。祈りに来る者、噂を聞きに来る者、単に見物に来る者。椅子の数が全然足りんくなった」
「すみません、ご迷惑を」
「迷惑なものか」ガルドは、首を振った。「ルミナ様の教えが、これほど多くの人の心に届いておるということじゃ。喜ばしいことじゃよ」
ガルドは、そこでツバキとゴエモンに目を向けた。
「して、こちらの御二方は」
「ツバキさんと、ゴエモンさんです。ヤマトで仲間になりました」
「よろしくお願いいたしんす」とツバキが、深く頭を下げた。
「よろしゅうな、爺さん」とゴエモンが、軽く手を上げた。
ガルドは、二人を見て、目を細めた。
「また、賑やかになったのう」
「賑やかすぎるくらいです」とミレイが、少し疲れた顔で言った。
「それがええんじゃよ」ガルドは、そう言って、笑った。「一人より、二人。二人より、大勢。ルミナ様も、きっとお喜びじゃ」
俺は、教会を見上げた。
修復した右腕のルミナ像が、以前と変わらず、静かに微笑んでいた。だが、その周りには、以前よりずっと多くの花や供物が置かれていた。
「……すごいことになってるんだな、本当に」
「お前さんのおかげじゃ」
「みんなのおかげです」
ガルドが、また目を細めて笑った。
◇
その日の夜、教会の座敷で、久しぶりの食事会が開かれた。
シチューとパン、いつものメニューだったが、いつもより品数が多かった。ガルドが「今日くらいは奮発せんとな」と、街の市場で買い出しをしてきたらしい。
「それで」と俺は、食事の合間に切り出した。「留守中、他に何かありましたか」
「そういえば」とガルドが、少し考える顔をした。「ここ最近、王宮からの使者が何度も来ておってな。お前さんが戻ったら、すぐに知らせてほしいとのことじゃった」
「何の用でしょうか」
「そこまでは、儂には分からんかった。ただ、随分と急いでおる様子じゃったよ」
その言葉の直後だった。
教会の外から、馬の蹄の音が聞こえてきた。
「まさか」とフィリアが呟いた。
扉が開き、見覚えのある近衛騎士の一人が姿を現した。
「聖下、突然の訪問をお許しください。国王陛下より、火急のご用向きがございます」
俺は、レナと顔を見合わせた。
「帰ってきて早々か」
「らしいな」
「陛下は、聖下がお戻りになり次第、王宮にてお目にかかりたいと仰せです」と騎士が言った。「明朝、お迎えの馬車を差し向けますので、どうかご都合をつけていただけますでしょうか」
「分かりました。行きます」
◇
翌朝、俺たちは王宮へ向かった。
謁見室に足を踏み入れると、以前と変わらない、荘厳な空気が漂っていた。玉座には国王が座り、その傍らにヴァルターが控えている。
「聖下、よくぞ戻った」
国王の声が、謁見室に響いた。
「ヤマトでの働き、王都まで轟いておる。王妃の恩人として、そしてルミナ教の聖下として、心から労いたい」
「ありがとうございます」
「早速本題に入る。休む間もなく申し訳ないが、新たな任がある」
国王が、一枚の地図を広げさせた。エルドラド王国の北方に広がる、広大な土地が示されていた。
「北方の部族連合だ。これまで我が国とは、ほとんど国交がなかった」
「国交が、ない……」
「うむ。あの地は長老会議による部族連合制を敷いており、他国との関わりを極端に避けてきた。だが、最近になって、彼らの方から接触があった」
「接触、というのは」
「北方でも、ルミナ教とヤマトでの奇跡の噂が届いているようだ。詳しい経緯は分からぬが、同盟の可能性を探りたいという打診があった。願ってもない好機だ」
国王は、こちらをまっすぐに見た。
「聖歌隊を、北方へ派遣してほしい。同盟締結の橋渡しとして」
俺は、その地図を見た。
針葉樹の森、その奥に広がる雪原地帯。ヤマトとは、まるで違う土地だった。
「厳格な戦士の文化を持つ地と聞いております」とヴァルターが補足した。「感情を昂らせることを、軟弱と見なす気風があるとか」
「厳格な戦士の文化……」
ツバキが、少し不安そうな顔をした。「わっちの歌、届くでありんしょうか」
「行ってみないと分からない」と俺は言った。
でも、心の中では、既に何かが動き出していた。
ヤマトを踏破し、今度は北の大地。ルミナちゃんの布教は、まだまだ終わらない。
「分かりました。行きます」
国王が、深く頷いた。
「頼んだぞ、聖下」
◇
謁見を終えて、教会に戻った俺たちは、庭に集まった。
「行くぞ」
俺は、サイリウムを取り出した。
永久機関のオレンジの光が、夕暮れの庭に重なった。
「三箇所目の現場だ」
レナが、小さく笑った。「またか」
「またです」とミレイが、諦めたような、でも少し楽しそうな顔で言った。
シルが、こくこくと頷いた。
ツバキが、深呼吸をしてから、静かに言った。「わっちも、参ります」
◇
翌朝、俺は一人で教会の前に出た。
坂道の下に、まだ昨日の熱狂の余韻が残っていた。花や供物が、教会の周りにたくさん置かれている。
その中に、見慣れないものが混ざっていた。
小さな木の棒に、布切れを巻きつけたもの。よく見ると、聖歌隊の紋章らしきものが描かれていた。
「……これは」
俺は、それを手に取った。
サイリウムに、似せて作られたもの、なのだろうか。
「アキ様、それは」
後ろから来たフィリアが、俺の手元を覗き込んだ。
「なんでしょうか、これ」
「さあ」
俺は、その手作りの棒を、しばらく眺めた。
前世でいえば、これは、まさに「グッズ」だった。
前世のヲタクたちが作っていた、応援うちわや、手作りのサイリウム風の光る棒。あれと、同じ匂いがした。
「……これ、誰が作ったんだろうな」
「街の方々でしょうか」
「かもな」
俺は、その棒を、そっと懐にしまった。
フィリアが、隣で静かに、教会の周りに置かれた花や供物を眺めていた。その中には、ツバキ宛てと思しき小さな贈り物もあった。「異国の歌姫様へ」と書かれた木札が添えられている。
フィリアは、それを見て、少しだけ視線を落とした。
「フィリアさん?」
「……いえ、なんでもありません」
フィリアは、すぐにいつもの調子に戻って、羊皮紙を広げ始めた。
「これはワシンジにおける『信徒からの奉納』の一種と考えられます……! 記録しておかなければ……!」
「いつもの解釈だな」
「いつものです……!」
その様子に、俺は少しだけ引っかかりを覚えたが、今はまだ、それが何なのか分からなかった。
何かが、始まろうとしている予感がした。
北方への旅と、もう一つ。
まだ形になっていない、何かが。
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