第44話:女神ルミナ、すべてを語らず微笑む
瘴気が完全に消えたあと、聖地の広場に、静寂が満ちた。
誰も、声を上げなかった。それぞれが、自分の中で今起きたことを、ゆっくりと噛み締めているようだった。
「終わった……のか」
レナが、剣を下ろしながら、小さく呟いた。
「終わった……と、思いんす」
ツバキが、まだ夢の中にいるような顔で答えた。
シルは、サイリウムを胸に抱えたまま、空を見上げていた。
その視線の先で、何かが、光っていた。
「……あれは」
俺は、その光を見た。
夜空の一点から、金色の光が、ゆっくりと降りてきていた。
◇
光は、広場の中央に、降り立った。
人の形になった、その瞬間。
集まった人々全員が、息を呑んだ。
金色の長い髪。柔らかく微笑む目元。前世で何千回と見上げた、あの顔だった。
「……ルミナちゃん」
俺は、思わず呟いた。
「ルミナ様……!」
フィリアが、その場に膝をついた。周囲の人々も、次々と跪いていった。ヤマトの民も、太陽神教の神官たちも、エルドラドの騎士団も。
アルベルトでさえ、深く頭を垂れていた。太陽神教の頂点である彼が、異国の女神に対して自然と敬意を示す姿は、この数日の変化を物語っていた。
ゴエモンだけが、少し呆けた顔で立ち尽くしていた。「……ほんまに、女神さんやったんか、あれ」と誰にともなく呟いていた。
ルミナは、その光景を、静かに見渡した。
それから、俺を見た。
「よく、頑張ったね」
その声は、耳ではなく、胸に直接届くような、あの声だった。
「俺だけの力じゃない」
俺は、正直に言った。
「みんなが、力を貸してくれた」
「知ってるよ」
ルミナは、微笑んだ。
「みんなの声が、ちゃんと聞こえてたよ」
◇
「ルミナ様」
アルベルトが、震える声で言った。
「あの邪神は……ナイアルとは、一体……」
ルミナの表情が、少しだけ、翳った。
「古い、古い話だよ」
ルミナは、静かに語り始めた。
「大昔……この世界がまだ形になったばかりの頃、光と無は、対になる存在だった。光が何かを照らせば、無はその影を広げようとした。それは、争いというより、世界の均衡そのものだった」
「均衡……」
「でも、あるとき、無は、均衡を壊そうとした。すべてを、無に還そうとした。それを止めるために、光の側の存在たちが、力を尽くした」
「その光の側の存在の一人が……ルミナ様、あなたなのですか」
ルミナは、答えなかった。
ただ、少しだけ、寂しそうに笑った。
「全部は、まだ話せない」
「なぜですか」とフィリアが、思わず声を上げた。
「わたし自身にも、まだ、はっきりしないことがあるから」
その言葉に、俺は、少し引っかかった。
「はっきりしない、って」
「うん」
ルミナは、俺を見た。
「わたしにも、忘れていることがあるの」
◇
「なぜ、ナイアルは、聖歌隊を……ルミナ様を、そこまで執拗に狙うのですか」
アルベルトが、重ねて聞いた。
ルミナは、少し考えるように、目を伏せた。
「わたしの力は、ナイアルにとって、唯一、対抗できるものだから」
「対抗……?」
「無に還そうとする力に、光で応える。それができるのは、わたしだけ。だから、ナイアルは、わたしを恐れてる」
「では、なぜナイアルは完全に滅びないのですか」
フィリアが、そう言い直してから聞いた。癖で「様」と呼びそうになったのを、自分で止めたようだった。
「ナイアルは、完全には滅びない」とルミナが続けた。「無というものは、消し去ることができない。光がある限り、影も、必ずある」
「じゃあ、これからも……」
「うん。また、来るよ。今日よりも、もっと強い形で」
その言葉に、広場に緊張が走った。
「でも」
ルミナが、微笑んだ。
「今日みたいに、みんなの声が集まれば、何度でも押し返せる」
◇
「ルミナちゃん」
俺は、他の誰にも聞こえないよう、小さく言った。
「……前世のこと、知ってるんですか」
ルミナは、俺の方に、一歩近づいた。
「もう少しで、思い出せるよ」
その声は、俺にだけ聞こえる声だった。
「あなたも、わたしも」
「……どういう意味ですか」
「今は、まだ言えない」
ルミナは、悪戯っぽく笑った。あの、前世のルミナちゃんがファンを焦らすときの、あの笑い方だった。
「でも、もう少しなの。あなたが、世界中に光を届け続ければ、きっと」
「きっと、なんですか」
「全部、思い出す」
ルミナの体が、光に溶け始めていた。
「待ってください、まだ――」
「また会おうね」
ルミナの姿が、夜空に溶けていった。
最後に残ったのは、あの、優しい微笑みだけだった。
◇
広場に、朝の気配が近づいていた。
人々が、少しずつ、立ち上がり始めた。
「……終わったんですね、本当に」とミレイが、大きく息を吐いた。
「終わってない」とレナが、剣を鞘に収めながら言った。「また来るって言ってた」
「そうだけど……今は、少し休みたいです」
「それは、同感だ」
ツバキが、静かに空を見上げていた。「ルミナ様の御姿……忘れられんす……あのように、優しく、それでいて計り知れない御方だったとは」
「わっちも、まだ驚いておりんす」とツバキが続けた。
アルベルトが、俺の隣に来て言った。「聖下。今日という日は、儂の生涯において、忘れ得ぬ日となった」
「大袈裟だ」
「大袈裟なものか。二百年の太陽神教が、初めて異国の女神と肩を並べて戦った日だぞ」
アルベルトは、そう言って、静かに笑った。
シルが、俺の袖を、そっと引いた。
「アキ、だいじょうぶ?」
俺は、少し考えてから、頷いた。
「大丈夫だ」
でも、心の中では、ルミナの最後の言葉が、ぐるぐると回っていた。
「もう少しで、思い出せるよ。あなたも、わたしも」
思い出す、というのは、どういうことだ。
俺の前世の記憶と、ルミナちゃんの正体が、何か繋がっているのか。
答えは、まだ出ない。
でも、確かに、何かが近づいてきていた。
夜明けの光が、聖地の広場を、静かに照らし始めていた。
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