第36話:ヤマトの剣豪、関西弁で吼える
サイリウムの光が灯った瞬間、邪神教団の先頭の男が、杖を構え直した。
「無駄なことを」
低い声と共に、黒い靄が、波のように押し寄せてきた。地面を這うように、村の家々を呑み込みながら近づいてくる。先端が触れた木戸が、音もなく黒く朽ちていった。
「来るで……!」
ゴエモンが、鞘を払った。
刃が、朝の薄明かりに鈍く光った。靄の先端が、ゴエモンに向かって伸びてくる。触れれば何が起きるか分からない。だが、ゴエモンは怯まなかった。
一閃。
靄の先端が、両断された。切られた靄が、霧のように散って消えた。
「効くのか、それ」とレナが、剣を構えながら言った。
「効くかどうかは知らんけど、止まるんはわかったわ」
「十分だ」
レナが、ゴエモンの隣に並んだ。剣の切っ先を、もう一筋伸びてくる靄に向ける。
「あたしも斬る」
「おう。お前、思ったより腕立つな」
「元Aランクだ」
「ほーん、ええ肩書きやな」
軽口を叩き合いながらも、二人の構えは隙がなかった。レナの大剣がうなりを上げて靄を薙ぎ払い、ゴエモンの細身の刀が、その隙間を縫うように別の靄を斬る。息を合わせたわけでもないのに、二人の動きには、もう既に連携の気配があった。
俺は、後ろでサイリウムを構えた。
「ミレイ、ツバキさん、シル」
「はい……!」
「分かりんした」
「……んっ」
「ゴエモンさんとレナが、瘴気を抑えてくれる。その間に、演舞を始める」
三人が、頷いた。ツバキの手が、わずかに震えていた。でも、その目に迷いはなかった。
「行くぞ」
俺は、OADの基礎ステップを踏み始めた。
◇
戦況は、すぐに激しくなった。
邪神教団の五人は、それぞれ呪文のようなものを唱えながら、靄を操った。靄は意志を持っているかのように、ゴエモンとレナに襲いかかった。
「数が多いな……!」
レナが、剣を振りながら言った。靄を斬っても斬っても、地面の亀裂から新たな靄が湧き出てくる。汗が、レナの額を伝った。
「キリがあらへんな、これ……!」
ゴエモンが、刀を振るいながら舌打ちした。
「ゴエモンさん!」と俺は叫んだ。「演舞が終われば、靄は止まる! それまで持ちこたえてくれ!」
「言うんは簡単やけどなあ……!」
ゴエモンが、靄の中から飛び出してきた何かを斬った。
それは、靄が固まって作られた、人型の何かだった。輪郭が定まらず、ぐにゃぐにゃと形を変えながら、ゴエモンに掴みかかってきた。目も口もないのに、明らかに「敵意」だけが伝わってくる、不気味な姿だった。
「うわっ……!」
ゴエモンが、咄嗟に飛び退いた。靄の人型が、空振りした拳を地面に叩きつけた。地面が、低く唸るように震えた。
「これ、ただの靄やないな……!」
「邪神の眷属です……!」とフィリアが叫んだ。「瘴気が、意志を持って動いています……!」
「面倒な話やな……!」
ゴエモンは、靄の人型に向き直った。
その目に、これまでの軽さとは違う、研ぎ澄まされた何かが宿っていた。
「ええわ。本気出したろか」
ゴエモンの構えが、変わった。
腰を落とし、刀を逆手に近い角度で構える。前世の時代劇で見たような、流派の構えだった。重心が、さっきまでより深く落ちている。
俺は、その変化に思わず目を見開いた。
「……ゴエモンさん、その構え」
「気づいたか。これ、俺の元の流派の構えや」
「元の?」
「言うたやろ、俺は元武士やって」
ゴエモンが、靄の人型に向かって踏み込んだ。
一瞬で、間合いが詰まった。土を蹴る音すら、ほとんどしなかった。
刃が、靄の人型を真っ二つに斬り裂いた。今度は、霧散するだけでなく、何か黒い結晶のようなものが地面に落ちて、砕けた。
「……効いてる」
俺は呟いた。
ゴエモンの一撃は、さっきまでとは威力が違った。
◇
「お前、その流派、なんでやめたんだ」
レナが、隣で靄を斬りながら聞いた。靄の人型がもう一体湧き出てくるのを横目に、二人とも手は止めなかった。
ゴエモンは、しばらく黙っていた。刀を構え直す間だけ、わずかな沈黙があった。
それから、ぽつりと言った。
「……守られへんかったからや」
「守られなかった?」
「俺、昔はある大名家に仕えとった。腕は立つ方やった。出世も早かった。家中でも、ゆくゆくは重臣になるやろうって言われとった」
ゴエモンの刀が、次の靄の人型を斬った。
「せやけど、ある戦のとき、俺は前線で手柄を立てることに必死やった。誰よりも早く敵将の首を取って、名を上げたかった。それで、後ろを守る役目を疎かにした」
「……後ろ?」
「俺の故郷の村が、戦の余波で焼かれた。俺が手柄に夢中になっとる間に」
レナが、息を呑んだ。靄の人型が迫っていたが、それを斬る手が一瞬だけ鈍った。
「家族は無事やった。逃げ遅れんかった。でも、村は半分焼けた。子供の頃から世話になった爺さんが、一人、逃げ遅れて死んだ」
ゴエモンの声は、いつもの軽さを保っていたが、その奥に、確かな重さがあった。
「俺が手柄をひとつ多く取った代わりに、爺さんは死んだ。割に合わへんやろ」
「……」
「それで、武士を辞めた。手柄より、守るもんを優先できへん自分が、嫌になってな」
「……それで浪人に」
「そや。今は、誰かに雇われて、目の前のもんを守る仕事だけしとる。手柄とか、出世とか、もうどうでもええ。目の前で、誰かが死ぬのを、二度と見とうないだけや」
ゴエモンが、また一体、靄の人型を斬った。刃の動きに、迷いがなかった。
「だから今日も、お前らの前で、ちゃんと立っとるんや」
レナが、ゴエモンを見た。
それから、小さく笑った。
「……似てるな」
「何が」
「あたしも、似たようなことがあった。守れなかったことがある」
「ほーん」
「いつか話す」
「楽しみにしとくわ」
二人は、それ以上深く語らなかった。でも、その間に、確かな何かが流れていた。背中合わせで靄を斬る二人の呼吸が、いつの間にか揃っていた。
◇
俺は、演舞を続けながら、その様子を見ていた。
レナとゴエモン。同じ武闘派でも、ぶつかった過去は違う。でも、根っこにあるものは似ていた。
守れなかった過去を抱えて、それでも今、目の前のものを守ろうとしている。
それが、ステージを支える力になっている。
前世でも、そういう人間を何人も見てきた。何かを諦めて、それでも別の形で誰かのために立とうとする人間。そういう人間が、現場で一番頼りになる。
「シル、ツバキさん、声を大きく」
「はい……!」
「ありんす……!」
二人の声が、サイリウムの光に重なった。境内ではなく田畑の真ん中だったが、それでも光は確かに広がっていた。瘴気の黒が、その光に押されて、わずかに薄くなっていく。
「効いてる……!」とミレイが叫んだ。
「もう少しだ……!」
その時。
邪神教団の先頭の男が、苛立った声を上げた。
「小癪な真似を……!」
男が、杖を地面に突き立てた。
地面の亀裂が、これまでにない規模で広がった。村全体を揺るがすような震動が走り、瘴気が一気に濃さを増した。
「……まずいな」
俺は、サイリウムを強く握った。
地中から、これまでで一番濃い瘴気が、噴き上がろうとしていた。
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