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オタ芸を極めし無能、異世界で聖下と呼ばれる 〜タイガー!ファイヤー!と叫んだだけで古代の超魔法(ワシンジ)が発動する件〜  作者: シャー・アズン
第3章「異国(とつくに)の現場(ステージ)、踏破す!」

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第32話:アイドルの「現場」は、心が動く場所

「今日から、ツバキさんに『推し』を見つけてもらう特訓をする」


朝、宵ノ國の茶屋の前で、俺はそう宣言した。


「特訓、でありんすか」とツバキが言った。


「そうだ。歌う前に、まず心が動く体験をしてもらう。話はそれからだ」


「……心が動く体験とは」


「街を歩いてもらう」


「街は、毎日歩いておりんす」


「いつもと違う歩き方をする」


ツバキが「違う歩き方……?」と首を傾げた。


ゴエモンが横で「アキ、また変なこと言い出したな」と笑った。


「変じゃないです。ヲタ活の基本です」


「ヲタ活の基本が街歩きなんか」


現場ステージの外で心が動く瞬間を見つけることも、ヲタ活には大事です」


ゴエモンが「ようわからんけど、まあ付き合うわ」と言って、結局ついてきた。



最初に向かったのは、宵ノ國の外、ヤマトの庶民が暮らす商人町だった。


朝の市場は、活気にあふれていた。魚を売る声、野菜を売る声、子供たちが走り回る声。


「ここで何を」とツバキが聞いた。


「何も。ただ見てください」


「見るだけ、でありんすか」


「人を見てください。何でもいい。気になる人を一人見つけて、その人をしばらく目で追ってみてください」


ツバキは戸惑いながらも、市場を見渡した。


しばらくして、一人の老婆に目が止まった。年老いた手で、丁寧に大根を選んでいる。隣には、小さな孫らしき子供がいて、老婆の袖を引っ張って何かをねだっていた。


老婆が、孫の頭を撫でて、優しく笑った。


ツバキは、その様子をじっと見ていた。


「……」


「何か、感じましたか」


「……何も」とツバキは言った。「ただの、ありふれた光景でありんす」


「そうですか」


「特に、心が動くようなことは」


そう言いながらも、ツバキの目は、まだ老婆と孫を追っていた。


俺は何も言わなかった。今はこれでいい。



次に向かったのは、神社の参道近くにある小さな広場だった。


そこでは、子供たちが集まって、何かの遊びをしていた。輪になって、歌いながら手を叩く遊びだ。


「あれは何の遊びですか」と俺はゴエモンに聞いた。


「ああ、わらべ歌や。子供の頃にみんなやるやつ。意味のない歌詞やけど、リズムが楽しいんよな」


「アキ様……!」


フィリアが、いつの間にか羊皮紙を構えて隣に立っていた。「これはワシンジにおける『童心鍛錬法』にございます……! 幼き者たちが無心に声を重ねることで、未来の術者としての素養を育む、古代の教育術式……!」


「フィリアさん、ただの遊びです」


「同じことですアキ様」


「いや違います」


「歌詞に意味がないのも、深い意味があるからこそでございます……! 言葉を超えた魂の共鳴を、子供たちは本能で行っているのです……!」


「無理矢理すぎませんか」


「無理矢理ではありません、これは考察です」


ツバキが、その様子を横目で見ながら「……賑やかな方でありんすね」とぽつりと言った。


「いつもこうです」


「お疲れになりんせんか」


「もう慣れました」


子供たちの歌声は、お世辞にも上手いとは言えなかった。音程はバラバラで、リズムも所々崩れていた。


でも、子供たちは全力で楽しそうだった。


ツバキは、その様子を眺めていた。


「……下手、でありんすね」とツバキが、小さく言った。


「そうですね」


「音程も、リズムも、揃っておりんせん」


「揃ってないですね」


「でも」


ツバキの目が、子供たちから離れなかった。


「……楽しそうでありんす」


「ええ」


「なぜ、あんなに下手なのに、楽しそうなのでありんしょう」


「上手いことと楽しいことは、別だからです」


ツバキが、俺を見た。


「歌巫女として育てられたわっちには、それは……」


そこで、ツバキは言葉を止めた。


子供の一人が、輪から外れて、こちらに駆け寄ってきた。


「お姉ちゃん、一緒に歌う?」


無邪気な目で、ツバキを見上げていた。


ツバキが、固まった。


「……わっち、でありんすか」


「うん! お姉ちゃん、いい着物着てるから、輪に入ってよ!」


ツバキは、困った顔で俺を見た。助けを求める目だった。


俺は何も言わなかった。ただ、見ていた。


「……分かりんした」


ツバキは、おずおずと輪に加わった。


子供たちの下手な歌に、ツバキの完璧な声が混ざった。明らかに浮いていた。技術が違いすぎた。子供たちが「お姉ちゃん上手ー!」と笑いながら言った。


ツバキは、戸惑いながらも、最後まで歌い切った。


歌い終わったあと、子供たちが「ありがとー!」と言って、また走り回り始めた。


ツバキは、その場に立ち尽くしていた。


「……」


「どうでした」


「……分かりんせん」とツバキは言った。「ただ……」


「ただ?」


「あの子が、嬉しそうに笑っていたのが……なぜか、嬉しかったでありんす」


俺は、にやりとした。


「それです」


「それ、とは」


「今、ツバキさんの中で何かが動いた。それが、推しの種です」


ツバキが「種……?」と戸惑った。


「育てれば、ちゃんとした感情になります」


ツバキは、自分の胸に手を当てた。何かを確かめるような仕草だった。



昼過ぎ、俺たちは宵ノ國に戻った。


茶屋の座敷で、シルが一人、サイリウムを磨いていた(光るので磨く必要はないのだが、シルはこの行為が好きらしい)。


「シル」


俺が声をかけると、シルが顔を上げた。


「ツバキさんに、歌を聴かせてやってくれないか」


シルは、こくりと頷いた。


ツバキが、少し緊張した顔でシルの前に座った。


シルが、小さく息を吸って、声を出した。


短い、メロディにもならないただの一音。でも、その音には、複数の音が重なるような独特の響きがあった。


ツバキは、目を閉じて聴いていた。


歌い終わったあと、ツバキはしばらく黙っていた。


「……今、何を考えながら歌いんしたか」


ツバキが、シルに聞いた。


シルは、地面に指で文字を書いた。


「みんなに とどけたい」


「みんな、とは」


シルは、もう一度書いた。


「あき れな みれい ふぃりあ つばき」


ツバキの目が、揺れた。


「……わっちも、含まれているのでありんすか」


シルが、こくりと頷いた。


ツバキは、しばらく何も言えなかった。


それから、小さく、本当に小さく、声を出した。


「……ありがとう」


歌巫女としての完璧な発声でも、花魁としての言葉遣いでもない、ただのありがとう、だった。


シルが、耳をぴんと立てた。



夕方、ゴエモンが俺の隣に来て、小声で言った。


「お前、なかなかうまいことやるな」


「何がですか」


「ツバキに、いろんな心動かす場面、見せまくってるやろ」


「特訓ですから」


「特訓って言うか……まあ、ええわ」


ゴエモンは、ツバキの方を見た。


ツバキは、まだシルと何か話していた。普段の能面のような顔ではなく、興味津々という顔だった。


「あいつ、ずっとああいう顔できるようになったらええんやけどな」


「そう思ってるなら、応援してやればいいじゃないですか」


「俺は応援なんかしとらんで」


「してるじゃないですか、さっきから」


「茶々入れとるだけや」


「茶々を入れるフリして応援してるのでは?」


ゴエモンが「うるさいわ」と言って、視線を逸らした。耳が少し赤くなっていた。


この男も、なかなか素直じゃない兄貴分らしかった。


「明日も特訓するんか」とゴエモンが聞いた。


「します」


「次は何させるんや」


「考え中です」


「適当やな」


「ヲタ活に正解はないんです。心が動くものを、片っ端から見せていくだけです」


ゴエモンが「お前のそのフラフラした感じ、嫌いやないで」と笑った。


夕暮れの宵ノ國に、提灯の灯りがまた一つ、灯り始めていた。


ツバキの横顔が、その灯りに照らされて、いつもより少し、柔らかく見えた。

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