表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オタ芸を極めし無能、異世界で聖下と呼ばれる 〜タイガー!ファイヤー!と叫んだだけで古代の超魔法(ワシンジ)が発動する件〜  作者: シャー・アズン
第3章「異国(とつくに)の現場(ステージ)、踏破す!」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/35

第31話:わっちには、推しがおざりんせん

カムロ・ツバキ、十七歳。宵ノ國の歌巫女。


その夜、ツバキは行燈の灯りの下で、一人、三味線の弦を爪弾いていた。


音は出ていた。正確で、澄んでいて、師匠に何年も褒められてきた音だった。


でも、弾く手が、途中で止まった。


(どうしてでありんしょう)


ツバキは弦を見つめた。


今日、神社で見たものが、頭から離れなかった。


あの、銀の髪の子の声が。



ツバキが歌巫女になると決まったのは、物心つく前のことだった。


宵ノ國の歌巫女の家系に生まれた子は、歩き始めるより前に音に触れる。母が歌い、祖母が歌い、その母も歌い手だったと聞かされて育つ。ツバキも、そうだった。


「声は、道具でありんす」


師匠にそう言われたのは、六つの頃だった。


「感情を乗せる必要はありんせん。正確に、美しく。それが神への奉納でありんす」


その言葉を、ツバキは疑わなかった。


疑う理由がなかった。周りの大人たちも、師匠も、全員そう言った。歌巫女の歌とは、そういうものだと。心ではなく、技術で歌うものだと。


十年かけて、ツバキは完璧な技術を身につけた。


音程は狂わない。息は乱れない。声量の制御は、師匠が「これ以上教えることはない」と言うほどになった。


それで、十分だと思っていた。


ずっと、十分だと思っていた。


(でも)


ツバキは三味線から手を離した。


(あの子の声は、なんでありんしたか)


シルという名の、銀の髪の子。獣人だと、あの異国の男は言った。人間とは声帯の作りが違うのだと。


だから、あの声は人間の声とは違っていた。倍音が重なって、一つの声なのに、複数の音が鳴っているような。神社の境内で、あの声が響いたとき、玉砂利の上に光が広がった。


ツバキは、それを見て、胸が痛くなった。


技術ではなかった。あの子の声は、技術で言えば、完璧ではなかった。音程が揺れるところがあった。声量が一定でないところがあった。


なのに、あの声は、ツバキの胸の奥まで届いた。


(なぜでありんしょう)


ツバキは行燈の炎を見つめた。


あの異国の男は言っていた。「誰かに届けようとして歌っている。それだけです」と。


届けようとする。


誰かに。


(わっちには、そのような相手が、おりんせん)


ツバキは、自分の手のひらを見た。


生まれてからずっと、歌ってきた。朝に歌い、夜に歌い、祭りに歌い、神社に歌い。誰かのためではなく、正確に美しく歌うために、歌い続けてきた。


届けたいと思ったことが、あっただろうか。


(……ない)


正直に言えば、ない。


歌は仕事だった。仕事だから、上手くやる。それだけだった。


なのに、今日初めて見た異国の聖歌隊の歌に、胸を締め付けられた。



あの異国の男の話に、ツバキは引っかかっていた。


「推し」というものの話だ。


心から応援したい誰か。その人のために力を出したいと思える誰か。その人が喜ぶところを見たくて、夜も眠れなくなるような誰か。


(そのようなものが、あるのでありんしょうか)


ツバキには分からなかった。


宵ノ國で育って、十七年。見てきたものは、歌の稽古と、神社の奉納と、花街の四季だった。心が動くとしたら、三味線の新しい曲を覚えたとき、くらいのものだった。


それを推し、と言えるのだろうか。


(違う気がいたしんす)


あの男が言う「推し」は、もっと違うものだとツバキには分かった。命を燃やすような、何かだ。あの男がサイリウムという光る棒を振るとき、全身からそういうものが滲み出ていた。あれが、推し活というものの姿なのだとしたら。


ツバキには、そんなものがない。


(ないのでありんす)


三味線の弦に、また指を触れた。


音が出た。正確で、澄んだ音が。


その音を聴いて、ツバキは思った。


この音に、誰かの胸を締め付ける力があるだろうか。


(ない)


あっさりと、そう思えた。技術はある。でも、あの銀の髪の子がやっていたことは、できない。届けようとする相手もいないし、届けようとする気持ちもない。


ただ、正確に音を出すだけだ。


それが、十七年間のわっちの歌だ。


(……悔しい)


その感情が出てきたとき、ツバキは少し驚いた。


悔しい、と思ったのは、久しぶりだった。いや、こういう悔しさは、初めてかもしれなかった。技術で負けたわけではない。でも、確かに何かで負けた気がした。


あの聖歌隊の歌に。


あのシルという子の声に。


(わっちにも、できるのでありんしょうか)


ツバキは、しばらく行燈の炎を見ていた。



翌朝、宵ノ國の茶屋の前で、ツバキはあの男を待った。


来るかどうか、分からなかった。でも、昨日「また来る」と言っていた。あの男の言葉は、妙に信用できた。理由はなかったが。


「おはようございます」


石畳の向こうから、声がした。


あの男が来た。アキラと名乗っていた。後ろに、あの一行が続いていた。


「来ると思っていました」とツバキは言った。


「昨日そう言いましたから」


「……そうでありんしたね」


「ツバキさんの方こそ」


「わっちも、来ると言いありんした」


「でも、もしかしたら来ないかと思ってました」


ツバキは少し間を置いた。


「……正直な方でありんすね」


「ツバキさんが正直に話してくれるので、俺も正直に返しています」


「……昨日も、そう仰いありんした」


「昨日も、今日も同じです」


ツバキは、アキラを見た。


この男は、変な男だ。異国から来て、光る棒を振り回して、歌に心を込めろと言う。理屈は、分からなくもない。でも、それだけでは到底届かないはずの何かを持っている。


「一つ、聞いてもよろしいでありんすか」


「どうぞ」


「昨日、わっちに心を込めて歌えるようになると思うか、とは仰いありんせんでした。わっちには、なれますか」


アキラが、少し考えてから言った。


「なれると思います。でも、それはツバキさんが決めることです」


「わっちが決める……」


「技術はもう持っている。あとは使い方の問題です」


ツバキは、また黙った。


「使い方……」


「届けたい相手を、一人だけ思い浮かべれば、歌は変わります。誰でもいい。ただ一人だけ。その人の顔を思い浮かべて、その人に届くように声を出してみてください」


「そのようなことを言われても、わっちには……」


「誰かいませんか。歌を聴かせたい人が」


ツバキは、少し考えた。


思い浮かべた。


宵ノ國の子供たちの顔が浮かんだ。花街で育った子供たちは、ツバキの歌を何度も聴いてきた。「ツバキ姉さんの歌は上手いね」と言ってくれた子がいた。ただそれだけだった。上手い、と言われた。心が動いたわけではなく、ただ、上手いと言ってくれた。


(あの子たちに、届いていたのでありんしょうか)


「……少しだけ、思い浮かんだ方がおりんす」


「それで十分です」


「でも、確信はありんせん。その方の心に、わっちの歌が届いているかどうか」


「届いているかどうかは、歌ってみないと分からない」


ツバキは、俯いた。


「……わっちにも、心を込めた歌が、歌えるようになりんすか」


その言葉を、ツバキは自分が言うとは思っていなかった。


こんな弱音を漏らすのは、初めてだった。十七年間、弱音など言わなかった。技術でやっていけると思っていたから。でも今、初めて、分からなくなっていた。


アキラが、ツバキを見た。


「なれます」


「根拠はありんすか」


「さっき、思い浮かんだ方がいると言いましたね」


「……はい」


「その瞬間、顔が少し変わりました」


「……顔が」


「柔らかくなった。ほんの一瞬だけど」


ツバキは、自分の顔に手を当てた。白粉で固めた、感情を出さないための顔だ。でも、その下で、何かが動いていたのかもしれない。


「……そうでありんしたか」


「それが、あなたの歌の入口だと思います」


ツバキは、しばらくアキラを見ていた。


それから、小さく息を吐いた。


「……少し、やってみます」


「一緒にやりましょう」


「手伝っていただけるのでありんすか」


「それが目的で来てるので」


ツバキは、また少し間を置いてから、言った。


「……よろしく、お願いいたしんす」


それが、ツバキが初めて、自分から誰かに頭を下げた言葉だった。


背後から、ゴエモンの「おお、珍しいな」という声が聞こえた。


ツバキは振り向かなかった。


でも、その耳の先が、少しだけ赤かった。

少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったら、ページ下部の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援していただけると、毎日の更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ