第30話:奉納演舞、ヤマトに轟く
神社は、宵ノ國から歩いて十分ほどのところにあった。
石段を上がった先に、大きな木の鳥居が立っていた。その向こうに、玉砂利の参道が伸びていて、奥に社殿がある。朱色の柱と、反り上がった屋根。境内の隅には大きな木が数本、幹を太くして静かに立っていた。
「……でかいな」とレナが言った。
「いい箱(会場)だ」と俺は言った。
「箱とか言うな、神聖な場所だぞ」
「現場として見てる。怒られるようなことは言っていない」
レナが「言い方の問題だ」と言ったが、俺は気にしなかった。実際、この場所は音の通りが良さそうだった。玉砂利と石段と木々が、絶妙な反響を生む。前世で神社の縁日ライブを見たとき、野外なのに音が気持ちよく広がっていた、あの感じに似ている。
神主らしき白装束の男性が、フィリアに深々と頭を下げながら「ようこそおいでくださいました。エルドラドの神職の皆様を、心よりお迎え申し上げます」と言った。
「神職ではないんですが」と俺は言いかけて、フィリアに「アキ様、黙っていてください」と静かに止められた。
「……なぜですか」
「神社をお借りするにあたって、わたくしが『ルミナ様の巫女として参りました』とお伝えしてしまったので」
「……フィリアさん、それは」
「ワシンジ的には正しいのです。アキ様もわたくしたちも、広義ではルミナ様にお仕えする神職にあたりますので……!」
「広義にも程がある」
「でも、お借りできたのですから、結果的には正しかったのです……!」
俺は何も言えなくなった。論理はめちゃくちゃだが、確かに結果的には正しかった。前世でいえば、チケットの抽選に「推しへの熱意」を理由書きに書いたら奇跡的に当選した、みたいなやつだ。理由は不明だが通ってしまった。
◇
「で、ツバキさんはどこにいるんですか」
「あそこでありんす」
振り返ると、ツバキが参道の端に立っていた。昨日と同じ白粉の顔に、今日は淡い桜色の着物を纏っていた。神社の朱色の柱と、意外によく合っていた。
「来てくれましたね」と俺は言った。
「来ると言いありんした。わっちは約束を違えん性質でありんす」
「それは助かります」
「見るだけでありんすよ」
「分かってます」
ゴエモンが「ええのか、ここまで許したら」とツバキに言った。ツバキが「黙ってくださいませ、五右衛門殿」と冷たく返した。ゴエモンが「はいはい」と言いながら社殿の脇の木にもたれた。どうやらこの二人は知り合いらしかった。
「みんな、準備していいか」と俺は言った。
レナが無言で頷いた。ミレイが「は、はい……!」と緊張した声で言った。シルがサイリウムを握り直して、こくりと頷いた。
「緊張するな」
「するんですよ普通は」とミレイが言った。
「昨日みたいにやれ。誰かに届けようとして声を出せ。それだけだ」
「……誰に届ければ」
「ツバキさんに」
ミレイが、ツバキを見た。ツバキが、ミレイを見た。二人の視線が、一瞬交わった。
「……それならできます」
ミレイが、深く息を吸った。
◇
俺はサイリウムを構えた。
玉砂利の上で、ステップを踏んだ。境内の空気が、変わった気がした。
神社という場所は、前世でも独特の空気があった。しんと静まりかえっていて、でも、どこか何かが満ちているような感じ。この異世界のヤマトの神社も、同じだった。
「行くぞ」
OAD、起動。
サイリウムが空を裂いた。オレンジの光が境内に弧を描き、玉砂利の白さに反射して、参道全体がほんのりと明るくなった。
レナが動いた。石段の上で足を踏み固めて、体の芯からステップを踏む。その重心の安定が、玉砂利の上でも揺れなかった。低くて、深い声が出た。
ミレイが声を出した。届けようとする相手を決めてから出す声は、座敷で聴かせたときより前に飛んでいた。境内の木々が、その声を受け取って、空に逃がしていく。
シルが、サイリウムを弧に描いた。
銀色の髪が、朝の光の中で揺れた。
それから、シルが声を出した。
倍音が混じった、複数の音が重なるような声。人間とは違う響きを持つ、シルだけの声。その声が、神社の境内に満ちたとき、玉砂利の上に、薄い光の層が広がった。
「「「おおっ……!!」」」
参道の脇で見ていた神主と、その周りに集まってきていた参拝客たちが、一斉に声を上げた。
「異国の神楽か……!」「あの光は何だ……!」「あの銀の髪の子の声が……!」
フィリアが素早く参拝客に向き直った。
「皆様! 今ご覧いただいているのは、エルドラド王国に伝わる古代神聖舞踊ワシンジ……! 光の女神ルミナ様への奉納の儀式にございます……!」
「なんと神々しい……!」「ルミナとは……どのような女神なのか……!」「あの光の棒が、術の核心か……!」
「さいりうむと申します……! 光の女神の御力の結晶にして、術者の魂の延長……!!」
「全然違う説明を付け加えないでください」と俺は演舞しながら言った。
「アキ様、今は演舞に集中してください……!」
「フィリアさんが余計なことを言うから……!」
「余計ではありません……! これはワシンジの広報活動です……!!」
広報活動は本当だが、内容がすべてフィリア独自の解釈だった。
◇
演舞が終わった。
参道に集まった人々が、しばらく静かにしていた。それから、一人が手を叩き始めた。次々と続いて、境内が拍手で満ちた。
「すごかった……!」「もう一度見たい……!」「ルミナ、とはどこの神か……!」
神主が、深く頭を下げた。「これほどの奉納を、当社でご披露いただけるとは……心より御礼申し上げます」
「ありがとうございます」
俺はサイリウムを下ろして、ツバキを探した。
参道の端に、さっきと同じように立っていた。
だが、さっきとは違っていた。
表情が、あった。
事務的な能面のような顔ではなく、何かを懸命にこらえているような、そういう顔だった。
「ツバキさん」
俺が近づくと、ツバキは一度、強く瞬きをした。それから、いつもの表情に戻ろうとした。戻れなかった。
「……」
「どうでしたか」
「……」
ツバキはしばらく黙っていた。
「あの銀の髪の子」と、ツバキがやっと言った。「名はなんと申しんす」
「シルです」
「シル……」ツバキが、シルの方を見た。シルは演舞を終えて、サイリウムを静かに抱えていた。「あの子は、なぜあんな声をしているのでありんすか」
「獣人です。声帯の作りが人間と違う」
「そうでありんすか」ツバキは、また黙った。「……わっちは、最初、あの声が不思議だと思いありんした。人間の声ではないと。でも」
「でも?」
「聴いていたら……胸が、痛くなりありんした」
俺は何も言わなかった。
「痛い、というのは変でありんすか。傷ついたわけではありんせん。でも、何か、こう……」
「締め付けられる感じ、ですか」
「……そうでありんす」ツバキの目が、揺れていた。「あの子は、なぜあんなに必死に歌うのでありんすか。もっと、楽に歌えばいいのに」
「楽に歌えなかった時期があったからだと思います」と俺は言った。
「楽に歌えなかった……?」
「あの子は、ずっと声を封印していた。声を出すたびに傷ついてきたから。だから、今、声を出せることが、あの子にとってはまだ奇跡みたいなことなんです」
ツバキが、シルを見た。
シルはゴエモンに何かを話しかけられて(多分「ええ声やったで」とか言われたんだろう)、耳をぴんと立てて照れていた。
「……わっちには」
ツバキが、小さく言った。
「あの子が羨ましいのでありんす」
「羨ましい?」
「声を出せることを、あんなに大切にしている。当たり前のことを、当たり前だと思っていない」ツバキの視線が、自分の手に落ちた。「わっちは……歌うことを、ずっと当たり前だと思って来ありんした。生まれたときから歌っていたから。でも、もし歌えなくなったら……わっちは、あの子みたいに、あんなに必死になれるでありんしょうか」
「なれると思いますよ」
「……根拠はありんすか」
「今、シルを見て胸が痛くなった。それが根拠です」
ツバキは、しばらく黙った。
「……一つ、聞いてもよろしいでありんすか」
「どうぞ」
「心を込めて歌うというのは……どうやって学ぶのでありんすか」
俺はツバキを見た。
その目に、さっきまでなかったものがあった。
「一緒に考えましょう」と俺は言った。「すぐには分からないかもしれないけど」
ツバキが、小さく頷いた。
白粉の顔の下で、その頬が、ほんのわずかだけ、ゆるんだ気がした。
◇
帰り道、ゴエモンが俺の隣を歩きながら言った。
「ツバキが自分から聞いたな。珍しいで、あの子が」
「そうですか」
「俺、あの子と宵ノ國でたまに話すんやけど、あの子から何か聞いてきたの、初めて見たわ」
「そうでしたか」
「お前、なんかやったんか」
「何もしてないです」
「嘘つけ」とゴエモンが笑った。「シルがええ声やったんやろ。それがツバキに刺さった」
「刺さったのはシルの歌ですよ」
「まあそやけど、あの場を作ったのはアキやんか」
俺は、特に返事をしなかった。
シルが隣を歩いていた。サイリウムを抱えたまま、静かに。
あの子が今日歌ったのは、誰かに届けようとしたからだ。届け先を持っていたからだ。かつて声を出せなかったあの子が、今こうして声を出せている。
それがツバキの胸を締め付けた。
ヲタ活というのは、そういうことだ。
本人が輝くことで、誰かの何かが動く。そのためにやってる。
「ルミナちゃん」
俺は空を見上げた。
「一人、もうすぐ動くかもしれないぞ」
石畳の路地に、昼の光が差していた。
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