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オタ芸を極めし無能、異世界で聖下と呼ばれる 〜タイガー!ファイヤー!と叫んだだけで古代の超魔法(ワシンジ)が発動する件〜  作者: シャー・アズン
第3章「異国(とつくに)の現場(ステージ)、踏破す!」

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第29話:ヲタクの「推し」理論、異文化に激突する

翌日も、俺は宵ノ國へ行った。


ゴエモンが「え、また行くんか」と言った。「また行く」と答えたら「覚悟してたけど、早いな」と言われた。


ツバキは昼前に奉納の稽古をしているらしく、茶屋の女将に断りを入れると、また奥の座敷に通してもらえた。しばらくして、昨日と同じ白粉の顔が、すっとふすまを開けた。


「……また来られたのでありんすか」


「来ました」


「物好きなお方でありんすね」とツバキが言った。感情のない声だったが、昨日より少しだけ、言葉が早かった。


「ツバキさんに聞きたいことがあって」


「なんでありんしょう」


「推しはいますか」


ツバキが、一瞬だけ目を細めた。


「……おし、とは」


「心から応援したい誰かのことです。その人のために力を出したいと思える誰か。その人が喜ぶところを見たくて、夜も眠れなくなるような誰か」


ツバキはしばらく俺を見ていた。


「……存じんせん、そのような感覚は」


「ないですか」


「ありんせん」


「そうですか」


俺は少し考えてから続けた。


「歌を届けたいと思う相手は、いますか。この人に聴かせたい、と思いながら歌ったことは」


「歌は神に捧げるもの。神以外に届けようとすることは、不敬でありんす」


「神に届けようとして、歌ったことは」


ツバキの表情が、かすかに揺れた。


「……神は、お聞きになっているかどうか、分からないものでありんす」


「そうかもしれないですね」と俺は言った。「でも、それはもったいない」


「もったいない……?」


「届くかどうか分からなくても、届けようとする気持ちがあるかどうかで、歌は変わります」


ツバキは俺を見た。また、あの事務的な顔に戻っていた。


「……それが、昨日おっしゃっていた、心を込めるということでありんすか」


「そうです」


「わっちには、その感覚が分かりんせん」とツバキは言った。「生まれたときから、歌は技術でありんす。正確に、美しく。それが全てでありんす。心を込めろと言われても、何をすればよいのか、分からないのでありんす」


「それは正直な答えですね」


「誤魔化す必要はありんせん」


後ろでゴエモンが「アキ、こういう話を朝からするんか」と小声で言った。「そうです」と返したら「タフやな」と言われた。


「ツバキさん、一つ例え話をしていいですか」


「……どうぞ」


「前世で俺が応援していた歌い手がいました。技術は、あなたと同じくらい完璧だった。音程も、声量も、表現力も。でも、その人の歌を聴くたびに、胸の奥がぎゅっとなった。なぜだと思いますか」


「……技術があったから、でありんしょう」


「技術だけなら、あなたの歌も同じはずです」


ツバキが、黙った。


「その人は、歌うとき、いつも客席を見ていた。一人一人の顔を探すみたいに。たった一人に届けようとするように。何千人いる会場でも、その目は、ずっとそこにある誰かを探していた」


「……」


「だから、胸に来た。俺に届いたと感じた。技術が同じでも、そこが違う」


ツバキは、しばらく黙っていた。座敷の外から、路地の物売りの声が聞こえた。提灯がゆらりと揺れる音がした。


「……わっちの歌に、それはありんせん」


「ええ」


「……そんなに、はっきり言うのでありんすか」


「あなたが正直に話してくれたので、俺も正直に返しました」


ツバキの目が、かすかに揺れた。怒り、ではない。何か別のものだった。


「……わっちは、ずっとそれで十分だと思っておりんした」


「そうですか」


「正確に。美しく。師匠にも、そう言われておりんした。それ以外のことを、考えたことがなかったのでありんす」


「今は?」


ツバキが、また黙った。


今度の沈黙は、さっきより少し長かった。


「……分からないのでありんす」とツバキは言った。「ただ、昨日あの方たちの歌を聴いて、わっちには分からない何かがあると思いありんした。それが何かは、まだ分からない」


「そうですか」と俺は言った。「なら、もう少し話しましょう」


俺はサイリウムを取り出した。


ツバキの目が、それを見た。昨日も見ていた。こっそり見ていた。


「さっきから気になってますか、これ」


「……別に」


「昨日も見てたのに」


「……見ておりんせん」


「見てた」


ツバキが、珍しく少しだけ顔を赤くした。白粉の下でも、耳の先が赤くなるのは分かった。


「その棒は、なんでありんすか」


「サイリウムです。俺の推し活道具です」


「おし……かつ……どうぐ……?」


「推しのために使う道具、という意味です」


「推しのために」ツバキが復唱した。「その棒を振ると、何かが起きるのでありんすか」


「起きます。昨日みんなが歌ったとき、この光を目で追っていましたよね」


ツバキは答えなかった。が、視線をわずかに逸らした。それで十分だった。


「一つ提案があります」


「なんでありんしょう」


「俺たちの演舞を、ちゃんと見てくれませんか。昨日の座敷じゃなくて、ちゃんとした場所で」


ツバキは俺を見た。


「なぜ、わっちが見る必要が」


「あなたが『心を込める』というのが分からないなら、見た方が早いから」


「……見たところで、わっちには関係のないことでありんす」


「そうですか。でも」


「でも?」


「昨日、うちのメンバーが歌ったとき、あなたは最後まで立っていた場所を見ていた」


ツバキが、黙った。


「胸に来た、と言っていましたね。なぜかは分からないと」


「……言いありんした」


「その答えを、見ながら考えてみませんか」


しばらく沈黙があった。


座敷の外から、路地の物売りの声が聞こえた。


「……場所は、どこでありんすか」


ツバキが、静かに聞いた。


「宵ノ國から歩いてすぐの、大きな神社があるとゴエモンさんから聞きました。そこを借りられますか」


ゴエモンが「知り合いに話してみるわ」と言った。


「……分かりありんした」ツバキは、小さく息を吐いた。「一度だけ、見てあげましょう。ただし」


「ただし?」


「見た後に、わっちが何も感じなかったとしても、それ以上は無理強いなさらないでくださいませ。よろしいでありんすか」


「分かりました」


「では、明後日の昼に」


ツバキはそう言って立ち上がり、ふすまを開けた。出ていく前に、一度だけこちらを振り返った。


「……その棒」


「はい」


「……光が、きれいでありんした」


それだけ言って、ふすまを閉めた。



宵ノ國を出た路地で、ゴエモンが言った。


「お前、なかなかやるな」


「二回目ですよ、それ」


「二回言うてもええことは二回言う主義や。で、あの子が来ると思うか?」


「来ます」


「根拠は」


「最後に棒をきれいだと言ったから」


ゴエモンが「……ほーん」と唸った。「そんなことで分かるんか」


「心を動かされたとき、人は最後に余計なことを言う」


「余計なこと」


「本題じゃないことを。でも、それが本当のことだったりする」


ゴエモンが「ちょっと何言うてるか分からんけど、なんか分かる気がする」と言った。なんとも関西弁らしい返し方だった。


「フィリアさん、神社の話は」


「すでに手配しております……!」


後ろでフィリアが羊皮紙を抱えながら言った。どこで手配したのかは謎だったが、この人が動くと「ワシンジの神聖な場での儀式を執り行う許可を……!」という理由でなぜか通ってしまう。ヤマト側からすれば「異国の神職者が神社を借りたい」という話に聞こえているらしく、むしろ丁重に扱われていた。


「ちなみにどうやって許可をとったんですか」


「『エルドラドの使節が光の女神の奉納儀礼を行いたい』と申し上げたら、ヤマトの神主様が『異国の神との交流か、面白い』と仰って……!」


「それはほぼ本当のことでは」


「アキ様の御活動はすべてワシンジですので……!」


違う。でも、まあいい。結果的に許可が取れているならいい。前世でいえば、なんか知らないうちに良い場所のライブチケットが取れてたやつだ。理由は聞かない。


「あの、アキ様」とミレイが言った。


「なんだ」


「神社でやるんですよね。ちゃんとした本番みたいになりますよね」


「そうなるな」


「緊張します」


「するな」


「しますよ普通に……!!」


「届けたい相手が一人増えたと思え。ツバキさんに届ける練習だ」


ミレイが「……そういう言い方ならできる気がします」と呟いた。ミレイ自身が体得した「届ける相手を決めてから声を出す」という感覚が、ここでも生きてくる。


レナは特に何も言わなかったが、歩きながら懐から笛を出して、親指でくるくると回していた。本番前の癖だと、最近分かってきた。


シルは、サイリウムをしっかりと抱えていた。その目が、前を向いていた。


「よし」と俺は言った。「明後日まで、最終調整だ」


「「「はい」」」「んっ」


三人の返事と、シルの小さな声が重なった。


夕陽が、宵ノ國の路地を朱色に染めていた。提灯に火が入り始めて、石畳に橙色の光が落ちている。


前世の縁日と同じ景色だ。


でも今は、見ているだけじゃない。


ここが、次の現場ステージになる。

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