第27話:ヤマトの港は、コールが通じない
港に降り立った瞬間、俺の頭の中で何かが爆発した。
潮風の中に、醤油の匂いがした。
屋台が並んでいた。焼き鳥みたいな串焼きと、汁物の屋台。反り上がった瓦屋根の建物が、港沿いにずらりと続いている。暖簾がかかっている。看板の文字は読めないが、雰囲気が完全に前世の縁日だった。
「……日本だ」
「は?」とレナが言った。
「いや、こっちの話だ。なんでもない」
なんでもなくない。全然なんでもなくない。前世で何度も行った神社の縁日と、ほぼ同じ空気が漂っている。前世のルミナちゃんの夏イベで来た、あの神社の縁日だ。屋台の焼き鳥を買って、一人でサイリウムを握りしめていたあの夏。
なんで異世界でこれを再体験しているんだ俺は。
「すごい……! 異国の建築様式が……!」とフィリアが羊皮紙を広げて書き始めた。「これはワシンジにおける『異地文化接触儀礼』……! あの反り上がった屋根の角度には、大気のマナを上方へ逃がす古代建築理論が……!!」
「フィリアさん、それはただの瓦屋根だと思います」
「同じことですアキ様」
同じじゃない。
ミレイは「あ、あの人たち……なんですか、あの服! 袖が広くて、帯で締めてて……!」と目を輝かせていた。シルは耳と鼻を全方向に向けて、港の情報を全身で受け取っていた。ヴァルターは武骨な顔で周囲を警戒しながら「異国というのは、緊張するな」と呟いた。
「ヴァルターさん、護衛の人が緊張しないでください」
「私は騎士だ。緊張くらいする」
「……まあそうか」
そんな感じで、俺たちは港に一歩踏み出した。
◇
問題が、すぐに起きた。
「こちらのお方方は、いずこからお越しでありますか」
港の役人らしき男が、流暢なエルドラド語で声をかけてきた。白い装束に、黒い烏帽子。背筋がまっすぐで、礼儀正しい雰囲気だった。
「エルドラド王国からの使節団です。国王陛下の親書をお持ちしています」とフィリアが答えた。
「ほほう、これはこれは」役人が親書を確認して深々と頭を下げた。「お待ちしておりました。ただ……」
役人の目が、俺の手元のサイリウムに止まった。
「……その棒は、なんでありましょうか」
「サイリウムです」
「さいりうむ……?」
「光る棒です」
「……武器、でしょうか」
「違います」
「では、儀式の道具でありましょうか」
「まあ、そうとも言えます」
役人が「ほほう……」と言いながら、明らかに怪しいものを見る目をした。後ろの役人たちも同じ目をしていた。こういう目は前世でも見たことがある。ライブ帰りに電車でサイリウムを持っていると、近隣の乗客全員がこういう目をする。
「中に入っていただく前に、その棒を預かることはできますでしょうか」
「できません」
「……はあ」
「これは俺の商売道具(必須アイテム)なので、手放せません」
役人が困り果てた顔をした。ヴァルターが「貴公、少し言い方を考えろ」と囁いた。
「いや、でも本当のことだし」
「本当のことでも言い方というものが……!」
そこへ。
「あーもう、えらい騒がしいな」
背後から、のんびりした声が割り込んできた。
振り返ると、港の柵にもたれて、男が一人、こちらを眺めていた。
歳は三十前後。くたびれた着物に、腰に刀を二本差している。ぼさぼさの黒髪。無精髭。全体的に緩い。ただ、腰の刀の柄に添えた手の位置だけが、異様に自然だった。
「あの棒な」と男が言った。「見た目はけったいやけど、別に刃物でも爆発物でもないやろ。通してやったらええやん」
「し、しかし……規則が」
「規則、規則ゆうてもなあ。この人ら、王様の使節やろ? そんな連中が港でいちゃもんつけられてたら、外交問題になるで?」
役人がびくっとした。「そ、それは……」
「まあ、俺が保証したるわ。揉め事は起こさん。ちゃんと目は光らせとく。それでええやろ?」
「……わ、分かりました。では、お通りを」
役人が引き下がった。
俺はその男を見た。男は「よっ」と軽く手を上げた。
「助かりました」
「別にええよ。なんか面白そうな連中やなーと思ってな」
男はそう言いながら、俺たちをじろじろと見た。フィリアを見て「お、エルフか。珍しいな」と言い、シルを見て「獣人……こんなとこまで来るんやな」と言い、レナを見て「……でかいな」と言い、レナに睨まれた。
「おっと、失礼。身長のことや。悪意はないで」
「……ふん」
ヴァルターを見て「騎士か。えらい立派な鎧やな」と言い、ミレイを見て「魔術師か? 若いな」と言い、最後に俺を見た。
「お前が頭か」
「そうです」
「ふーん」
男は俺の頭のてっぺんから足の先まで見て、それからサイリウムを見た。
「その光る棒、さっきから気になっとんねんけど」
「サイリウムです」
「なんや、さいりうむって」
「ルミナ様に祈りを捧げる道具です」
「ルミナ? 異国の神か」
「そうです」
「ほーん」と男は頷いた。「で、それ振ると何が起きるんや」
「いろいろ起きます」
「いろいろって何や、いろいろって」
「見てみますか」
「おっ、ええの?」
俺はサイリウムを構えた。港の朝の空気の中で、軽くOADの基礎ステップを踏んだ。サイリウムが幾何学の光跡を描いて、朝陽の中でオレンジと白が混ざって輝いた。
「「「「おおっ!!」」」」
周囲の港の人間が、一斉に反応した。役人も、屋台の主人も、積み荷を運んでいた人夫たちも。
「な、なんや、あれは……!」「光の術か……!」「異国の魔術師か!?」
「面白いやんけ!」
男が、満面の笑みになった。
「俺、こういうの好きやわ。お前ら、どこ行くつもりや?」
「とりあえず宿を探してます。あと、ヤマトの事情に詳しい案内人も」
「案内人か」
男は少し考えた。そして「ええわ」と言った。
「俺がやったるわ」
「……え」
「案内人。俺、今ちょうど暇やし、お前らは面白そうやし。金さえもらえれば文句ないで」
「それは助かりますが……あなたは何者ですか」
「あ、そうか、名乗ってなかったな」
男は腰の刀の柄を軽く叩いた。前世でいえば、名刺を取り出す前にポケットをはたくような仕草だった。
「影辻五右衛門。ゴエモンでええよ。元は武士やったんやけど、今は浪人や。まあ、用心棒みたいなことをして食っとる」
「……アキ・ラベインです。こっちはフィリア、レナ、ミレイ、シル、ヴァルターです」
「ええ名前やな。アキって呼んでええか?」
「どうぞ」
「よっしゃ。アキ、お前ら面白い連中やな。気に入った」
ゴエモンは気持ちいいほど軽い男だった。
フィリアが「あ、アキ様……この方は信用できるんですか……?」と耳打ちしてきた。
「さあ」と俺は言った。「でも、さっき助けてもらったし、土地勘があるのは確かだ」
「それだけで……」
「前世でも、ライブ会場の近くで声をかけてきた同志(ヲタク仲間)は、だいたい頼りになった」
「……それとこれとは関係ないと思いますが」
「同じだ。現場(旅先)での出会いは、大体本物だ」
フィリアが「アキ様の判断基準、毎回ヲタク軸なんですね……」という顔をした。
◇
ゴエモンの案内で、まず宿を確保した。
港から少し入った通りにある、小ぢんまりとした宿屋だった。玄関に暖簾がかかっていて、靴を脱いで上がる形式になっていた。
「靴を脱ぐんですね」とミレイが言った。
「そや。ヤマトはそういう文化や」
「なぜですか」
「なんでやろな。子供の頃から当たり前やったから、理由は考えたことないわ」
「……合理的な習慣だと思います」
「そか、ありがとな」
レナが無言で靴を脱いだ。シルはもともと靴を履いていないので問題なかった。ヴァルターが重い鎧の足甲を外すのに苦労していた。フィリアが「これはワシンジにおける『聖地への入場礼装儀礼』……!」と言い始めたのを、俺は「違います」と止めた。
宿の中は、畳敷きだった。
俺はその畳の感触を足の裏で感じた瞬間、心の中で確信した。
(やっぱり日本だ)
「アキ、なんかぼーっとしとるな」
ゴエモンが、隣で茶を飲みながら言った。宿の女将が出してくれた緑茶だった。
「少し、懐かしい感じがして」
「懐かしい? 来たことあんのか」
「……似た場所に、昔いたことがあります」
「ほーん」ゴエモンは深く聞かなかった。そういうことをさらっと流せる男らしかった。「で、明日からどうするんや? せっかく来たんなら、俺が案内したるで。どこ行きたい?」
「まず、この国で一番いい歌を聴けるところに行きたい」
「一番いい歌……」ゴエモンが少し考えた。「そやな、ほんなら宵ノ國やな。花街や。歌巫女がおる。まあ、ちょっとええ値段するけど」
「行きましょう」
「はや!? 着いた当日に行くか普通!?」
「明日でもいいです」
「明日にしてや……俺も段取りしなあかんし」
ゴエモンが「けったいな連中やな、ほんまに」と呟きながら茶を飲んだ。
「ゴエモンさんは、歌巫女の歌を聴いたことがありますか」
「あるで。宵ノ國は有名やから。あそこの歌は上手いんやけどな……なんか、こう、胸に来んのよな。うまく言えんけど」
「うまいのに、響かない」
「そや! それや! なんでやろな」
「……それを確かめに行きます」
「ふーん」ゴエモンは俺をじろっと見た。「お前、なんかただのお祈りの人とちゃう気がするんやけど」
「そうです。前世はトップヲタでした」
「……そか」
ゴエモンは意味が分からないながらも、「まあええか」という顔をした。この男の「まあええか」という処世術は、なかなか使い勝手がいいと思った。
窓の外、ヤマトの夕暮れが、朱色に街を染めていた。
瓦屋根の向こうに、鳥居が見えた。
俺は、それをしばらく眺めた。
前世の夏の縁日。浴衣の人込み。冷たいラムネ。そして、ステージの上で歌っていた、ルミナちゃん。
「ルミナちゃん」
俺は小さく呟いた。
「ここも、お前の現場にするから。待ってろ」
夕風が、暖簾をやさしく揺らした。
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