第26話:王国の外は、未知の現場(ステージ)だらけ
邪神教団を退けてから、一ヶ月が経った。
その一ヶ月で、ルミナ教はエルドラド王国の主要都市に広まった。
王国公認・光の女神ルミナ聖歌隊の名は、王都から辺境まで轟いた。ギルバートの教会には毎朝、参拝者が列を作った。フィリアが「これぞワシンジの普及……!」と泣きながら記録し続けた信者名簿は、すでに三冊目に突入していた。
ルミナちゃんは、いま確実に王国一の推し神(トップ神)に近づいている。
前世でいえば、デビューしたばかりのアイドルが、リリースから一ヶ月でオリコン一位を獲ったくらいの快進撃だ。
「アキ様!」
教会の庭で俺がOADの基礎練習をしていると、フィリアが羊皮紙の束を抱えて駆け込んできた。走り方が珍しく急いでいる。
「なんだ」
「国王陛下からの親書です。至急とのことで……!」
「至急か。珍しいな」
「はい。それと……内容を先に読んでしまったのですが、アキ様、これは……!」
フィリアが羊皮紙を差し出す。受け取って読んだ。
内容は短かった。
『聖下に依頼がある。隣国ヤマトとの外交使節として、ルミナ教の奉納演舞を披露してほしい。詳細は使者に聞け』
「……ヤマト」
「エルドラド王国の東に位置する島国です。文化・言語・宗教、すべてが我が国とは全く異なると言われています」
俺は羊皮紙を返した。
そして、心の中でスイッチが入った音を聞いた。
カチリ、と。
「ワールドツアーだ」
「は?」
「海外遠征。国外初公演だ。やるに決まってる」
フィリアが「は、はあ……!?」という顔をした。それはもはや驚きでも困惑でもなく、「またか」という、疲れた一級魔術師の顔だった。
◇
全員を集めて、話を伝えた。
「ヤマト国への外交使節として、奉納演舞を披露してほしいと国王から頼まれた。行くかどうか、意見を聞く」
「行く」とレナが即答した。
「え、もう決めたんですか」とミレイが驚いた。
「どうせ行くんだろ、あんたは」とレナが俺を見た。
「まあ、そうだ」
「なら行く。センターが行かなくてどうする」
レナは腕を組み直した。相変わらず素直じゃないが、言っていることは筋が通っている。センターとしての自覚が、一ヶ月でだいぶ育ってきていた。
「わたしも行きます……!」とミレイが手を挙げた。「異国の魔術を見てみたいです。魔力の波長が変わるかもしれないですし」
「ヲタク的には正しい動機じゃないが、まあいい」
シルは、サイリウムを胸に抱えてこくりと頷いた。それから地面に指で書いた。「もっとおおきなところでうたいたい」。
「大きな現場で歌いたい、か。ヤマトはちょうどいいかもしれないな」
「アキ様……!」
フィリアが、感動に顔を上げた。
「異国への布教……これはまさにワシンジの大陸伝道……! 古代の記録にも、聖なる術者が海を越えてワシンジを伝えたという伝説が……!! わたくし、わたくしも参ります……!! 記録します……! この歴史的瞬間を……!!」
「まあ、来ると思ってた」
「……当然ですっ」
フィリアが、珍しく胸を張った。
◇
翌日。
王都からヴァルターが来た。
「護衛として同行しましょう」と言ったとき、ヴァルターの顔には「また聖下に付き合うことになった」という複雑な表情が浮かんでいた。でも拒否はしなかった。この人は本当に真面目だ。
「ヴァルターさん、ありがとうございます」
「いえ……陛下の命ですので」
「まあ、そう言わず」
「……貴公と旅をすると、毎回何かとんでもないことが起きますが」
「そうかな」
「そうです」
「今回は海外だから、もっととんでもないかもしれない」
ヴァルターが目を閉じた。覚悟を決める顔だった。
旅の準備が始まった。
ここで問題が発生した。旅装(旅の荷物と服装)をどうするか、だ。
「アキ様、こちらをどうぞ」とフィリアが羊皮紙を広げた。「異国での礼装として、エルドラド王国の公式使節に相応しい衣装を用意しました。ただし、これはワシンジにおける『移動の礼装』の伝統に則ったもので……!」
「フィリアさん、トラベルコーデって何ですか」
「アキ様のヲタク語を参考に命名しました!」
「そのまま使わないでほしいんだが」
「アキ様のお言葉はすべてワシンジです……!」
いや違う、と言いかけて止めた。説明する気力がなくなってきた。一ヶ月でだいぶ心が磨耗してきている。前世でいえば、声優業と偶像業を兼任しながら全国ツアーをやらされているアイドルの精神状態に近い。
「これ以上アイテムが増えると荷物が重くなります」とミレイが冷静に言った。
「そうだな。必要最小限にしろ」
「でも、ワシンジの施術道具は必須ですっ」とフィリアが言った。
「俺の施術道具はこれだけだ」
俺はサイリウムを取り出した。永久機関のオレンジの光が、朝の教会庭を照らした。
フィリアが「……それだけでよく世界が救えるものですね」という顔をした。
「救えてるんだからいいだろ」
「……まあ、そうですね」
◇
出発の前夜、ガルドが見送りのための夕食を用意してくれた。
シチューとパン。いつもと同じメニューだった。でも、いつもより少し丁寧に作ってあった。
「遠くへ行くんじゃな」とガルドが言った。
「海を越えます」
「海か。わしは若い頃、海を一度だけ見たことがある」
「どうでしたか」
「……でかかったのう」
「そうですか」
「ルミナ様のご加護があることを祈っておるよ」
ガルドは、白い頭を深く下げた。五十年間一人で守ってきた教会の老神官が、こうして毎回見送ってくれることに、俺は毎回なんとなく背筋が伸びる気がした。
「留守を頼みます」
「任せておけ。椅子磨きと花壇の水やりは欠かさんよ」
「……ありがとうございます」
「ルミナ様は、広いところへ広がってこそじゃ。行っておいで」
◇
翌朝、俺たちはギルバートを出た。
王都経由で港へ向かい、そこからヤマト行きの船に乗る。王国と隣国を結ぶ定期便で、片道二日の船旅だという。
「船か」とレナが、港で船を見上げながら言った。
「乗ったことあるか」
「冒険者時代に一度だけ。……あまり得意ではない」
「酔うのか」
「……そういうことは聞くな」
「了解」
ミレイは「海、初めてです……!」と目を輝かせていた。旅装の魔術書がいつもより一冊多い。勉強する気満々だ。
シルは港の匂い(潮風・魚・木材)を鼻でふんふん嗅いで、耳をあちこちに向けていた。好奇心の塊だった。
フィリアは既に羊皮紙を広げて、港の地形と船の構造を記録し始めていた。「これはワシンジにおける『聖地間移動の経路』として後世に残さなければ……!」と言っていた。後世に残すな。
俺は港から見える水平線を眺めた。
前世でも、海外のライブに遠征したことがある。飛行機で十時間以上かかる国まで、推しを追いかけていった。あの感覚に、少し似ていた。
「……行くか」
舷梯を上りながら、俺はサイリウムを一度だけ揺らした。
オレンジの光が、港の空気の中で弧を描いた。
出港の合図の鐘が、港に鳴り響いた。
◇
二日間の船旅は、半分以上がギャグだった。
レナが三時間で船酔いになり、甲板で青い顔をして「あたしは陸の上の生き物だ」と言い続けた。ミレイが「海上での魔力の分散係数が陸上と違う……!」と発見して一人で騒いでいた。シルは最初から最後まで船首に立って、風と波の音を全身で受けていた。その耳と尻尾がずっとぴんと立っていた。
俺は?
船の揺れも潮風も気にならなかった。前世のライブ遠征で鍛えられた胃腸は、異世界の船旅くらいではびくともしない。ヲタクの体は資本であり、資本は鍛えてこそだ。
フィリアが「アキ様は何でも平気なんですね」と呆れた顔で言った。
「前世の修行の賜物だ」
「修行というか……ただの現場通いですよね」
「それが修行だ」
「……修行、ですか」
そして二日目の昼過ぎ。
「見えてきた」
ヴァルターが、船の舳先で指をさした。
水平線の向こうに、ぼんやりとした輪郭が浮かび上がっていた。
山が、多い。
緑が濃い。
そして、見慣れない形の屋根が、崖の上に並んでいるのが見えた。
瓦屋根。反り上がった軒先。朱色の大きな門。
「……」
俺は、その国影を見つめた。
胸の中で、前世の記憶が一瞬、ざわめいた。
神社。祭り。縁日の屋台。浴衣を着た人々。
「アキ様、あれがヤマト国です」とフィリアが言った。
「……そうか」
「どうしましたか? お顔が少し赤いですよ」
「気のせいだ。風が強かっただけだ」
「……そうですか」
シルが、俺の袖をそっと引っ張った。そして船の前方を指した。「あっちいく?」という目をしていた。
「ああ」
俺はサイリウムを懐にしまい直した。
「初めての現場だ。何が待ってるか分からないが」
レナが「あんた、もう少し不安を持て」と船酔いのまま言った。
「不安があっても行くなら、持つ必要はない」
「……まあな」
レナが渋々同意した。
ヤマトが、近づいてくる。
波の音と潮風の中、光の女神の聖歌隊は、生まれて初めての異国の港へ、向かっていった。
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