第25話:俺たちのヲタ活は、まだ始まったばかりだ
邪神教団が撃退され、ギルバートに朝が来た。
噂は、恐ろしいほど速く広まった。
ギルバートで邪神教団が現れたこと。聖歌隊の奉納演舞が街を守ったこと。光の女神ルミナが実体を持って顕現したこと。その日の午後には王都への伝令が走り、翌朝には国王からの親書がギルバートに届いた。
内容は短かった。
「ルミナ様の奇跡に感謝する。聖歌隊の活動を、王国全土において無条件に支援する」
以上だ。
「……無条件に」と俺は読み返した。「太っ腹だな、陛下も」
「王妃陛下をお救いになった恩もありますし、邪神教団を退けたとなれば、それはもう……」とフィリアが言いかけて、続けた。「ルミナ教の名が、今頃王国中に轟いているはずです」
「そうか」
まあ、そりゃそうだろうな。ギルバートで女神が顕現したとなれば、都市伝説レベルの話題になる。前世でいえば、解散したはずのグループが突然ライブ配信で復活して世界トレンド一位になるやつだ。
この勢いで王国全土に布教できる。
ルミナちゃん、来た。ようやく来た。
◇
昼過ぎ、教会の庭に全員が集まった。
ガルドが茶を出してくれた。礼拝堂の修復された右腕のルミナ像が、庭から見える位置に光を受けて輝いていた。
俺はメンバーの顔を順番に見た。
レナ。ミレイ。シル。フィリア。
「お疲れ。よくやった」
そう言うと、四人がそれぞれに反応した。
レナは「ふん」と言って顔を逸らした。照れている。
ミレイは「お疲れ様です」と言ってから「ありがとうございます」とも言い直した。
シルは、こくりと頷いた。それから、少し間を置いて、小さく「……んっ」と言った。声で返事をしたのが、まだちょっと嬉しそうだった。
フィリアは「いいえ、わたくしは防護魔術を張っていただけで……」と言いかけて、「……でも、よかったです」と続けた。珍しく、誤訳もせず、シンプルに。
「一つ聞く」と俺は言った。「次、どうしたい」
「次、ですか」
「聖歌隊として、次に何をやりたいか。一人ずつ聞かせてくれ」
◇
レナが最初に答えた。
「……もっとうまくなりたい」
「うまく、というのは」
「声が、まだ安定しない。動きが速くなると声がぶれる。本番では感覚でやれたが、毎回それじゃ話にならない。ちゃんと技術で安定させたい」
「そうだな」
「笛も、ちゃんと曲に乗せたい。あたしのパートに、笛のフレーズを入れてほしい」
「考える」
「……以上だ」
レナは腕を組み直した。まだ照れているのか、少し顔が赤かった。
ミレイが次に口を開いた。
「わたしは……もっと遠くまで届けたいです」
「声を?」
「声も、魔力も。本番で、会場の後ろまで届いてるか正直分からなかった。上手いとか下手とかじゃなくて、一番遠い人まで届いてる実感が欲しいです。そのために、もっと練習したいです」
「届けたい相手を増やすってことだな」
「……はい。あの先生一人から、もっとたくさんの人に」
ミレイが、少し笑った。自分でそれを言えたことが、少し意外そうでもあった。
シルは、答えるのに少し時間がかかった。
地面に、指で字を書いた。
「もっとしゃべる」
「練習するってことか」
シルは頷いた。
「なんで」と俺は聞いた。
シルはまた地面に書いた。
「ルミナちゃんに聞かせたい」
俺は、少し黙った。
「……そうか。じゃあ練習しよう」
シルが、耳をぴんと立てた。
◇
「じゃあ俺は」
三人の話を聞いてから、俺は立ち上がった。
「次は王国の外まで布教するぞ」
「……え?」とミレイが言った。
「王国全土の布教もまだ終わってない。その外まで視野を広げる。世界中をルミナちゃんの色に染め上げてやる」
「い、いきなりスケールが……!」
「ヲタ活に限界はない」
「それはそうかもしれないですけど……!!」
レナが額を押さえながら「どうしてこいつはこうなんだ」という顔をしていた。シルがサイリウムをぶんぶん振って同意を示していた。
「アキ様……!」
フィリアが、目を輝かせながら前に出た。
「世界中への布教……! これぞワシンジの普遍真理の拡散……! 大陸中のマナの流路を光で書き換えるという、古代の大術式が……!」
「そんなんじゃないけど」
「でも! アキ様が世界中に向かうということは、わたくしも、みなさんも、一緒に行くということですよね……!!」
「そうだ」
「……では」
フィリアが、少しだけ声のトーンを落とした。
「わたくしも、もっと強くならないといけませんね」
「うん?」
「防護魔術だけじゃ足りないかもしれません。道中には、邪神教団より強い敵もいるかもしれない。役に立てるよう……もっと、研鑽を積みます」
「頼む」
「はい」
フィリアは、いつもより静かに、でも確かな目で頷いた。
その目を見て、俺はなんとなく、フィリアの中で何かが変わってきているのを感じた。前は「アキ様の研究をするため」だったのが、今は「一緒に行くため」になっている。
まあ、それはそれでいいだろう。
「よし、じゃあ方針は決まった」
「「「はい」」」「んっ」
三人と一人の声が重なった。バラバラで、でも同じ方向を向いていた。
「今日のところはゆっくり休め。明日から、また練習だ」
「休む暇を先に宣言するんですね」とミレイが言った。
「お前らも疲れてるだろ」
「……まあ、そうですね」
「あんたも少しは休めよ」とレナが言った。
「俺は大丈夫だ」
「大丈夫じゃない顔してる」
「そうか?」
「そうだ」
俺は苦笑した。「分かった、少し休む」
レナが「そうしろ」と言って、坂道を下りていった。ミレイが「お疲れ様でした!」と声をかけて追いかけた。シルが、俺の手にそっとサイリウムを押しつけて(渡したわけじゃなく、確認したいだけ、というような仕草で)、そして静かに帰っていった。
◇
庭に、フィリアだけが残った。
「……フィリアさんも休んでいいぞ」
「はい。すぐ帰ります」
でも、帰る気配がなかった。
「何かあるか」
「……いいえ」
「本当に?」
「……本当に、何もないんです」
フィリアは少し間を置いた。
「ただ、今日一日のことを、少し整理したくて。頭の中が、まだ追いついていないので」
「ルミナちゃんのことか」
「それも、あります」
それも、という言い方が少し引っかかったが、追いかけなかった。
「ゆっくり整理しろ」と俺は言った。「急ぐことじゃない」
「……はい」
フィリアは、礼拝堂のルミナ像を見上げた。修復された右腕が、夕陽を受けてオレンジに輝いていた。
「アキ様は」
「うん」
「ルミナ様のことを、ずっと前から知っていたんですか」
俺は少し考えてから、正直に答えた。「……前世で、似た顔の人を知ってた」
「そうですか」
「それだけだ。詳しいことは、俺にも分からない」
「そうですか」
フィリアは、もう一度ルミナ像を見た。それから、小さく頷いた。
「……分かりました。では、また明日」
「ああ、また明日」
フィリアが、坂道を下りていく。
その後ろ姿を、俺は見送った。
夕陽の中を歩くフィリアの背中が、少しだけ遠くなってから、その足が一瞬だけ止まった。
振り返らなかった。
でも、止まった。
それだけだった。
◇
一人になった庭で、俺はサイリウムを取り出した。
永久機関のオレンジの光が、夕暮れの中で静かに輝く。
ルミナちゃんのことは、まだよく分からない。前世の記憶のことも、「ずっと待っていた」という言葉の意味も、「好きだった曲を覚えてる?」という問いかけの真意も。
何も、分からないままだ。
だが。
「まあ、いいか」
分からないことは、これから分かればいい。ヲタクというのは、推しのことを一生かけて理解し続ける生き物だ。全部一度で分かったら、むしろつまらない。
「ルミナちゃん」
俺は夕空に向かって、サイリウムをゆっくりと掲げた。
「今回もお疲れ。次も、よろしく頼む」
サイリウムが、ぱっと一段階明るく輝いた。
返事、なのかもしれなかった。
「よし」
俺はサイリウムを懐にしまい、立ち上がった。
一人のヲタクの推し事が、世界の歴史を書き換えていく――。
まだ、始まったばかりだ。
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