第23話:聖歌隊、初の「本番(奉納演舞)」で世界が揺れる
夜明け前に、空が黒く染まった。
「来ます……!」
フィリアが、礼拝堂の扉を押さえながら叫んだ。「瘴気が……! メリオールの記録と同じです……!」
教会の外から、ギルバートの住民たちの悲鳴が聞こえた。通りが、暗く染まっていく。地面のひびから、黒い靄が滲み出していた。遅い。まだ街全体を覆うには至っていないが、刻一刻と広がっていた。
俺は礼拝堂の扉を開けた。
「アキ様、危険です……!」
「分かってる」
教会の前の坂道を見下ろした。ギルバートの住民たちが家に駆け込もうとしている。いくつかの家の明かりが、瘴気に触れて消えていく。遠くで、子供の泣き声がした。
俺の背後で、レナが剣のホルスターを確かめた。
「戦うか」
「いや、演舞をやる」
しばらくの沈黙があった。
「今、邪神教団が来てる最中にか」とレナが言った。
「ああ」
レナは俺の顔をじっと見た。それから、ため息を一つついた。「……まあ、お前が言うなら」
「ミレイ、声は出るか」
「……出します」ミレイは魔術書を抱えたまま、唇を一度噛んでから顔を上げた。「出してみせます」
シルが、サイリウムをぎゅっと握りしめて、こくりと頷いた。
「フィリアさんは防護魔術を頼む」
「……はい」フィリアは震える声で答えてから、一度深く息を吸った。「必ず守ります」
「よし。行くぞ」
◇
教会の前に、四人が立った。
夜明け前の薄闇の中、ギルバートの坂道の先に、黒い靄が広がっていた。その向こうに、黒いローブを纏った者たちの影が見えた。数は十を超えている。
「……あれが邪神教団か」とレナが呟いた。
「そうだろうな」
「でかい。あの靄」
「ああ」
街の住民たちは逃げ込んだのか、通りに人の姿はなかった。ただ、あちこちの窓から、怯えた顔がのぞいていた。
俺はサイリウムを取り出した。永久機関のオレンジの光が、薄闇の中でぱっと輝く。
「三人とも」
「ああ」「はい」「……んっ」
「合宿を思い出せ。最後に全員のコールが揃った瞬間を」
礼拝堂の壁画が光ったあの瞬間。三人分の声と光が、ひとつになったあの一瞬。
「それをやる。ただ、今度は本番だ」
俺はサイリウムを構えた。
深呼吸を一回。
腹の底から、全部を込めて。
「行くぞ――――ッ!!」
OAD、解放。
サイリウムが空を裂いた。オレンジの光が夜明けの空に幾何学の軌跡を刻み、ステップを踏むたびに石畳が震えた。前世で何千回と立った現場の感覚が、全身に戻ってくる。
レナが動いた。
体の芯から重心を落として、大地を踏み固めるように。何かを守ろうとしてきた者の、揺れない足取りで。その動きに合わせて、低く、深い声が出た。
ミレイが声を出した。
先生の顔を思い浮かべて出した、あの「見てろよ」の声より、もっと大きく。届けようとする相手が、今日は一人じゃない。怯えて窓から覗いているギルバートの住民全員に向けて、魔力がまっすぐ前に飛んだ。
シルのサイリウムが、弧を描いた。
光の尾を引きながら、三人の動きと声の中心に、まるで最初からそこにいたように収まった。銀色の髪が、光の中で揺れた。
「タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー!」
俺のコールが、夜明けのギルバートに響いた。
「ダイバー! バイバー! ジャージャー!!!」
スタンダードMIXが解放された瞬間、教会の上空に純白の光の柱が天へ伸びた。
◇
黒い靄が、止まった。
邪神教団のローブの者たちが、動きを止めた。
光の柱は細くなるどころか、三人の声と動きに呼応して、さらに広がり続けた。オレンジと白が混ざって、ギルバートの通りを照らし始める。
「なんだ……あれは……」
窓の奥から、声がした。
「聖歌隊だ」別の声がした。「聖下と……聖歌隊の子たちが……!」
最初の声は、子供のものだった。
「ルミナ様……?」
その声に、何かが応えるように、教会の壁画が光った。礼拝堂の奥から、温かいオレンジの光が染み出して、扉の隙間から外へ溢れてきた。
「……ハイッ!」
突然、通りの一軒の窓が開いた。
中から、四十がらみの職人らしき男が顔を出した。三日前、合宿の野次馬の中にいた顔だ。
「ハイッ! ハイッ!」
男が、俺のコールに合わせてリズムを刻んだ。ぎこちなくて、音程もない。でも確かに、同じリズムで。
「「ハイッ!!」」
別の窓が開いた。また別の窓が開いた。怯えて隠れていた住民たちが、一人、また一人と顔を出した。誰かが手拍子を始めた。それが広がっていく。
「「「ハイッ! ハイッ!!」」」
ギルバートの通りが、声と手拍子で満ちた。
リプレの村で暗黒竜を消したあのとき、たった一人でやったスタンダードMIXを、今度は街全体が一緒にやっていた。
「……ッ」
俺は、一瞬、動きを止めそうになった。
こらえた。
ここで止まるわけにはいかない。
「タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー!」
もう一度、フルでコールした。
「「「ダイバー! バイバー! ジャージャー!!!」」」
今度は街全体が唱和した。
光の柱が、二倍になった。
黒い靄が、悲鳴を上げるように渦巻いて、そして消えた。地面のひびから出ていた瘴気が引いていく。邪神教団の者たちが、光から逃げるように後退していく。
一人が叫んだ。「撤退だ……! この光は……我らの呪が通じない……!!」
影たちが、黒い霞の中に消えていった。
街に、朝の光が差し込んできた。
◇
東の空が、白んでいた。
通りに出てきた住民たちが、互いに顔を見合わせていた。まだ信じられないという顔をしている者も多かった。でも誰もが、軽くなった空気を全身で感じていた。
「あの……」
坂道の下から、一人の少年が駆け上がってきた。さっきリプレの村で最初に声を上げた子供だ。
「聖歌隊の……お姉さんたちは、本物の巫女様なんですか」
少年はレナを見上げて、目を輝かせていた。レナが面食らった顔をした。
「……あたしは、ただの元冒険者だ」
「でも、すごかった! 声が出たとき、怖くなくなった!」
レナは少年をしばらく見ていた。それから、照れたように視線をそらした。「……そうか」
ミレイは、自分の手のひらを見つめていた。まだ魔力の余韻が残っているのか、指先がかすかに光っていた。「……届いた。ちゃんと、届いた」
シルは、光の中でサイリウムをゆっくりと降ろした。それから、口元がほんのわずかに動いた。声ではなく、でも確かに、何かを言おうとしていた。
「フィリアさん」と俺は言った。「防護魔術、ありがとう」
「いえ……わたくしは、守ることしかできませんでした。みなさんが、戦ったんです」
「十分だよ」
俺はサイリウムを懐にしまった。
腹の底から、心地よい疲労感がある。前世のライブ終わりと同じ感覚だ。全力を出し切ったあとの、あれ。
「ルミナちゃん」
俺は礼拝堂の扉を見た。
扉の隙間から、まだうっすらとオレンジの光が漏れていた。
「見てたか。ルミナちゃんの聖歌隊の、初めての本番だ」
光が、ゆらりと揺れた。
まるで、返事のように。
その瞬間、扉が内側からゆっくりと開いた。
礼拝堂の中は、光に満ちていた。ルミナ像の修復された右腕が、差し伸べられたまま、光の中に輝いていた。
だがその光の中に、像ではない何かがあった。
人の、形をした、光だった。
「……え」
俺は、固まった。
光の輪郭が、ゆっくりと人の形に定まっていく。金色の長い髪。柔らかく微笑む瞳。
俺が、何千回もペンライトを振って見つめた、あの顔だった。
「……っ」
後ろで、フィリアが息を呑む音がした。レナもミレイもシルも、声を失っていた。
光の中の人影が、口を開いた。
「……ずっと、待っていたよ」
声は、耳ではなく、胸の奥に直接届くような声だった。
俺は、そこから先の言葉が、出なかった。
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