第22話:ライバル宗教(邪神教団)、宣戦布告してくる
合宿が終わって三日後の朝。
教会の前に、人だかりができていた。
合宿中の野次馬とは、明らかに様子が違った。誰も歓声を上げていない。誰も手帳を広げていない。ただ、重い沈黙だけがあった。
「アキ様、これは……」
フィリアが、人だかりの中心を見て、声を震わせた。
人だかりの真ん中に、一枚の羊皮紙が、教会の門に打ちつけられていた。近づいて、文字を読んだ。血のように赤い染料で書かれた、荒々しい筆跡だった。
『光の女神の偽りの教えよ。我らが主の名のもとに、貴様らの聖地を滅する。逃げ場はない』
署名はなかった。ただ、紋章だけがあった。黒い、八つの目を持つ蛇が、円を描いて自分の尾を喰らっている図。
「フィリアさん、この紋章は」
「……邪神教団です」
フィリアの声が、初めて聞くほど硬かった。
「邪神教団……?」
「太陽神教や、わたくしたちのようなまっとうな信仰とはまったく違う、闇に堕ちた者たちです。詳しいことは、わたくしも文献でしか知りません。ただ……五十年に一度、各地で大規模な災厄を引き起こす、危険な集団だと」
「五十年に一度の……」
ふと、頭の中で何かが繋がった。
「リプレの村で出た暗黒竜、あれは」
「……邪教徒の召喚によるものでした。当時は単独犯と思われていましたが」
「今思えば、邪神教団の仕業だった可能性が高いってことか」
フィリアが、青ざめた顔で頷いた。
◇
「これは、太陽神教の仕業じゃないのか」とレナが羊皮紙を見ながら言った。
「太陽神教とは、また違う組織のようです」とフィリアが答えた。「ですが……」
「ですが?」
「先日、王都で気になる噂を耳にしました。太陽神教のアルベルト大神官長が、最近様子がおかしいと。急に強硬な発言をするようになったり、これまでの方針からは考えられないような判断をしたり」
俺は黙って聞いた。
「もしかすると」とフィリアが続けた。「アルベルト様は、邪神教団に何らかの形で操られているのではないか、と」
ミレイが小さく息を呑んだ。「操られてる……?」
「確証はありません。ただの噂です。ですが……今回のこの宣戦布告と合わせて考えると」
礼拝堂の中が、しんと静まり返った。シルが、サイリウムをぎゅっと握りしめていた。表情は変わらないが、握る力が強くなっているのが分かった。
「もし邪神教団が本当にこの教会を……いえ、ギルバートの街全体を狙っているとしたら……わたくし、わたくしたちは……」
フィリアの声が、震えていた。その先の言葉を、続けられなかった。
「具体的に、何が起きるんだ」
俺がそう聞くと、フィリアは少し躊躇してから、苦しそうに答えた。
「五十年前、王国の南にあったメリオールという町が、邪神教団の標的になりました。当時の記録によれば、ある朝、町の周りの土が音もなくひび割れて、そこから黒い瘴気が立ち上ったそうです。瘴気は風もないのに、町全体を覆うほどの速さで広がりました。それに触れたものは、人であれ建物であれ、輪郭から黒く染まり、崩れるように溶けて消えていく。叫び声を上げる暇もなかったと。」
フィリアの声は、抑えていても震えていた。
「町に駆けつけた救援隊が見たのは、何もない更地でした。家も、人も、井戸も、何一つ残っていなかった。人口三千の町が、夜が明ける前にそうして消えました。生き残ったのは、たまたま隣町に出ていた数人だけ。今もメリオールの跡地には、何も生えず、立ち入ることが禁止されています。」
礼拝堂の中が、しんと静まり返った。
「フィリアさんも、その記録を読んだとき怖かったか」
「……はい。今でも、思い出すと手が震えます」
俺は、フィリアの顔を見た。いつも自信満々で、勘違いの持論を堂々と語る一級魔術師が、今は本当に怖がっていた。震えていた。
それを見て、俺の中で、何かが固まった。
◇
「フィリアさん」
俺は静かに言った。
「俺がここまでやってきたのは、何のためだと思う」
フィリアが、俺を見た。
「ルミナちゃんを、トップに押し上げるためだ。布教のためだ。教会を直して、聖歌隊を作って、王国に公認させて……全部、その一歩一歩だった」
俺はサイリウムを取り出した。懐から、何百回と握ってきた、永久機関の光。
「ライブを潰しに来る奴がいるなら」
俺はそれを、まっすぐに見た。
「容赦しない」
その言葉には、いつものヲタクのノリも、ギャグの匂いもなかった。ただ、静かな決意だけがあった。
フィリアが、目を見開いて俺を見た。
「教会を壊させない。聖歌隊を潰させない。お前らを、誰にも傷つけさせない」
レナが、腕を組んだまま、こちらをじっと見ていた。ミレイが、魔術書をぎゅっと胸に抱えていた。シルが、サイリウムを両手で握り直した。
「俺たちは、まだ何も成し遂げていない」
俺は三人を見渡した。
「ルミナちゃんを世界一の女神にするって決めたのに、まだギルバートの教会一軒だ。お前らの声も、まだ完璧じゃない。聖歌隊として、まだ何も本番をやってない」
「……そうだな」とレナが言った。
「やってないですね」とミレイが言った。
シルが、こくりと頷いた。
「だったら、ここで終わらせるわけにはいかない」
俺はサイリウムを強く握った。
「邪神教団が何だろうと、知らない。だが、ルミナちゃんの教会を、勝手に終わらせていい場所にした奴は、誰もいない」
◇
夜、教会の外で、俺は一人、空を見上げていた。
ギルバートの夜空に、星が出ていた。前世の都会では見られなかったような、たくさんの星だった。
後ろから、フィリアが歩いてきた。さっきよりは、少し落ち着いた顔をしていた。
「もう怖くないか」
「怖いです、正直」
フィリアは隣に立った。
「ですが……お言葉を聞いて、思い出しました。あなたは、これまでも何度も、無謀に見える戦いに挑んでこられました。暗黒竜、ミノタウロス、王宮での公開試験。そのすべてで、退かなかった」
「そうだったか」
「ご自分でも気づいていないのですね、本当に」
フィリアは少し笑った。
「わたくしは、ついていくと決めた日から、ずっとそうでした。怖くても、あなたが前を向いているなら、ついていく。それだけです」
「ありがたいよ」
「それと」
フィリアが、ふと真剣な顔になった。
「邪神教団について、もう少し調べてみます。王都の知り合いの魔術師に手紙を送って、過去の災厄の詳細を集めます。何か対策が見つかるかもしれません」
「頼む」
「お任せください」
フィリアは、いつもの調子に戻りつつあった。
「……それにしても」
「ん?」
「『容赦しない』と仰ったとき、少し、格好良かったです」
「……そうか」
「お顔が赤いですよ」
「気のせいだ」
俺は星空を見上げて、それきり何も言わなかった。
ギルバートの夜は、いつもより静かだった。でも、その静かさの中に、確かに何かが近づいてきているのが分かった。
「ルミナちゃん」
俺は小さく呟いた。
「お前の現場を、誰にも潰させない」
星が一つ、ゆっくりと流れた。
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