第20話:落ちこぼれ魔術師は、なぜ歌えないのか
ミレイは、歌わなかった。
練習中、レナもシルも声を出す場面で、ミレイだけはいつも口を引き結んでいた。動きはできる。ハミングで音程を取ることもできる。だがちゃんとした声を出そうとすると、必ず何かが起きた。
「ミレイ、今日こそちゃんと声を出してみろ」
ある午後の練習で、俺はそう言った。ミレイの肩が、ぴくりと動いた。
「……出せます」
「じゃあ出してみろ」
ミレイは少し間を置いてから、深く息を吸った。そして——声を出した。
瞬間、礼拝堂の窓ガラスが、ぱんっ、と弾けた。
「「「うわっ!!」」」
レナが反射的に身を低くし、シルが俺の後ろに飛び込んだ。ガルドが奥の部屋から「なんじゃ!?」と飛び出してきた。フィリアがとっさに防護の魔術を展開しかけて、でも敵がいないことに気づいて固まった。
ミレイは、顔を両手で覆っていた。
「……ごめんなさい」
◇
「前にもあったのか」
庭に場所を移して、俺はミレイに聞いた。ミレイは膝を抱えて石の縁に座り、くせっ毛の茶色い髪がうなだれた顔に垂れかかっていた。
「……あります。ずっと前から。大きい声を出すと、周りのものが壊れるんです。魔力が……漏れちゃうから」
「漏れる?」
「コントロールできないんです。声に感情が乗ると、魔力が混ざって、出口を見つけられなくて、いちばん近くにあるものを壊す。だから……歌えない。ずっと、歌えなかった」
「それで魔術学校の実技でも不発になってたのか」
ミレイが顔を上げた。
「そうです。魔術を詠唱するとき、声に魔力が乗るんです。制御しようとすればするほど、逆にばらけて、的を外れる。先生には『魔力のコントロールができていない』って言われるんですけど……コントロールしようとしてるのに、うまくいかなくて……」
「ふむ」
「笑わないでください」
「笑ってない。むしろ合点がいった」
ミレイが首を傾げる。
「最初にお前に会ったとき、俺は『魔力を出す前に向ける方向を決めろ』って言ったんだ。覚えてるか」
「……覚えてます。音と同じだって」
「お前の問題は、方向だけじゃなかった。出力もだ」
「出力……?」
「声量が、でかすぎる」
俺はそのまま続けた。
「お前の魔力量は街でも上位だって、フィリアさんから聞いた。つまり声に乗る魔力の量が多すぎて、制御が追いつかない。コントロールしようとすれば方向が定まらず不発になる。コントロールを手放せば暴走する。どっちに転んでも今の状態じゃうまくいかない」
「……それって、詰んでるってことじゃないですか」
「違う」と俺は言い切った。「才能がありすぎてコントロールが追いついてないだけだ。出力が小さすぎる奴には教えられないが、でかすぎる奴には教えられることがある」
◇
「コールを知ってるか」
「コール……ですか。あなたが毎回やってる、あれですか」
「そう。あれには一つのルールがある」
と俺はサイリウムを取り出してくるりと回した。
「誰かに届けようとして出す、ってことだ。前世のトップヲタたちは、何千人の中でも推しに声を届けた。なんでだと思う」
「……気合いですか」
「違う。方向だ。ステージの上の推しに向かって、まっすぐ声を飛ばすから届く。広い会場でも、音の壁があっても、届く。そのとき声は四方八方に広がらない。的を絞って飛んでいく」
「……魔力と同じ、ですね」
「そうだ。お前は今まで、誰かに向かって声を出したことがあるか」
ミレイは黙った。長い沈黙だった。
「……ないかもしれないです。ずっと、ただ出すだけだった。誰かに届けようって考えたことが……なかった」
「それだ」と俺は言った。
「声も魔力も、届けようとする相手がいないと、ただ漏れるだけだ。行き先がないから暴発する。前世でいえば、宛先なしのメールに全力で送信ボタンを押してるようなもんだ」
「……宛先なしのメール」
「気にしなくていい、俺の前世の話だ。とにかく、お前は誰かに届けようとして声を出したことがない。だから方向が決まらなくて、暴走する」
ミレイは、しばらく俺の顔を見ていた。
「……じゃあ、誰かに届けようとすれば、コントロールできますか」
「試してみないと分からない。でも、そこが入口だと思う」
「誰に……届ければいいんですか」
「誰でもいい」と俺は答えた。
「大事な奴でも、憎い奴でも、いなくなった奴でも。とにかく、一人だけ思い浮かべろ。その人の顔を、声が届く場所まで思い描け」
ミレイは膝の上で手を握った。
◇
しばらく間があった。
「……ひとり、います。魔術学校の先生です。ずっと、あたしのことを『空砲』って呼んでた人。卒業したら見返してやるって、ずっと思ってた人」
「いいな、それで十分だ」
「憎い相手でいいんですか」
「むしろちょうどいい。感情が強いほど、声は飛ぶ」
前世のヲタクも、推しへの愛が強いほどコールが会場に響いた。感情と声量は比例する。ならば方向さえ定めれば、強い感情は武器になる。
「その先生の顔を思い浮かべて、その人に届けるつもりで、小さくていいから声を出せ」
「壊れませんか、周り」
「フィリアさんが防護魔術を張ってる。大丈夫だ」
「は、張ってます……!」
後ろでフィリアが緊張した声で言った。
ミレイは立ち上がった。背筋を伸ばして、足を肩幅に開く。前世のコールの姿勢に似ていた。本人は知らないだろうが。ゆっくりと息を吸って、目を閉じた。誰かの顔を、思い描いているんだろう。
「……っ」
小さく、震えるような声が出た。窓は割れなかった。光が、ほんのりと揺れた。ミレイの周りに薄い魔力の靄が立ち上って、でも暴発はしなかった。方向を持って、ゆっくりと前方に流れていった。
「もう一回」
「は、はいっ……っ、ん——」
今度は少し大きく。また、窓は割れなかった。さらにもう一回、さらに大きく。礼拝堂に、声が響いた。澄んだ、しっかりした音だった。
「……!」
ミレイが目を開けた。
「わた、し……壊れてない……! 周り、壊れてないですよね……!?」
「壊れてない。方向が決まったからだ。声に届け先ができたとき、魔力は暴発しない。ちゃんと飛んでいく」
ミレイは自分の喉を両手で押さえた。それから、また声を出した。今度は言葉にしようとして——
「先生……っ、見てろよ……!」
礼拝堂に、歌声が広がった。メロディじゃない。ただの一声だ。でもその声には、ずっと抑えていた何かが詰まっていた。澄んでいて、強くて、それでいて少し震えていた。
「……うわ」とレナが、腕を組んだまま小声で呟いた。シルが、目を丸くしてミレイを見ていた。
「お前」と俺は笑った。「隠れた才能、あるじゃないか」
ミレイが、ぽろりと泣いた。泣きながら「泣いてません」と言ったので「泣いてる」と返したら「うるさいです」と言われた。
◇
「アキ様……!」
フィリアが防護魔術を解きながら感涙の声を上げた。
「今のは……! ミレイさんの魔力が、声という媒介を通じて方向性を獲得し、暴走から解放されるという……これはワシンジの『推し変』の法則……! 届けるべき対象を定めることで魔力に意志が宿り、散逸ではなく収束へ向かう……古代文献にあった『言霊指向収束術』の現代的再現……!!」
「推し変って言ったか、今」
「え? あ、いえ……そのような古代の用語が……」
「いや、合ってる。そういうことだ」
フィリアが「は……!?」という顔をした。
自分が正しいことを言ったと分かって、逆に混乱している顔だ。
ミレイはまだ目を赤くしながらも、姿勢を正していた。
「……練習、続けます」
「焦らなくていい」
「焦ってません。悔しいだけです」
「なにが悔しいんだ」
「こんな簡単なことを、ずっと知らなかったのが、悔しいです」
ミレイはそう言って、また声を出した。今度は、少しだけメロディに近かった。まだ荒削りで、まだ小さくて、まだ震えていた。
でも確かに、ちゃんと、前に飛んでいた。
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