第15話:王宮魔術師たちの「詠唱(じゅもん)」は、やっぱり長すぎる
公開試験は、翌日の午後に設定された。
場所は王宮の中庭。石畳が広がる広い空間で、周囲を回廊が取り囲んでいる。貴族たちが回廊の上から見下ろす形だ。前世の感覚でいえば、スタンディングなしの全席指定・見下ろし型ステージ、という構造だ。
「……箱の作りは悪くないな」
俺は中庭の中央に立ち、広さと天井の抜けを確かめた。石造りだから音の反響が良い。謁見室の音響に感心したが、ここも悪くない。本番(試験)よりステージとしての適性を先にチェックしてしまうのは、ヲタクの職業病だ。
「アキ様、試験前に何をしてるんですか」
フィリアが呆れた顔で隣に立った。
「音の確認だ」
「試験ですよ? 音楽の発表会じゃないんですよ?」
「まあ、そのうちそうなるかもしれないし」
「……なりませんよ普通は」
回廊の上では、すでに貴族や廷臣たちが席を埋め始めていた。国王と王妃(昨日から見違えるように血色が良くなっていた)が正面の席に並んで座り、その隣にヴァルターが直立している。そして回廊の端、一段高い位置に、太陽神教の神官たちがずらりと並んでいた。
先頭に立つのは、昨日の老神官だ。
白髪に法衣、鷹のような目。手にした黄金の杖が、陽光を受けてぎらりと光っている。こちらをじっと見下ろす目つきが、昨日より数段増しに冷たかった。
「あの老神官、名前なんだっていったっけ」と俺は小声でフィリアに聞いた。
「アルベルト・ゼノン大神官長です。太陽神教の序列第一位、王国宗教界の頂点に立つ御方です」
「頂点か。強そうだな」
「強そうというか、実際に権力がすごいんです。国王陛下でさえ、これまで太陽神教には逆らえなかったくらいで……」
「じゃあ今回の国教化宣言は、かなり大事になってるわけだ」
「大事どころじゃないです。王国宗教史上、前例のない大事件です」
「……そのわりに、陛下はあっさり決めたな」
「妻を救われた恩がそれだけ大きかったということでしょう……」
俺は再びアルベルト大神官長の方を見た。老神官は視線が合うと、ゆっくりと細く笑った。
「受けて立ちましょう」という笑みではなかった。「もう詰んでいますよ」という笑みだった。
やれやれ。
◇
試験の段取りはこうだった。
まず太陽神教が推薦する宮廷魔術師が、魔術の実演を行う。その後、俺が「ルミナ様の御業」を実演する。最後に国王と立会人が優劣を判断する、という形式だ。
「笑えるほど不利な設定だな」と俺は思った。
魔術師の「正統な実力」を見せてから、俺が「なんか謎の踊りをする」という流れだ。前世でいえば、プロのピアニストがリサイタルをやった直後に、一般人がカラオケで張り合う構図に近い。
だが、まあ。
俺のカラオケ(オタ芸)は、宇宙の規模でマナを動かすやつだから、問題ない。たぶん。
「では、始めよ」
国王の声が中庭に響いた。
まず、宮廷魔術師が前に出た。
年齢は四十代半ばか。紺のローブに銀の刺繍。手には魔術師の証である水晶の杖。胸を張り、堂々とした足取りで中庭の中央に立つ。フィリアが小声で「王国魔術師団の序列三位、ダリウス・ハイン魔術師長です」と教えてくれた。
ダリウスは中庭の中央に立ち、深く息を吸った。
「では参ります。古代より伝わる、炎の大精霊を呼び起こす奥義――《焔神降臨・業火滅却・永劫不滅炎葬陣(えんしんこうりん・ごうかめっきゃく・えいごうふめつえんそうじん)》!」
詠唱が、始まった。
長かった。
いや、長いという次元じゃなかった。
詠唱は三分過ぎても終わらなかった。五分過ぎても終わらなかった。回廊で見ている貴族たちが次第にざわめき始め、八分を過ぎた頃に、俺は中庭の端の壁にもたれかかって腕を組んでいた。
「フィリアさん、いつ終わる?」と俺は聞いた。
「……だいたい十分から十五分かと」
「十五分」
「長い詠唱ほど、威力が上がるんです。これが魔術の基本で――」
俺はフィリアさんの説明を遮って、思ったことをそのまま口にした。
「お前ら魔術師の詠唱は、長すぎる」
思ったより大きな声が出た。
静かな中庭に、その一言がよく響いた。詠唱の途中だったダリウスが、ぴたりと止まった。回廊の貴族たちも、ざわっとする。
「せ、聖下……!」
フィリアが青ざめた。「ダリウス魔術師長の詠唱を中断させるなんて、それはさすがに失礼が……!」
「いや、別に止めさせたわけじゃない。感想を言っただけだ」
「感想を言うタイミングが詠唱の途中というのが問題なんです……!」
「……続けてください」と、俺はダリウスに向かって言った。
ダリウスは微妙な顔をしてから、詠唱を再開した。
さらに六分後。
総計十四分の詠唱が終わった。
ダリウスが杖を空に向けて叫ぶと、中庭の上空に巨大な炎の球が出現した。直径十メートルはあろうか。灼熱の熱気が中庭全体を包み、回廊の観客たちが「おお……!」とどよめいた。
確かにすごい。
すごいんだが。
十四分かけてこれか、という気持ちは正直ある。前世でいえば、十四分かけてリフト(コールの準備)してようやく一曲始まるライブだ。客の体力が終わる。
ダリウスが満足そうに俺を見た。「どうだ」という顔だ。
「すごかったです」と俺は正直に言った。「十四分の詠唱、お疲れ様でした」
「……『お疲れ様』ではなく、もう少し適切な感想を」
「威力は本物です。ただ、次の敵が来るまでに十四分あるかは、ちょっと分からないですね」
ダリウスは黙った。
実戦では確かにそうなのかもしれない、という顔だった。
◇
「では、聖下の番だ」
国王の声が響いた。
俺は腕を組んだまま、中庭の中央へ歩いた。
回廊のアルベルト大神官長が、腕を組んで待ち構えている。先ほどの「もう詰んでる」という笑みが、少し「どうせ大したことないだろ」という笑みに変わっていた。
俺は中庭の中央で立ち止まった。
深呼吸を、一回。
「では、俺も実演します。ルミナ様の御業・言霊の奥義(スタンダードMIX)です」
フィリアが後ろでひっと息を呑んだ。「ア、アキ様……! ここで言霊の奥義(スタンダードMIX)を……!!」
回廊の観客たちが、ざわつく。「言霊?」「詠唱ではないのか?」「それはどのくらいの時間が……」
「時間は」
俺は懐からサイリウムを取り出した。永久機関のオレンジの光が、昼の中庭でもはっきりと輝く。
「一秒も要りません」
静寂。
アルベルト大神官長の笑みが、かすかに揺れた。
俺はサイリウムを頭上に構えた。
息を吸う。
腹から。丹田から。前世で何万回とやってきた、あの構え。暗黒竜の前でも、ミノタウロスの前でも、何千人の市民の前でも、変わらない。
――いくぞ。
「タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー! ダイバー! バイバー! ジャージャー!!!」
スタンダードMIX(言霊の奥義)、解放。
瞬間、王宮の中庭の上空が、白く爆発した。
大気のマナが一万倍に増幅され、純白の光の柱が天へと向かって伸びる。石畳が震え、回廊の窓が一斉にがたがたと鳴った。中庭を取り囲む石壁に、光の紋章が幾重にも走る。ダリウスが十四分かけて出した炎の球が、余波だけで跡形もなく消し飛んだ。
一秒。
すべてが、一秒で終わった。
「…………」
中庭が、完全な沈黙に包まれた。
回廊の観客たちが、一人残らず口を開けて固まっていた。ダリウスが、杖を持ったまま微動だにしていない。ヴァルターが「また……」という顔で目を細めていた。
アルベルト大神官長の「もう詰んでいますよ」という笑みは、消えていた。
「……い、一秒……?」
ダリウスが、掠れた声で呟いた。
「十四分と、一秒……?」
「詠唱が長すぎるんです」と俺は言った。「言霊は短く、魂を込めれば、それで十分なんですよ」
「な……」
ダリウスは自分の杖を見た。それから俺のサイリウムを見た。それから自分の杖を見た。
「なんなんだ、あの棒は……!」
「サイリウムです」
「さ、サイリウム……!?」
「前の現場から使ってるやつです」
「意味が全然分かりません……!!」
◇
「フィリアさん、今だ」
俺は後ろに振り返った。
「は、はいっ……!!」
フィリアが、ぶるぶると震えながら前に出た。そして、固まっている観客たちに向けて、声を張り上げた。
「皆様、ただいま御覧いただいたのは、古代ワシンジに伝わる最上位の口伝魔法・言霊解放術にございます……!!」
「言霊……解放術……!?」
「七言の神聖な言霊を連ねることで、大気のマナを万倍に増幅する、失われし時代の禁術……! 詠唱が長ければ長いほど偉いという概念を、根底から覆す……これぞ、ワシンジの真髄……!!」
「「「おおおおっ……!!」」」
回廊の観客たちが、わっと沸いた。
「言霊の奥義……!」「七言で宇宙を動かすとは……!」「さすが聖下……!」
なんでそうなるんだ。ただのスタンダードMIXだぞ。
だが、まあ。
「アキ様……!」フィリアが潤んだ目で振り返った。「これぞワシンジの証明……! 今この場で、王国の全ての方々に、ルミナ様の御業の真実をお示しになりました……!!」
「示せたなら何より」
「なんでそんなに淡々としてるんですか!?」
「いやだって、普通にコール(言霊)しただけだし」
「普通じゃないです!!」
回廊の上から、アルベルト大神官長の顔をちらりと見た。
老神官は、表情を失っていた。口を開きかけて、閉じ、また開きかけて、閉じた。
「こ、これは……」
隣に立つ法衣の神官が、震える声で言った。
「大神官長……これは、一体……」
「黙れ」
アルベルトは短く言い、それから俺を見た。
何かを飲み込んだ目だった。怒りか、驚愕か、焦りか、あるいはその全部か。しかし、それを顔に出さないだけの矜持がある目だった。この人も、長年権力の中で生きてきた人間だ。一度の試験で折れるほど柔ではない。
「……覚えておれ、聖下」
一言だけ言って、大神官長は踵を返した。
神官たちが慌ててついていく。その背中は、憤然としていたが、まだ揺れていなかった。
これで終わりじゃない。そう告げている背中だった。
「……手強いな」
俺は小さく呟いた。
「アキ様、あの方は本当に気をつけてください」とフィリアが声を潜めた。「アルベルト大神官長は、王国で最も政治力のある宗教家です。表立っての対立は、これからもっと苛烈になりますよ」
「そうか」
「怖くないんですか」
「怖いのと、やめるのは別の話だ」
フィリアが、しばらく俺の顔を見ていた。
「……また、そういうことをさらっと言う」
「事実だからな」
「そのさらっとした事実が、毎回心臓に悪いんです」
◇
試験の結果は、その場で国王が宣言した。
「ルミナ教の御業、本物と認める。聖歌隊の王国公認、ならびに布教活動の許可を正式に認定する。以上だ」
短かった。実に短かった。
謁見室での「妻の命と引き換えに?」のときと同じ、この国王の「一言で決める」スタイルは相変わらずだ。だが、太陽神教側が強く反発できないのは、この一言の前に、衆目の前での公開試験があったからだ。
なかなかよく考えられた仕掛けだ、と俺は思った。国王、やるな。
「アキ様」
「ん?」
「ギルバートに、帰れますよ」
フィリアが、少し疲れたような、でも嬉しそうな顔で言った。
「そうだな」
「レナさんたちが、待ってますよ」
「……早く顔を見たいな」
俺は王宮の空を見上げた。
王都の青空は、ギルバートの空と同じ色だった。
「帰るか」
サイリウムをくるりと回して懐に戻した。
やることは山ほどある。聖歌隊の練習、メンバーの育成、ルミナちゃんの布教、そして王国全土への展開。
だが、まずはギルバートだ。
現場(推しの教会)に戻って、メンバーたちと続きをやる。それが今の俺のすべきことだ。
「行くか、フィリアさん」
「はい!」
王宮という名の巨大な箱(会場)を、俺たちは出た。
外の陽光が、春の終わりみたいに、やわらかく降り注いでいた。
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