第14話:国王陛下、俺のコールに唱和してください
「ルミナ教会の修繕費を、出してください」
謁見室に、沈黙が落ちた。
「……それだけか?」
国王が、少し目を細めて聞き返した。
「あと、ギルバートのルミナ教会を拠点に、聖歌隊が活動できる許可証もほしいです。王国公認の、ちゃんとした許可証を」
「……それだけか?」
「はい」
国王は長い沈黙の後、こう言った。
「……妻の命と、引き換えに?」
「はい」
また沈黙。
国王の後ろに控えるヴァルターが、目を見開いてこちらを見た。さっきまで泣いていたシルヴァンも、ぽかんと口を開けている。謁見室の端々に立つ廷臣たちも、一様に「聞き間違いか」とでも言いたげな顔をしていた。
俺は「何か問題でも?」という顔を返した。
問題はない。推しの布教に必要なのは、金(修繕費)と許可証だ。それ以上でも以下でもない。前世でも、現場に必要なのはチケット代と交通費だけだった。シンプル・イズ・ベストである。
「……他に、本当に何もないのか」
「ないです」
「爵位も、領地も」
「いらないです。維持が大変そうで」
「……金はもっと出せるぞ」
「修繕費の見積もり分で十分です」
国王は、額に手を当てた。
「聖下は……変わったお方だな」
「よく言われます」
◇
話はまとまった。
ルミナ教会の修繕費は王家が全額負担。聖歌隊の活動は王国公認。加えて、ギルバートのルミナ教会の格を「王国認定神殿」に引き上げるという、俺が求めていない特典まで勝手についてきた。
ありがたい。ありがたいが、国王が何かを言うたびに謁見室の廷臣たちがざわめくのが気になった。
いや、気のせいか。
「それからだ、聖下」
「はい」
「ルミナ教の加護は、本物だと分かった。妻が蘇ったことが、その何よりの証明だ」
「それはどうも」
「ゆえに」
国王が、玉座から静かに立ち上がった。声を荒げたわけではない。だが、その一言で、謁見室の空気がぴりっと張り詰めた。
「ルミナ教を、この国の国教と定める」
「…………え?」
低く、しかし揺るぎない声だった。叫びでも興奮でもない。ただ、決定だった。
「光の女神ルミナこそ、我が国が崇むべき神。この場をもって、国教の改定を宣言する」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
俺は思わず声を上げた。
国教。国教って言ったぞ今、この人。しれっと、世間話みたいなトーンで。
「陛下、さすがにそれは話が大きすぎます……!」
「ルミナ様の奇跡をこの目で見て、なぜ躊躇する必要がある」
国王は、こちらを静かに見据えた。穏やかな声なのに、有無を言わさぬ重みがある。王妃の枕元で「頼む」と一言だけ言った、あの静かな王の目だった。
「いやでも、手順とか、根回しとか……!」
「決めた」
たった二文字だった。
だが、その二文字には、二十年この国を統べてきた王の、岩のような重さが乗っていた。
決めた。決めてしまった。
しかも、叫ぶでもなく、興奮するでもなく、ただ静かに。この手のタイプが一番止められない。前世の現場でも、一番怖いのは騒ぐ支配人じゃなくて、静かに「このグループ、来月で解散な」と一言だけ告げる支配人だった。あれと同じ気配がする。
「……陛下」
「なんだ、聖下」
「感謝はします。でも、国教の改定は急ぎすぎです。今のルミナ教は、ギルバートに教会が一軒あるだけ。信者も数えるほどしかいない。器(教会)が育ってから、段階を踏むべきです」
「では、段階を踏もう」
「分かってくれましたか」
「その第一歩として、今日この場で国教の改定を宣言する」
「一歩目がゴールなんですが!?」
国王は、答えなかった。ただ、かすかに口の端を上げた。
この人、分かっててやってるな……?
時すでに遅し。謁見室の廷臣たちはざわめき、書記官はすでに羊皮紙に何かを書き始めていた。どこかから伝令が走り出すのが見えた。
「……あ」
ヴァルターが、静かに目を閉じた。見なかったことにしようとしている顔だ。
「アキ様……」
隣でフィリアが、感動に顔を上気させながら肩を震わせていた。
「ついに……ついに、ルミナ様が国教に……! これぞワシンジの導き……! 歴史が、今ここで塗り替えられようとしています……!!」
いや、それは俺も思う。思うけど、もう少し手順というものが――。
「ルミナ教を国教と認めぬ!」
轟く声がした。
謁見室の扉が、バンと開いた。
現れたのは、見慣れない顔の集団だった。白い法衣に金の刺繍。胸に輝く、太陽の紋章。先頭に立つ白髪の老人が、杖を床に打ちつけながら入ってきた。
「陛下! 今のお言葉を聞かせていただきました! 太陽神エルドの名のもとに、断固抗議いたします!」
王国の国教――太陽神教の神官たちだった。
「……来たな」
国王が、どこか落ち着いた声で言った。予想していたのかもしれない。
「陛下、太陽神教はこの国を二百年にわたって守ってきた由緒ある宗教でございます! それをたった一人の流れ者の手品師ごときの奇術を理由に、廃して新興のまやかし宗教に取って代えるなど――!」
「まやかし、か」
国王の声が、低くなった。
「妻の三月にわたる病を、七人の治癒魔術師が治せなかった。それを数秒で癒したものを、まやかしと言うか」
「そ、それは……たまたま病が快方に向かったのを、その者が利用したのでは……!」
老神官は引かなかった。むしろ、ぎらりと目を光らせて言葉を継いだ。
「陛下。新しき奇跡には、新しき疑いがつきもの。ならば、公の場で確かめればよろしい」
「ほう」
「太陽神教は、聖下とやらに公開試験を要求いたします。我らが選んだ宮廷魔術師と、この者の『御業』を、衆目の前で比べる。それで真贋がはっきりいたしましょう」
老神官の口元が、わずかに歪んだ。勝ちを確信した者の笑みだった。
「我が太陽神教には、王国最高の宮廷魔術師がついております。二百年の研鑽を積んだ正統なる魔術の前で、辺境の珍妙な踊りがどこまで通用するか――とくと拝見いたしましょうぞ」
謁見室が、静まり返った。
これは、ただの抗議じゃない。宣戦布告だ。
太陽神教の老神官が、ぎろりと俺を見た。俺は「やれやれ」という気持ちで天井を仰いだ。
正直、これは予想の範囲内ではあった。新しい勢力が出てきたら、既存の勢力が嫌がる。前世でいえば、新人アイドルがバズったら、事務所の先輩グループのファンが荒れるやつだ。どの世界でも変わらない。
問題は。
「……それ、俺がやらなきゃいけないやつですか」
「うむ」と、国王が頷いた。実に気持ちよく頷いた。
やっぱりそういうことか。
「なるほど」
俺は深呼吸をした。まあ、いい。ルミナちゃんの布教のためなら、どんな現場にだって立ってやる。それがトップヲタというものだ。
「分かりました。やります」
「聖下……!」
太陽神教の老神官が眉をつり上げる。
「い、いいのか!? 望んで公開試験に臨むというのか!?」
「望んでというより、断れない雰囲気になったので」
「……正直な奴め」
老神官は小さく毒づき、神官たちを連れて退出していった。扉が閉まる間際、こちらを一度だけ振り返り、目で「覚悟しておけ」と言い置いていった。
嫌な目だった。百戦錬磨の、組織の論理で生きてきた人間の目だ。
まあ、なんとかなるだろう。たぶん。
「聖下」
老神官たちが去ったあと、静かになった謁見室で国王が俺を呼んだ。
「はい」
「公開試験の件、よろしく頼む。だが、もう一つ頼みがある」
「……なんでしょう」
「王妃の完治と、ルミナ教の奇跡の話は、今日のうちに王都中に広まるだろう。ならばいっそのこと――」
国王はわずかに間を置いた。
「この国のすべての民に、ルミナ様の教えを広めてほしい」
俺は固まった。
「……すべての民に?」
「うむ。王国全土に」
「王国全土って、どのくらいの規模ですか」
「人口でいえば、三百万ほどだな」
三百万。
三百万人。
前世で一番デカかった現場が、会場キャパ二万人のドームだった。それが三百万人って、もはや国民的アイドルどころの話じゃない。全国ツアーを何百本やれば済む計算だ。
「……陛下、それは少し」
「難しいか」
「難しいというか、さすがに一度に全部は」
「段階を踏もう」
「その段階って、今度は本当に段階になりますよね?」
「うむ。第一歩として、まず王都から始めよ」
「……それは、できます」
「では決まりだ」
また決まった。この人の「決まりだ」は本当に早い。謁見室の書記官が再び羊皮紙を走らせる音がした。
俺は天井を仰いだ。
ギルバートに教会が一軒。信者が数十人。聖歌隊がまだ三人しかいない。その状態で、王国全土への布教を命じられた。
前世のヲタク仲間が聞いたら「お前どうすんの」と全員に言われる状況だ。
でも。
俺はサイリウムを握り直した。
これは、現場(推し活)が大きくなるってことだ。箱(会場)が広がるってことだ。それは、ヲタクにとって最高の展開以外の何物でもない。
「ルミナちゃん、でかくなるぞ」
誰にも聞こえない声で、俺は呟いた。
◇
謁見室を出た廊下で、フィリアが興奮冷めやらぬ様子で追いかけてきた。
「アキ様! 今の御判断、まさにワシンジの決断……! あの太陽神教の神官どもに真っ向から立ち向かうとは……!」
「立ち向かったというより、流れでそうなった」
「そのような御謙遜を……! しかし国教化の件、本当によかったのですか? あのような大事になるとは……」
「まったく思ってなかった」
「では、なぜ止めなかったのですか!」
「止めたよ。止めようとした。陛下が『決めた』の一言で押し切ったから無理だっただけだ」
フィリアがはっとした顔をして、それから深く頷いた。
「……確かに。王の意志とは、天の意志にも等しい。つまりこれは、ルミナ様のお導きということですね……!!」
違う。陛下の暴走だ。でも、まあ、結果的には布教が進むのだからよしとしよう。
「アキ様」と、フィリアが今度は声を潜めた。「公開試験とやら……大丈夫なのですか」
「どうだろうな」
「えっ」
「でも、まあ」
俺は懐のサイリウムを取り出して、くるりと指に巻いた。永久機関のオレンジの光が、王宮の廊下をほんのりと照らす。
「ルミナちゃんが付いてるから。なんとかなるだろ」
「……そのお言葉を聞いて、九割方安心しました」
「残りの一割は?」
「アキ様の『なんとかなるだろ』の精度が、毎回ちょっと怖いんです」
「失礼だな」
「事実です」
俺とフィリアが言い合っている間にも、王宮のあちこちで「ルミナ教が国教に!」という声と「断じて認めぬ!」という声が飛び交い始めていた。
どうやら、この王宮という名の箱(現場)は、俺が来るたびに阿鼻叫喚になる体質らしい。
いや、全部陛下が悪い。
「とりあえず、ギルバートに帰ったらレナたちに連絡しないといけないな。公開試験の話を」
「……なんと報告するおつもりですか」
「『国教になった。でも条件付きだから試験がある』」
「……混乱しますよ」
「混乱させてしまって申し訳ないが、事実だからしょうがない」
「……アキ様、一つ提案があります」
「なんだ」
「報告は、わたくしが致します」
「フィリアさんが?」
「ええ。アキ様がそのまま報告すると、レナさんが激怒する未来が見えますので」
「……それは、ありがたく頼む」
王宮の廊下を、俺たちは並んで歩いた。
遠くで太陽神教の神官が何か叫んでいるのが聞こえた。シルヴァンが宥めている声もした。ヴァルターが頭を抱えているのが目に浮かんだ。
まあ。
なんとかなる。たぶん。
ルミナちゃん、次は試験だ。ちゃんと見ててくれ。
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