第12話:王宮というのは、最前列が遠すぎる
王都エルドラドは、でかかった。
ギルバートでさえ「デカい街だな」と思っていたのに、王都はその三倍以上はあろうかという規模で、城壁の向こうにそびえる王宮の塔は、遠くから見ているだけで首が痛くなる。
馬車の窓から眺めながら、俺は思った。
「箱のスケールが違いすぎる」
「アキ様?」と、向かいの席のフィリアが首を傾げた。
「いや、こういう規模の会場だと、最前列に行くまでが一苦労なんだよなって思っただけだ」
「……は?」
「気にしないでくれ」
隣に座るヴァルターが、こちらをちらりと見て、また前を向いた。この人は、二日の道中でも俺のヲタク発言にいちいち反応しなくなっていた。諦めたのか、それとも気を遣っているのか。どちらにしろ、扱いやすくて助かる。
王宮の正門をくぐると、白い石畳の広場が広がっていた。
噴水。彫刻。花壇。整列した衛兵。
どこを見ても豪華で隙がない。前世でいえば、巨大アリーナの最上階VIPエリアみたいな雰囲気だ。金持ちの客が上品に構えている、あの感じ。
「聖下、こちらへ」
ヴァルターが先導して歩き始める。
俺とフィリアはその後に続いた。
正門から王宮の中に入ったとたん、あちこちから視線が飛んできた。
廊下を行き来する侍従たち。遠くの中庭で話し込む貴族らしき集団。扉の前で控える騎士。そのすべてが、俺を見た瞬間、同じ表情をした。
「……何あれ」という顔だ。
まあ、そうなるよな。
白銀の鎧に青いマントの騎士団長の隣を、使い古したサイリウムを手にした庶民が歩いているんだから。
「あれが噂の聖下か?」
廊下の曲がり角で、貴族らしい中年の男が同行者に耳打ちする声が聞こえた。
「聞いていた話と、だいぶ違うな……」
「格好からしてひどい。あのサイリウムのような棒は何だ?」
「田舎の方では珍しいものでもないのでは?」
「にしても……陛下もわざわざこんな者を」
フィリアが隣で目を細めた。庇いたいのを堪えている顔だ。俺は「いいよ」というふうに首を振った。別に気にしていなかった。
前世でも似たような経験はある。初めての現場で、周りが古参ヲタクばかりで、知識も経験も足りなくて居場所がない感じ。あのときは確かにきつかった。
でも今は、違う。
「フィリアさん」と俺は小声で言った。
「はい?」
「現場ってな、最前列が正解なんだ」
「……は?」
「あのVIP席の連中が座ってる場所より、ステージに一番近い最前列の方が、本物の現場なんだ。偉そうにしてる奴らは大概、後ろの方から見てる」
フィリアはしばらく俺の顔を見てから、こくりと頷いた。
「……そうですね、アキ様」
意味は分かっていないだろうが、雰囲気で受け取ってくれたらしい。
◇
謁見室に通された。
天井が高く、壁には王家の歴代肖像画が並び、正面には玉座。
玉座の手前に、一人の男が立っていた。
五十代くらい。白髪交じりの金髪に、整えられた顎髭。豪奢な衣に、胸には王家の紋章。落ち着いた顔だが、目に鋭さがある。
謁見室には、すでに貴族や宮廷魔術師が十数人いた。皆、俺が入ってきた瞬間に視線を向けた。
廊下の貴族たちと同じ、「何あれ」という顔だ。
俺はそれを気にするより先に、別のことが気になっていた。
この部屋、音の響きがいい。
天井が高くて、石壁に囲まれていて、声がよく反響する。試しに小さく咳払いをしてみると、輪郭のはっきりした音が返ってきた。
「……ここ、歌ったらめちゃくちゃ気持ちよさそうだな」
隣のフィリアが「え?」という顔をする。
「いや、音の抜けがいいんだよ。聖歌隊をこういう場所で歌わせたら、絶対映える」
「ア、アキ様、今はそのような場合では……っ」
フィリアが袖をつかんで小声でたしなめる。後ろの貴族数人が、眉をひそめてこちらを見ていた。
ヴァルターは目を瞑って、天を仰いでいた。
「陛下、連れて参りました」
ヴァルターが膝をつく。
俺とフィリアもそれに倣った。フィリアの礼の美しさに比べると、俺のはかなりぎこちない。後ろの貴族から「……あれが礼というのか」という声が聞こえた気がしたが、気にしないことにした。
「楽にせよ」
王の声は低く、重かった。
「そなたが聖下か」
「アキ・ラベインと申します」
「……ヴァルターから話は聞いた。礼を言う。遠いところをよく来てくれた」
国王は俺を値踏みするでもなく、ただ静かに見た。この人は、外見で物を測らないタイプだ。少なくとも、廊下の貴族連中とは違う。
「妻のことを、頼む」
たった一言だった。でも、その一言の重さは、謁見室の空気を変えた。
「はい」
俺も短く答えた。
国王との謁見はそれだけで終わった。
◇
王妃の寝所へ向かう廊下で、それは起きた。
ヴァルターを先頭に廊下を進んでいると、前方から足音が近づいてきた。
現れたのは、ローブをまとった老人だった。白髪に長い顎髭。杖をついているが、背筋は伸びている。その後ろに、同じくローブ姿の魔術師たちが五人。
老人はヴァルターを一瞥し、それから俺を見た。
「……これが噂の『聖下』か」
「そうだ。アキ・ラベイン殿だ」とヴァルターが答える。
老人の目が細くなった。
「私はシルヴァン・ドラーグ。王宮魔術師団の主席魔術師を二十年務めておる」
「どうも」と俺は返した。
「一つ聞かせてもらおう」シルヴァンの声は静かだが、鋭かった。「貴公は、いかなる魔術を使うつもりかね」
「魔術、ではないですけど」
「では何だ」
「ルミナ様の御業です」
シルヴァンは鼻を鳴らした。
「ルミナ? 光の女神の、あの辺境の軽宗教か。笑わせるな。我が魔術師団が七人がかりで施した治癒魔術が効かぬ病に、たかだか信仰心一つで挑もうというのか」
「はい」
「……正気か」
「至って正気です」
シルヴァンの目が、すっと細くなった。
「暗黒竜を一夜にして滅したという噂も聞いておる。だが私は信じておらぬ。竜の災害など、たまたま自然に鎮まったのを、誰かが手柄に仕立て上げたのであろう。世の奇跡とやらは、たいてい後付けの作り話だ」
「そう思うのも無理はないです」
「……ほう。否定せぬのか」
「自分でも、なんであんなことになったのか、半分は分かってないので」
シルヴァンは虚を突かれたように、わずかに眉を上げた。それから、ふんと鼻を鳴らした。
「だが、貴公がどのような奇術を使おうとも――」
シルヴァンは杖を一度、石畳に打ちつけた。硬い音が廊下に響く。
「王妃陛下の御身体に少しでも危険が及ぶようであれば、私は実力をもって阻止する。このような得体の知れぬ者を御傍に近づけること自体、本来あってはならぬのだ」
老魔術師の声に、抑えた怒りが滲んだ。
「ヴァルター。これが陛下のご命令とはいえ、私は納得しておらぬぞ」
「シルヴァン殿……」
「百歩譲って、近づけるとしよう。だが」
老人の目が、俺を真正面から見据えた。
「もし万に一つでも王妃陛下を傷つけることがあれば、貴公は即座に牢獄行きだ。分かっておるな」
重い沈黙が廊下に落ちた。
フィリアが青ざめている。ヴァルターが難しい顔をしている。
俺はシルヴァンの目を見た。
こいつは、悪い奴じゃない。ただ、王妃を守りたいんだ。それは本物だった。七人がかりの治癒魔術が効かなかった悔しさと、それでも諦められない責任感が、あの目に詰まっている。
「分かりました」と俺は言った。
「……呆気ないな」
「当たり前のことなので。俺だって、万が一でも王妃を傷つけたくはない。同じ気持ちです」
シルヴァンは少しの間、俺の顔を見ていた。
「……ふん。口だけは達者よの」
「魔術師団が七人がかりで治せなかった相手に、口だけで挑む度胸があると思われているなら、買い被りすぎです。俺はただ、やれることをやるだけです」
シルヴァンの目が、かすかに動いた。
「……名は、なんと言った」
「アキ・ラベインです」
「覚えておこう」
老魔術師はそれだけ言って、脇に退いた。
ヴァルターが「参りましょう」と俺に目配せをする。
王妃の寝所の扉は、もう目の前だった。
俺は一度、深呼吸をした。
治せるかどうか、分からない。
でも、やれることはやる。それだけだ。
「行くか」
扉に手をかけた。
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