第11話:近衛騎士団長、現場(ギルバート)に乱入する
初練習から五日が経った。
聖歌隊の練習は、毎日続いていた。
相変わらずレナは二拍先に行きたがるし、ミレイは考えすぎて固まるし、獣人の少女は時々自分の世界に旅立つ。それでも、初日に一度「揃った」経験は大きかった。三人とも、揃った瞬間のあの感覚を覚えていて、そこに戻ろうと自分から動くようになっていた。
教えることは山ほどある。だが、土台はできつつあった。
「よし、今日はここまで。水を飲んで休憩――」
そう言いかけた、そのときだった。
ズン、ズン、ズン、と。
地響きのような足音が、教会の坂道を登ってきた。
「……なんだ?」
レナが真っ先に反応した。元冒険者の癖だろう、咄嗟に俺たちと音の間に立つ位置へ移動する。
坂の下から現れたのは――鎧の集団だった。
白銀の全身鎧に、青いマント。胸には王家の紋章。整然と二列に並んだ騎士たちが、十数人。その先頭に、ひときわ立派な装飾の鎧を着た、背の高い男が立っていた。
歳は四十前後。短く刈った黒髪に、彫りの深い顔。頬に古い傷跡がひとつ。鎧の上からでも分かる、戦い慣れた者の佇まいだった。
「……近衛騎士団」
フィリアが息を呑んで呟いた。
「近衛?」と俺は聞き返した。
「王族の直属部隊です。国王陛下と王妃陛下をお守りする、王国最精鋭の騎士団……。なぜ、こんな辺境の教会に……」
騎士の集団は、教会の庭の前で止まった。
先頭の男が、一歩前に出る。
「失礼する。ここに『聖下』と呼ばれる御方がおられると聞いた」
低く、よく通る声だった。
庭の空気が張り詰めた。ミレイは魔術書を盾のように抱え、獣人の少女は俺の後ろにさっと隠れた。レナだけが、警戒を解かずに騎士団を睨んでいる。
俺は一歩前に出た。
「俺だけど」
先頭の男の眉が、ぴくりと動いた。
「……貴公が?」
「ああ」
男は俺を上から下まで見た。
寝癖のついた頭。動きやすさ重視の布の服。手には使い古したプラスチックのサイリウム。
「…………これが、聖下……?」
明らかに困惑していた。後ろの騎士たちも、ざわざわと顔を見合わせている。
「あの御方が……?」「暗黒竜を滅したという……?」「いや、しかし……」
まあ、そうなるよな。
「悪かったな、見た目が普通で」
「し、失礼した」男は咳払いをして、姿勢を正した。「私は王国近衛騎士団団長、ヴァルター・グレイン。本日は陛下の命により、聖下にお願いの儀あって参上した」
ヴァルターと名乗った男は、そこで一度言葉を切った。
それから――鎧を鳴らして、その場に片膝をついた。
「「「……!?」」」
後ろの騎士たちが慌てたように動揺する。
「団長!?」「お立ちください、団長!」
ヴァルターは構わず、頭を下げたまま言った。
「聖下。どうか――どうか、王妃陛下をお救いいただきたい」
◇
教会の礼拝堂に場所を移して、話を聞いた。
ヴァルターは長椅子に座ることを固辞し、立ったまま話した。よほど鍛え込まれた騎士なんだろう。背筋が、定規で引いたようにまっすぐだった。
「王妃陛下が病に倒れられたのは、三月前のことだ」
「三月……」
「最初は軽い目眩だった。だが日を追うごとに衰弱され、今では床から起き上がることもままならない。お食事もほとんど喉を通らず……御身体は、痩せる一方だ」
ヴァルターの拳が、固く握られていた。
「王宮の医師団が、あらゆる手を尽くした。国中から名医を呼んだ。最高位の治癒魔術師が七人がかりで治癒魔術をかけた。だが――何の効果もなかった」
「原因は分かってないのか」と俺は聞いた。
「分からぬ。医師団は『病ではない何か』とまで言い出す始末だ。治癒魔術が一切効かぬなど、通常ではあり得ぬことらしい」
「ふむ」
「そんな折、ギルバートの噂を聞いた。暗黒竜を一夜にして滅し、瀕死の者すら癒すという『聖下』の噂を。藁にもすがる思いで、こうして参った次第だ」
ヴァルターは再び、深く頭を下げた。
「報酬は望むままに用意する。爵位でも、領地でも、金でも。だからどうか――王妃陛下を、お救いいただきたい」
礼拝堂が静まり返った。
フィリアもレナもミレイも、固唾を呑んで俺を見ている。
俺は、正直に言うことにした。
「悪いが、ひとつ訂正させてくれ」
「……何か」
「俺は『瀕死の者を癒す』なんてことをした覚えはない。暗黒竜を消したのは事実だけど、あれは……まあ、いろいろ条件が重なった結果だ。俺は医者でも治癒魔術師でもない。ただの――」
ヲタクだ、と言いかけて、通じないことを思い出した。
「……ただの、ルミナ様の信者だ。あんたが期待してるような奇跡を起こせる保証は、どこにもない」
「構わぬ」
即答だった。
「保証など、もとより求めておらん。医師団も魔術師も、皆『治せる保証はない』と言った上で手を尽くしてくれた。貴公にだけ保証を求めるのは道理に合わぬ」
「……ずいぶん話が分かるんだな」
「ただ」
ヴァルターは顔を上げた。その目は、騎士の目というより――必死な、ひとりの人間の目だった。
「私は近衛騎士団長として、二十年王家にお仕えしてきた。王妃陛下は、私のような武骨者にも分け隔てなく接してくださる、お優しい御方だ。あの御方が日に日に弱っていかれるのを、ただ見ていることしかできぬ。この無力さは……剣で斬れるものなら、とうに斬っておる」
その言葉に、嘘はなかった。
俺は少しの間、考えた。
正直、不安はある。ケチャもOADも、俺の意思で「治癒」として発動させたことは一度もない。リプレの村でもギルバートでも、結果的にそうなっただけだ。王宮なんて場所に乗り込んで、何も起きなかったら、最悪打ち首だってあり得る世界だろう。
だが。
――待てよ。
ふと、頭の中で何かが繋がった。
王宮。国王。王妃。
つまり、この国で一番デカい「箱」と、一番影響力のある「客」だ。
もし王妃を救えたら? 国王に恩を売れたら?
ルミナ教の布教に、国のお墨付きが出る。
聖歌隊の活動が、王国公認になる。
ルミナちゃんの名前が、王都から国中に轟く。
「……これは」
俺は思わず呟いた。
「最高の営業チャンスじゃないか……?」
「は?」とヴァルターが聞き返す。
「いや、こっちの話だ」
我ながら不純な動機だとは思う。だが、ヲタクの布教活動に綺麗事だけでは限界があるのも事実だ。使えるコネは使う。前世のヲタ仲間も言っていた。「推しを天下に届けたいなら、手段を選ぶな」と。
それに――。
さっきのヴァルターの目を見てしまった以上、知らんぷりという選択肢は、最初からなかった。
「分かった。行く」
ヴァルターの顔が、ぱっと上がった。
「お、おお……! 引き受けてくださるか!」
「ただし、条件がある」
「何なりと」
「フィリアさんを連れて行く。あと、治療がどうなっても打ち首にはしないでくれ。俺にはまだ、やらなきゃいけないことが山ほどあるんだ」
「無論だ! 陛下には私から言上する。貴公の身の安全は、近衛騎士団の名にかけて保証する!」
ヴァルターは立ち上がり、騎士の敬礼をした。これ以上ないくらい、きびきびした動きだった。
◇
出発は明朝と決まった。王都までは馬車で二日だという。
騎士団が宿へ引き上げたあと、礼拝堂に残ったメンバーに、俺は留守を頼んだ。
「練習は続けておいてくれ。レナ、悪いがまとめ役を頼む」
「あたしが?」レナが眉を寄せた。
「お前以外に誰がいる。センターだろ」
「……ちっ。仕方ない」
口ではそう言いつつ、まんざらでもなさそうだった。
「ミレイは声出しの続きと、魔力の的当ての練習。焦らなくていいからな」
「は、はい! 頑張ります!」
獣人の少女には、目線を合わせてサイリウムを指さした。
「お前は、毎日これを振る練習だ。できるか?」
少女は、こくりと頷いた。それから、何かを考えるように俺の袖を小さく引っ張り、それから坂道の方を指さした。
「ん? ああ……心配するな。すぐ戻る」
少女はじっと俺の顔を見て、もう一度、こくりと頷いた。
「アキ様」と、フィリアが荷物をまとめながら言った。「王都までの道中の手配、整いました。それにしても……まさか王宮に招かれる日が来るとは。これもすべてワシンジのお導き……!」
「導きかどうかは知らないけどな」
俺は礼拝堂のルミナ像を見上げた。
修復された右腕が、夕陽を受けて柔らかく光っている。
王妃の病。治癒魔術が効かない「病ではない何か」。
嫌な予感が半分。
でかい現場の予感が、半分。
「ルミナちゃん、ちょっと王都まで行ってくる」
俺はサイリウムを懐にしまい、旅支度を始めた。
王宮という名の、この国で一番デカい箱へ――。
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