化け物
室内は広く、大きな窓がありチッタの街が一望できる。部屋の隅には大きな棚が並び整然と部屋の周りを囲っている。そして窓の前には机があり、そこに黒いスーツを着た男が座っていた。
オールバックにした髪に、鍛えられた体格。穏やかな表情をしているが、その目の奥には鋭い光が宿っている。
「君があの化け物を殺した人かな?」
男はそう言ってクラージュを見る。クラージュはその威圧感に圧倒されながらも、そうですと返事をした。男はその返事に笑みを浮かべて、話し始める。
「そうか。君はスヴェードと言うものを知っているか?」
「いえ、知らないです」
「では、あの化け物のことは?」
「知りません」
男は満足そうに頷く。
さっきまでの出来事はクラージュにとって理解できないことばかりだった。あの化け物について聞いたこともない。クラージュは怪訝な顔をして男を見るが、男は気にする様子もなく話を続ける。
「教えよう。ただし、君が私たちの仲間になることが大前提だ。もし君が仲間になりたくないならそれもいいだろう。君には少しだけ記憶をいじらせてもらうが」
「記憶をいじる?」
「ああ、そうだ。君はあの化け物を知ってしまった。あれは決して一般市民には知られてはいけないことだからね」
知られてはいけない?その理由はわからなかったが、その鋭い目線に対抗するようにクラージュは男を見る。あの化け物を戦うと覚悟した時からもう決めている。
「仲間になるので、あの化け物の正体を教えてください」
「死ぬかもしれないよ?真っ二つにされた彼のように」
男は試すように言うが、クラージュの意思は固い。
マサを殺したあの化け物を倒せるならなんだってやる。クラージュの意思を読み取ったのか、嬉しそうな笑みが出る男はスヴェードと化け物について話し始めた。
「まず、スヴェードとは人の体内から生まれる光の物質のようなものだ。それを物体に流し込むことで、刃のように鋭くしたり、鞭のようにしなやかにしたりと、性質を変化させることができる。ただし、その性質は個人差があり、硬さに優れる者もいれば、柔軟性に優れる者もいる。一概にすべてが同じように扱えるわけではない」
「それは多くの人が使えるのですか?」
もしこの力を使える人が増えればあの化け物に対抗できるかもしれない。そう期待を込めて男を見たが、男は首を横に振る。
「そうではない。全ての人間に素質はあるかもしれない。だが、それを使いこなせるかはその人次第だ。故に実践で戦える者は数が少ない。我々も研究はしているがはっきりとはわかっていない」
男は残念そうに肩をすくめた。クラージュはそうですかと肩を落とした。期待していた答えではなかったが、それでも知りたいことはまだある。クラージュは気持ちを切り替え、あの化け物について聞いた。
「あの化け物はワフシュと呼ばれていて、人間から生まれる化け物だよ」
「ワフシュ…」
ワフシュと呼ばれる化け物は、七つの大罪から生まれる感情が最高潮に達した時に、ある物を食べることでなってしまうらしい。
「そのある物とはなんですか?」
「これだよ」
そう言って男は机の上の端末に触れると、空中に半透明の画面が浮かび上がり、それをクラージュの方へ向けた。
それはまるで血のような色をした丸い実だった。見たこともないその実はスァマーと呼ばれていて、見た目からして不気味だ。
「これを食べたからといって、すぐに変わるわけではない。だが、食べた者の中で感情が爆発した時、その身体は変異を始める」
男は静かに続けた。
「怒りでも、嫉妬でも、欲望でもいい。その感情たちが制御できなくなった瞬間、ワフシュへと変わっていく」
レックスは淡々とそう言った。クラージュの額から一筋の汗が垂れる。
「その実を食べて化け物になった人は銃や剣で死ぬんですか?」
「死なないよ。たとえ傷を負わせたとしてもあいつらは死なない。あの化け物にはスヴェードで切らないと死なないんだ」
「どういうことですか?」
あの見た目になったとしても元は人間。それが化け物になっただけでそんなことになるのか。クラージュの質問に男は顔から笑みを消して答える。
「さっきも言ったけどあいつらは七つの大罪、つまり負の感情の塊だ。負の感情に蝕まれた人間は人の身体をも変える。実際、研究結果ではいくら銃や剣を刺しても無駄だった。あれはもはや人間ではない。そしてこれに対応できるのがスヴェードだ。スヴェードの持つ力は正の感情からなるものと推測している。正と負。単純なことだが、これらが要因している可能性が高い」
負の感情。この世界に暮らす人たちには想像しにくい感情である。衣食住もしっかりとしていて、お金にも困らない。そんな生活をしていて負の感情が生まれることはないからだ。あるとすれば私欲に負けた人たちだけだろう。
そしてスヴェードでしか殺せないワフシュがこの街に現れてる。その事実にクラージュは違和感を覚える。
「どうして、ワフジュがこの街にいるんですか?」
「原因はまだわからない。ただ、ここ数年ワフシュが国民が住む大陸に現れるようになっているんだ」
こんな化け物が各街に大量に現れたりもしたなら国民たちはきっと全滅だ。クラージュは不安を抑え切れず口を開く。
「何か対策はないのですか?」
しかし男は、ただ首を横に振るだけだった。
「今のところの対策は仲間を派遣して殺すぐらいしかない。ワフシュが生まれる原因の犯罪者たちは基本的には海を超えた大陸にいる。そして犯罪者たちに埋め込まれているチップも回収するから余程のことがない限り街には入れない」
「犯罪者って...」
男から出てきた犯罪者と言うのは反逆者たちのことだろうか?クラージュはそう思っていたが、男は反逆者を含めた全犯罪者と言った。
「全犯罪者っていうのは...?」
「そのままの意味だよ。君たち警備員たちが捕まえた窃盗犯、強盗犯、性犯罪者や他の犯罪を犯した者たち全て、その大陸行きだ」
今まで捕まえてきた犯罪者たちはクラージュたちに捕まったあと、ビダに送られていて、その全ての人がビダから出てくることはなかったのをクラージュは思い出した。全く気づいていなかったのだ。
「でも、捕まった人たちの家族たちにはなんて言うのですか?」
「ああ、各街にはジーイーと呼ばれる電波塔があって低エネルギーの電磁波を流すことによって市民たちの記憶から犯罪者たちの存在が消えるようになっている」
だから、今まで気づかなかったのか。クラージュは毎回捕まえたあとにその犯罪があったことは覚えていても誰がなんの犯罪を犯したか忘れていた。
そして捕まった人たちの家族や周りも昔からその人がいない者となる。
「微弱ではあるが人の記憶を消すぐらいの力はある。身体に影響はないから安心して欲しい」
男は悪びれる様子もなく、それが当然のことのように言う。クラージュは背筋に何か嫌なものを感じた。
この国は平和で国民たちも善良な人たちしかいない。いや、そういう風に思わせているのかもしれない。
「そう怯えた顔をするな。これは国民たちが平和を維持するためには必要なことなんだ。昔は常に犯罪と隣り合わせ。いつ自分が死ぬのかもわからない。いつ犯罪に巻き込まれるかわからない。そんな恐怖と人々は戦ってきたんだ。だが、今はこんなにも平和な世界がある。人は知らなくていいことは知らないままでいいんだよ」
学校で歴史を学んできていたが、どれもこれも数百年間の歴史だけだった。それより昔の歴史を学ぶことはなく、それに疑問も持ってたこともなかった。クラージュは数百年より更に昔のことは全く知らない。どんな人がいて、どんな風に人は生活していたのか。
「まあ、そんなことはどうでもいい。それよりも君の大切な友人に会わないか?」
男はそう言って立ち上がり部屋を出ようとした。頭の中にある違和感をなかったことにしてクラージュも後について行こうとしたら男は扉の前で立ち止まった。
「ああ、言い忘れていた。僕の名前はレックスだ。よろしく頼むよ」
「クラージュです。よろしくお願いします」
レックスは満足そうに頷き部屋をでた。クラージュたちは無機質なエレベーターに乗り、下の階へと降りていく。降りた場所は長い廊下があり、先には一つのドアがある。
扉を開けると、部屋の中には壁一面に白く大きな引き出しが並んでいた。中央には大きな台があり、その上にマサが横たえられていた。
「マサっ」
クラージュはマサに近寄り、顔を見る。マサの顔は目が閉じられていて血が通っていない白い顔をしていた。身体は真っ二つのままだったが、元の服は脱がされていて白装束が着せられていた。
「マサ...ごめんな。守れなくて...」
クラージュはマサの上半身を抱きかかえ、謝罪をする。何もしてあげれなかった。もっと早く異変に気づけていればマサは生きていたかもしれないのに。
クラージュはマサの身体をそっと置き、レックスの方へ身体を向ける。少し間を置いて口を開いた。
「エミたち...マサの家族はどうなるんですか?」
「残念だが、マサの家族は彼のことを覚えていない」
やっぱりそうなるか。クラージュは今までの3人とマリーとの思い出が巡る。この街で老衰や病死で死ぬ人はいたが、誰かに殺されて死んだ人はいなかった。いや、いないとそう思わされていたのかもしれない。クラージュは両親を早くに病で亡くしており、その時はまだ幼く何もわからなかったが、悲しさや会えない寂しさはあった。それは今でもクラージュの心の中にいる。
しかし、死に際にも会えず、その人の記憶も消される人たちはどうなのだろうか。
両親の顔が記憶の中に浮かぶ。クラージュにとって辛い思い出だか、両親が自分を育ててくれたおかげで今があるのを忘れてはいない。
「これらの件で亡くなった人、犯罪者に殺された人は全ての国民から記憶が消される。クラージュ、このことは彼の家族には話してはいけないよ」
クラージュはマサのことを覚えていないであろうエミたちや大事な人たちから忘れ去られてしまったマサを思い、涙する。
亡くなってしまったことは悲しいが、それよりも覚えられていないことの方が悲しいし寂しい。クラージュはマサを見つめた。
レックスはそんなクラージュのそばに寄り肩に手を置いて謝罪をした。
「すまない。我々がもっとしっかりと仕事をしていれば」
「それは違います。レックスさんたちのせいではありません」
クラージュはマサを見ながらレックスにそう言った。これはマサを守れなかった自分の責任だ。クラージュはマサから視線を外し、レックスと向き合う。
「ワフシュを倒し、この国を守ります。きっとマサもそう願ってると思います」
クラージュの決意にレックスは口角を上げ、満面の笑みを浮かべて手を差し出す。その手を握るクラージュの目は強い信念に満ち溢れていた。




