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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第98話 信じた証

 南の市街地も、無事ではなかった。

 大通りほどの壊滅状態ではないが、散発的な戦闘が各所で起きていた。石造りの建物の陰に帝国兵が数人ずつ身を潜め、押し寄せてくる吸血鬼と食屍鬼に応戦している。だが、指揮系統が崩壊した兵士たちの抵抗は組織的なものではなく、場当たり的な防戦に過ぎなかった。

 一人、また一人と兵士が倒れていく。

 エルザの足が止まった。

 路地の先で、数人の帝国兵が食屍鬼の群れに囲まれていた。背中合わせに剣を構え、必死に応戦しているが、もう限界が近い。一人の若い兵士が膝をつき、その腕に食屍鬼が喰らいついた。悲鳴が上がった。


「レオン様、わたくしは」

「行け」


 レオンの返答は即座だった。エルザはレオンの言葉を受けて路地に飛び込んだ。右手に魔力を集中させ、火炎の魔術を放つ。炎が食屍鬼の群れを薙ぎ払い、兵士たちの包囲が崩れた。ベアトリクスが続けざまに拳銃を撃ち、残った食屍鬼を一体ずつ仕留めていく。

 兵士たちは一瞬呆然としていたが、救われたことを理解した瞬間、安堵の表情が広がった。若い兵士が食屍鬼に噛まれた腕を強く押さえながら、声を振り絞った。


「あ、ありがとうございます」


 だが、噛まれた腕が既に変色し始めている。食屍鬼化の兆候だ。エルザは唇を噛みしめ、それでも目を逸らさなかった。


「アビゲイル」

「分かっているわ」


 アビゲイルが杖を振り、兵士の腕に浄化の魔術を施した。噛まれてから時間が経っていない。食屍鬼の毒が全身に回る前に浄化できれば、助かる可能性がある。兵士の顔が苦痛に歪んだが、やがて腕の変色が薄れていった。


「大丈夫。間に合ったわ」


 アビゲイルの声に、兵士は崩れるように座り込んだ。

 レオンは周囲を警戒しながら、兵士たちに声をかけた。


「動ける者は南門に向かえ。ヴェアヴォルフ同胞団の傭兵たちが南に展開しているはずだ。合流しろ」


 兵士たちは頷き、互いを支えながら南に向かって走り出した。

 だが、ここで足を止めている暇はなかった。南に向かうほど、戦闘の密度は薄くなるが、吸血鬼たちの追撃は止まない。通りを曲がるたびに新たな敵が現れ、その度にレオンの大剣とエルザの魔術とベアトリクスの銃撃で切り抜けていく。

 広場に差しかかった時だった。

 一〇人ほどの帝国兵が、三〇体を超える吸血鬼の群れと交戦していた。兵士たちは既に半数が倒れ、残った者たちも満身創痍だ。それでも剣を手放さず、背後の民間人を庇って戦い続けている。背後には、怯える女性と子供たちが固まっていた。

 エルザが走り出す前に、ベアトリクスが動いていた。吸血鬼の一体に向けて弾を放ち、心臓を射抜く。灰が散った。続けてもう一発。二体目が崩れ落ちた。エルザも火炎術で吸血鬼の側面を焼き払い、レオンが大剣で正面を粉砕した。

 兵士たちが振り返った。その中に、見覚えのある顔があった。

 頬に古い傷跡がある。年かさの男だった。

 あの兵士だ。謁見の間で、ベアトリクスに剣を振り下ろした男。ベアトリクスもそれに気づいた。一瞬、視線が交差した。だが、今は戦闘中だ。感情を挟む余裕はない。

 吸血鬼の群れが四方から押し寄せてくる。レオンが前方を薙ぎ払い、エルザが側面を焼き、ベアトリクスが後方を撃つ。アビゲイルが氷結術で群れの動きを封じ、帝国兵たちも態勢を立て直して剣を振るった。

 頬に傷のある兵士も、剣を握り直して戦列に加わっていた。ベアトリクスの近くで背中合わせになる瞬間があった。兵士はベアトリクスの方を一瞬だけ見た。何か言いたげな目だった。だが、言葉を発する前に次の吸血鬼が襲いかかり、兵士は剣で受け止めた。

 だが、数が多すぎた。

 倒しても倒しても次が来る。レオンの大剣ですら、全てを捌ききれない。

 一体の吸血鬼がエルザの死角から飛びかかった。レオンが反応するより先に、ベアトリクスが拳銃を向けた。引き金を引く。だが、弾倉が空だった。装填が間に合わない。吸血鬼の爪がベアトリクスに向かって振り下ろされた。

 その瞬間、誰かがベアトリクスの前に飛び出した。

 鉄と肉がぶつかる鈍い音が響いた。

 頬に傷のある兵士だった。吸血鬼の爪が兵士の背中を深く裂き、鮮血が飛び散った。兵士はベアトリクスを庇うように立ちはだかり、そのまま膝から崩れ落ちた。


「なぜ……!」


 ベアトリクスが叫んだ。レオンが即座に吸血鬼を斬り伏せ、広場の吸血鬼たちを一掃する。束の間の静寂が訪れた。

 兵士は石畳の上に横たわっていた。背中の傷は深い。鎧の隙間を正確に貫かれている。ベアトリクスは兵士の傍に駆け寄り、膝をついた。


「どうして、どうしてわたしを庇ったのですか。あなたはわたしを……」


 憎んでいたはずだ。吸血鬼に仲間を殺された恨みを、ベアトリクスにぶつけた人だ。なのに、なぜ。

 兵士は血に塗れた顔で、ベアトリクスを見上げた。その目には、あの日の憎悪はなかった。代わりに、涙が滲んでいた。


「すまなかった」


 掠れた声だった。


「あの時、お前に……剣を振るった。お前は、反撃しなかった。味方だと、証明するために。それなのに、オレは……」


 兵士の手が震えながら持ち上がり、ベアトリクスの手を掴もうとした。だが、力が入らない。指先がベアトリクスの手に触れ、そのまま滑り落ちた。


「お前たちが、戦っているのを見た。民を守っているのを、見た。吸血鬼なのに、命を懸けて人間を守って。それを見て、分かった。あの時お前が言ったことは、本当だったんだ」


 いつか、信じていただける日がくると思っています。あの日、謁見の間でベアトリクスが口にした言葉を、この兵士は覚えていたのだ。

 涙が兵士の頬を伝った。古い傷跡の上を、涙が流れていく。


「許して、くれ……」


 その声が、途切れた。兵士の目から光が消え、体から力が抜けていった。

 ベアトリクスは兵士の手を両手で包んだ。涙が止まらなかった。この人は自分を憎んでいた。仲間を殺された怒りを、自分にぶつけた。それは当然のことだった。吸血鬼に大切な人を奪われた痛みは、簡単には消えない。

 でも、この人は最後に自分を守ってくれた。


「ありがとう、ございます」


 ベアトリクスの声は震えていたが、心からの感謝だった。


「あなたのおかげで、わたしは生きています。あなたが守ってくれた命で、わたしは戦い続けます」


 兵士の瞼を、そっと閉じた。安らかな顔だった。ベアトリクスは兵士の手を胸の上に置き、静かに手を合わせた。

 信じてもらえる日が来る。あの日、そう言った。それが今日だった。こんな形で信じてもらいたかったわけではない。でも、この人の最後の行動が全てだった。言葉より雄弁な、命を懸けた証明だった。

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