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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第95話 守るための力

 ヴェンツェル王国で吸血鬼に襲われた夜。宮殿中に悲鳴が響いていた。エルザの手を引いて暗い廊下を走った。倉庫に逃げ込み、拳銃を構えた。でも、撃てなかった。指が動かなかった。吸血鬼がエルザに迫った時、自分にできたのは体を盾にすることだけだった。背中を斬られ、毒に侵され、意識が遠のいていく中で思ったのは、もっと強ければ、という悔しさだった。

 あの夜、自分は姫様を守れなかった。体を張ることしかできなかった。ドラコが来なければ、二人とも死んでいた。

 あの時の無力感が、体の奥底から蘇ってくる。目の前に脅威があって、大切な人がいて、自分には力がない。また同じ思いをするのか。また、誰かに助けてもらうだけなのか。姫様を、自分の手で守ると決めたのに。

 嫌だ。

 もう、あんな思いはしたくない。

 その瞬間、体の奥で何かが弾けた。

 ベアトリクスの紅い瞳が、さらに深い紅に染まっていった。瞳孔が細くなり、獣のような鋭さを帯びる。体の奥から、力が湧き上がってくる。あの時と同じだ。汽車の屋根の上で、ウィンガルに腹を貫かれ、死にかけた時に感じたあの力。血が沸騰するような熱さ。全身の血液が、自分の意志で動いている感覚。心臓が一際強く脈打ち、その波動が全身に伝わっていく。

 ベアトリクスの右肩から、何かが生えた。

 片翼。竜のような、赤い翼が一枚、右肩から伸びた。赤い鱗が夜の中庭で月明りを受けて鮮やかに輝いている。右腕の形が変わり、指先から肘にかけて赤い鱗に覆われていく。竜の腕だ。指先に鋭い爪が光る。そして、額の両側から二本の小さな角が生えた。体中の血液が脈打つように波打っている。

 ロード。吸血鬼の王の力。上級吸血鬼の中でも、「王」の力を持つ者だけがなれる姿。

 ベアトリクスの体が動いた。考えるより先に、体が動いていた。三週間の修業で叩き込まれた型でも、頭で計算した軌道でもない。本能だ。体の奥から溢れ出す力が、そのまま拳に乗った。

 右腕が振られた。竜の腕が、レイラに向かって突き出される。レイラは木剣で受け止めようとしたが、ベアトリクスの拳はそれを粉砕し、そのままレイラの頬を捉えた。

 衝撃。レイラの体が後方に飛ばされ、壁に叩きつけられた。中庭の石壁に亀裂が走った。魔王と勇者を育てた剣の師匠を、吹き飛ばした。

 中庭に、静寂が落ちた。エルザが両手で口を覆っている。

 ベアトリクスは自分の右腕を見た。赤い鱗に覆われた竜の腕。右肩の片翼。額の角。あの時と同じ姿だ。汽車の屋根の上でウィンガルと戦った時に、一度だけ現れたあの力。だが、力は確かに自分の中から湧き出ていた。血液が体中を巡り、一滴たりとも自分の支配から逃れていない。これが、ロードの力。

 そして、状況を理解した瞬間、血の気が引いた。


「レ、レイラさん! ご、ごめんさない! わたし、殴ってしまって……!」


 ベアトリクスは慌ててレイラの元に駆け寄った。ロードの力が解け、右腕の鱗も翼も角も消えていく。元の小柄な少女に戻ったベアトリクスが、レイラの前でおろおろしている。

 レイラは石壁にもたれたまま、頬を押さえていた。そして、笑った。満足げな、心の底からの笑みだった。


「よくやった」


 レイラが立ち上がり、ベアトリクスの頭に手を置いた。


「それがお前の力だ。ダミアンと同じだ。お前の中には、それだけの可能性が眠っていた」

「でも、わたし、レイラさんを殴って……」

「師匠を殴れるくらい強くなったということだ。褒めているんだ。素直に受け取れ」


 ベアトリクスの目に涙が浮かんだ。嬉し涙か、安堵の涙か、本人にも分からない。エルザが駆け寄り、ベアトリクスの手を握った。


「ベアト、すごいわ。あなた、本当にすごい」


 エルザのエメラルド色の瞳が潤んでいた。親友の成長を、心から喜んでいる。ベアトリクスは涙を拭い、照れたように笑った。


「姫様……ありがとうございます。わたし、やっと姫様を守れるかもしれません」

「もう。ベアトは守ってもらうだけの人じゃなかったわ。ずっと、一緒に戦ってくれていたでしょう」


 レイラは頬を擦りながら、二人を見つめた。エルザの言葉に、目を細める。守る側と守られる側ではなく、共に戦う者同士。互いの弱さを補い、互いの強さを引き出す。良い組み合わせだと、改めて思った。

 そして、レイラは頷いた。


「お前たちは十分に強くなった。ダミアンに再会した時、胸を張ってあの子の隣に立……」


 レイラの言葉が、途切れた。

 中庭の裏門が勢いよく開いた。駆け込んでくる足音。黒いローブを翻し、先の折れ曲がった帽子を被った少女が飛び込んできた。


「レイラ! 大変!」


 アビゲイルだった。普段は余裕のある表情を崩さない彼女が、息を切らしている。髪が乱れ、額に汗が光っていた。その顔には、明らかな焦燥があった。


「アビー、どうした」


 レイラの声が、師匠の穏やかさから戦士の鋭さに切り替わった。


「ターリンガが襲われている! 吸血鬼と食屍鬼の集団が、街を……!」


 アビゲイルの言葉が、中庭の空気を凍らせた。

 ターリンガ。セクレタリア帝国の首都。レオンがいる場所。今、自分たちがいる場所だ。


「吸血鬼と食屍鬼の集団? どれくらいの規模だ」


 レイラが訊いた。


「分からない。でも、少なくない。宮殿の方角から爆発音が聞こえた。街のあちこちで悲鳴が上がってる。レオンは宮殿に向かった」


 アビゲイルの声が震えていた。普段は余裕を崩さない彼女が、ここまで動揺することは滅多にない。それだけで、事態の深刻さが伝わってきた。

 エルザの顔が青ざめた。国民が襲われている。この帝国の人々が、今まさに殺されようとしている。ベアトリクスがエルザの手を握り返した。先ほどまで覚醒の喜びに包まれていた中庭が、一瞬で戦場の緊張に塗り替わった。

 中庭で修業をしていたから、街の様子に気づくのが遅れたのだ。石壁に囲まれた中庭では、通りの喧騒は届きにくい。

 レイラは店の壁に立てかけていた自身の剣を手に取った。振り返らなかった。だが、その背中には数多の戦場を生き抜いた戦士の覚悟が滲んでいた。


「来い。修業は終わりだ。ここからは、実戦だ」


 エルザは剣を手に取った。三週間前には握ることすらできなかった武器が、今は手に馴染んでいる。ベアトリクスも拳銃を腰に差した。先ほど覚醒したロードの力が、まだ体の奥で微かに脈打っている。使いこなせるかは分からない。だが、今は考えている場合ではない。

 レイラの背中を追い、エルザとベアトリクスも中庭の門を駆け抜けた。アビゲイルが最後尾で続く。

 裏通りに出た瞬間、悲鳴が聞こえた。煙の匂い。血の匂い。ターリンガの夜空が、炎に染まっていた。


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