第94話 芯の強さ
三週間が経った。
レイラの元で戦い方を学び始めてから、エルザとベアトリクスの日々は一変していた。夜明け前に起き、体を動かし、剣を振り、魔術を練り、日が暮れるまで鍛錬を続ける。休みの日はない。レイラは容赦がなかった。長い歳月を生きた師匠の指導は厳しく、時に理不尽ですらあった。だが、その厳しさには常に理由があった。
二人の成長は目覚ましかった。
特にエルザだ。剣術においては、レイラが驚くほどの飲み込みの速さを見せた。基本の構え、踏み込み、受け流し。わずか三週間で、基礎的な型を全て身につけていた。父ギルバートは帝国でも屈指の魔術師だったが、母ルイーザは剣に秀でていた。両親の血のつながりか、ダンピールの力か。おそらく、その両方だろう。
魔術に関しては更に顕著だった。もともと簡単な術なら使えたエルザだが、レイラの指導を受けてからは破壊術にも手を伸ばしていた。火炎術、雷撃術。教えれば教えただけ吸収していく。レイラが一度見せただけの魔術を、翌日には再現してみせることもあった。天賦の才としか言いようがなかった。
「エルザ、構えが甘い。足の位置をもう半歩前に」
レイラの声が、中庭に響いた。ターリンガの裏通りにある、レイラの魔術店の裏。石畳が敷かれた広い中庭が、三週間の訓練場になっていた。
エルザは木剣を構え直し、レイラに向かって踏み込んだ。一閃。レイラは片手で木剣を受け止め、軽く弾いた。
「悪くない。三週間でここまで来るとは、大したものだ」
レイラが口元に笑みを浮かべた。白銀の髪のダークエルフの師匠は、普段は気怠げな表情をしていることが多いが、弟子の成長を見る時だけは目が輝く。
「ありがとうございます。レイラ。でも、まだまだです」
エルザは額の汗を拭い、姿勢を正した。王女としての品格は、訓練中でも崩れない。エメラルド色の瞳に、確かな決意が宿っている。
一方、ベアトリクスはどうか。
魔術に関しては精度が上がっていた。回復術の安定性が増し、防御術の展開も速くなった。剣の腕も以前より確実に向上している。だが、戦い自体に対する不慣れは、まだ拭えていなかった。体が動くより先に頭が考えてしまう。攻撃を繰り出す時に、一瞬の躊躇が入る。その隙が致命的だった。
毎日の鍛錬が終わるたびに、ベアトリクスは自分の手を見つめていた。エルザはどんどん先へ進んでいく。自分は足踏みしている。メイドとしてエルザを支えることはできる。だが、戦場でエルザの隣に立つことは、まだできない。その焦りが、更に体を硬くさせていた。
その日の夜だった。
日が沈み、中庭に星が瞬き始めた頃。日中の鍛錬が終わってもベアトリクスは一人で中庭に残り、素振りを続けていた。エルザも、中庭の隅に座ってベアトリクスを見守っている。
レイラは中庭の壁にもたれ、腕を組んでベアトリクスを見ていた。ベアトリクスは、木剣を握ったまま肩で息をしている。童顔に汗が伝い、小柄な体が疲労で震えていた。
だが、レイラの目には別のものが映っていた。ベアトリクスが追い詰められた時、ほんの一瞬だけ、体の奥から何かが滲み出す瞬間がある。それは、かつてドラコを弟子にした時に感じたものと同じだった。技術では測れない、もっと根源的な力。
「ベアトリクス。お前には、才がある」
レイラが静かに言った。ベアトリクスが顔を上げた。
「才……ですか。わたしは姫様のように上手くできません」
「違う。お前の才はエルザとは種類が違う。エルザは技術で伸びる。型を教えれば型を覚え、魔術を見せれば魔術を再現する。だが、お前は別のところに本質がある。お前自身が、まだそれに気づいていないだけだ」
レイラの目が、真剣なものに変わった。気怠げな雰囲気が消え、二人の弟子を育てた剣の師匠の顔になっている。
「かつて、似たような弟子がいた。技術では伸び悩み、頭で考えすぎて体が追いつかない。だが、そいつには目に見えない何かがあった。追い詰められた時に、折れずに立ち上がる。そういう芯の強さが、あいつにはあった」
ドラコのことだ。エルザとベアトリクスは、それを察した。レイラが以前話してくれたドラコの過去。人間だった頃、吸血鬼に故郷を滅ぼされ、その恨みから戦士になった少年。あの人も最初は、こうだったのだろうか。
「ベアトリクス。お前と手合わせをする」
レイラが壁から背を離し、木剣を手に取った。ベアトリクスの目が丸くなった。
「え……レイラさんと、ですか?」
「本気で来い。でないと、意味がない」
エルザが中庭の端に下がった。レイラの意図を察したのだろう。エメラルド色の瞳が、親友を心配そうに見つめている。だが、口は出さなかった。師匠の判断を信じている。
ベアトリクスは木剣を構えた。手が震えている。レイラは途方もない戦闘経験を持つ達人だ。魔王ドラコと勇者レオンの師匠。勝てるわけがない。だが、レイラの目は本気だった。逃げることは許されない。
ベアトリクスは息を整え、踏み込んだ。木剣を振り下ろす。レイラは体を僅かにずらしただけで回避し、返しの一撃をベアトリクスの脇腹に叩き込んだ。
「遅い」
ベアトリクスの体がよろめいた。痛みが走る。だが、立ち止まらなかった。再び木剣を振る。横薙ぎ。レイラは木剣で軽く受け止め、ベアトリクスの足を払った。ベアトリクスが石畳に転がる。
「考えすぎだ。頭で動くな」
レイラの声が冷たく響いた。ベアトリクスは歯を食いしばって立ち上がった。三度目の突進。木剣を両手で握り、渾身の力で振った。だが、レイラの木剣がベアトリクスの手首を打ち、木剣が飛ばされた。
四度目。拾い上げた木剣で突きを繰り出す。レイラは片手で軽く弾き、ベアトリクスの肩を木剣の腹で叩いた。五度目。六度目。何度挑んでも、レイラには触れることすらできなかった。圧倒的な経験の差は、あまりにも大きい。
武器を失ったベアトリクスに、レイラは容赦なく踏み込んだ。木剣の先がベアトリクスの喉元に突きつけられる。
「これが実践なら、お前は死んでいる」
ベアトリクスの瞳が揺れた。恐怖ではない。悔しさだ。エルザを守りたいと思って修行を始めた。なのに、三週間経っても、師匠の一撃すら防げない。エルザはあんなに成長しているのに、自分は足を引っ張ってばかりだ。
レイラは木剣を下ろさなかった。ベアトリクスの目を真っ直ぐに見つめている。その視線には、試すような鋭さがあった。
「お前の大切な人が目の前で殺されようとしている。お前には力がない。技術もない。この状況で、お前はどうする」
レイラの声が変わった。冷たさが消え、静かな問いかけになっていた。だが、その言葉はベアトリクスの心を、最も深い場所まで突き刺した。
「考えるな。感じろ。お前の中に、力がある。ダミアンと同じものが、お前の中で眠っている。お前は、何のために強くなりたいと思った」
ベアトリクスの脳裏に、映像が浮かんだ。




