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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第93話 魔王城へ

 ライカの瑠璃色の瞳が見開かれた。帝国。セクレタリア帝国。大陸全土を統治する国。その街を破壊し、国民を虐殺する。

 ラミーナが一歩踏み出した。


「何を言って……」

「お前たちがどれだけ足掻こうが、もう止められん。計画は動き出した。吸血鬼の大群が、帝国に向けて動いている。お前さんたちがこんなところで鍛冶屋を尋問している間にもな」


 シュミットが笑った。嘲りを含んだ笑みだった。ライカは問いを重ねた。


「欲しい血と言うのは何のこと。誰の血を手に入れたの」


 シュミットは答えなかった。ただ笑みを深めるだけだ。その笑みには、末端の人間が知り得ない何かへの確信があった。


 シュミットの手が動いた。革のエプロンの内側。何かを掴んでいる。

 ライカが気づいた時には、もう遅かった。

 シュミットの手に、小さな拳銃が握られていた。ドワーフの鍛冶師が自ら作った、掌に収まるほどの小型拳銃。最初から隠し持っていたのだ。

 だが、銃口はライカたちに向けられていなかった。

 シュミットは拳銃を自分のこめかみに当てた。


「待っ……」


 ライカが手を伸ばした。だが、シュミットの指は既に引き金にかかっていた。


「お前さんたちが何をしようが、もう手遅れだ。せいぜい足掻くがいい」


 銃声が鳴った。

 小さな工房の隠し部屋に、硝煙の匂いが充満した。シュミットの体が崩れ落ち、石の床に倒れた。白い長髭が赤く染まっていく。

 ラミーナが息を呑んだ。リューネットが目を伏せた。

 ライカは伸ばした手をゆっくりと下ろした。瑠璃色の瞳が、動かなくなったシュミットの体を見つめている。


「……止められなかった」


 ライカの声は小さかった。シュミットは財団の末端に過ぎないと言った。だが、末端の人間が自ら命を絶つほどの覚悟を持っている。財団という組織の異常さが、改めて浮き彫りになった。

 そして、シュミットの最後の言葉。「欲しい血はもう手に入れた」。その意味が分からない。何の血だ。怪物を完成させるために必要な血なのか。それとも、別の何かか。

 リューネットが金属板の魔術式を調べた。だが、シュミットの死と共に魔術式の光も消えていた。連絡先を辿ることはできない。


「金属板に残留する魔力の痕跡から、この術式がどこに繋がっていたかを解析できるかもしれません。ですが、時間がかかります」


 リューネットが残念そうに首を振った。今は時間がない。

 ライカは隠し部屋を出た。帽子を脱ぎ、白い髪を指で梳いた。瑠璃色の瞳が、虚空を見つめている。

 帝国の街の破壊と、国民の虐殺。シュミットの最後の言葉が、頭の中で繰り返されていた。財団の強大な戦力が帝国に向かっている。首都ターリンガが狙われているのか。それとも、帝国の複数の都市が同時に襲撃されるのか。


「ライカ殿。どうしますか」


 リューネットが静かに尋ねた。


「シュミットの言葉が本当なら、帝国への襲撃は近い。傭兵たちへ連絡を取り、帝国の防衛に向かわせるべきかと」

「うん。兄弟たちには、すぐに報告を送る。でも、兄弟たちだけで足りるかどうか……」


 ライカは目を閉じた。頭の中で、二つの選択肢が天秤にかけられていた。

 一つは、ヴェンツェル王国。財団の研究拠点がある。機械人形を作った魔術師の少女がいる。フローレンスとジレーヌも向かった。全ての手がかりが集まる場所だ。財団を根本から叩くなら、ヴェンツェル王国に向かうべきだ。

 もう一つは、セクレタリア帝国。シュミットの言葉が本当なら、近いうちに帝国の民が殺される。街が焼かれる。今すぐ動かなければ、取り返しのつかないことになる。だが、帝国に向かえば、財団の正体を追う手がかりは遠のく。

 手がかりを追うか、民を守るか。総帥として、傭兵団全体の利を考えるならヴェンツェル王国だ。だが、ライカの中で、ドラコの日記の言葉が響いていた。ドラコは常に、目の前の人を守ることを選んだ。たとえそれが遠回りでも、非効率でも。


「ライカ様」


 ラミーナが声をかけた。ライカの葛藤を見て取ったのだろう。だが、ラミーナは自分の意見を言わなかった。総帥の判断を待っている。

 ライカは長い沈黙の後、目を開けた。瑠璃色の瞳に迷いはなかった。


「帝国に向かう」


 ラミーナとリューネットが顔を上げた。


「財団の正体を探ることも大事。でも、今この瞬間に民が殺されようとしているなら、そちらを優先する。手がかりは後からでも追える。でも、命は後からでは取り戻せない」


 ライカの声は静かだが、揺るぎなかった。ドラコの日記を読んで、ライカは知っている。ドラコが何よりも大切にしていたのは、目の前の人を守ることだった。たとえ非効率でも、たとえ遠回りでも。ライカも同じだ。ヴェアヴォルフ同胞団は傭兵団だが、金のためだけに戦う組織ではない。守るべき人がいるなら、そこに向かう。


「ヴェンツェル王国にはフローとジレーヌが向かっている。二人を信じる。わたしたちは帝国へ行く」


 リューネットが頷いた。


「帝国のどこへ向かいますか。首都ターリンガですか」


 ライカは少し考えた。そして、首を横に振った。


「ヴァレシクリット。帝国の南にある都市よ。そこに、ドラコがかつて住んでいた城がある」


 ラミーナが怪訝な顔をした。


「もしかして魔王城、ですか? なぜ帝国の首都ではなく」

「わたしの記憶が正しければ、魔王城には使えるものがあったはず。帝国の防衛をしながら、ヴェンツェル王国への道も開けるかもしれない。それに、ドラコが住んでいた城だから、武器や物資も豊富に残っているはず。拠点としてはこれ以上ない場所よ」


 ライカはそれ以上は言わなかった。記憶が曖昧な段階で詳しく話しても仕方がない。確かめるには、実際に魔王城へ行くしかない。


「記憶違いだったら、その時はその時。でも確かめる価値はある。兄弟たちを先に向かわせて、拠点として整えておく。勇者様にも、報せを送らなきゃ」


 ライカはそう言いながらも、シュミットの最後の言葉が頭から離れなかった。欲しい血はもう手に入れた。何の血だ。その答えが分からないまま、時間だけが過ぎていく。

 だが、立ち止まっている暇はない。


 ライカは帽子を被り直した。シュミットの遺体には布をかけた。財団の末端とはいえ、死者を放置する気にはなれなかった。後でポーラーに事情を伝え、適切に処理してもらうよう手配する必要がある。

 工房の扉を開けると、テリンスの乾いた風が吹き込んできた。鍛冶の煙と金属の匂いが混じった風だ。街ではまだ、金属を叩く音が響いている。何も知らない鍛冶師たちが、いつも通りの仕事をしている。帝国に迫る脅威のことなど、誰も知らない。

 ライカは南西の空を見た。セクレタリア帝国。魔王ドラコの国。勇者レオンの国。そこに、財団の刃が迫っている。


「急ごう。時間がない」


 ライカの足が、石畳を踏み出した。ヴェンツェル王国への道を免れ、帝国へ。財団の正体を追うことよりも、今を生きる人々を選んだ。

 それが、ライカの答えだった。

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