第92話 機械人形
シュミットは観念したように肩を落とした。
小さな体が、さらに小さく見える。白い長髭の下で唇が震え、額に汗が浮いていた。工房の隠し部屋。金属板の魔術式は、途中で途切れたまま薄く光っている。
ライカは腕を組み、シュミットを見下ろしていた。瑠璃色の瞳は穏やかだが、その奥に潜む冷徹さを隠そうとはしていない。ラミーナが出口を塞ぎ、リューネットが魔力の監視を続けている。
逃げ場はない。シュミットもそれを理解していた。
「話してくれるかしら。財団とのつながり。あの機械の男のこと。あなたが知っていることを、全部」
ライカの声は静かだった。怒りでも脅しでもない。ただ、答えを求めている声だ。
シュミットは長い沈黙の後、顎髭を撫でて口を開いた。
「……ワシは、末端だ。連絡役に過ぎん。金属の加工を請け負い、時折、情報を流す。それだけだ」
「いつから?」
「三年ほど前からだ。最初は、金属の特殊な加工を依頼された。報酬は破格だった。詳しいことは訊くなと言われ、ワシも深くは訊かなかった。そのうち、情報を集めろと言われるようになった。この街を訪れる旅人の動向、各国の軍の動き。ポーラー王女の近くにいる利点を、連中は最初から計算していたんだろう」
ラミーナが眉をひそめた。
「ポーラー王女はあなたを信頼していた。それを利用していたんですか」
シュミットは答えなかった。だが、その沈黙が答えだった。
リューネットがメガネを押し上げた。
「あの機械の男について、聞かせてください。あなたは最初から知っていましたね」
シュミットは一つ息を吐いた。
「あれは、怪物だ」
怪物。その単語に、ライカの瞳が鋭くなった。ドラコの日記には、そのような存在についての記述はなかった。
「怪物?」
「財団の中では、そう呼ばれている。人工的に作られてた存在の総称だ。お前さんたちが戦った男は、その中でも機械人形と呼ばれる種類だ。金属と歯車で体を構築し、魔術式で動かす。感情はない。命令通りに動くだけの、兵器だ」
機械人形。ライカは名前を頭に刻んだ。あの男には名前などなかった。個体ではなく、兵器。作られた道具。リファランでライカの腹を貫いた指も、意志によるものではなく、命令に従った動作に過ぎない。
「機械人形は一体だけじゃない。何体もいるのか」
ライカの問いに、シュミットは頷いた。
「ワシが聞いた限りでは、複数体が製造されている。だが、機械人形はまだ試作段階だと聞いている。完成品じゃない」
「試作段階? あれで?」
ラミーナが信じられないという顔をした。狙撃銃の弾丸すら貫通できず、刀も通らない機械の体。あれが試作品だとすれば、完成品はどれほどの化け物になるのか。
シュミットの表情が、一瞬だけ暗くなった。
「機械人形は、怪物の研究の一段階に過ぎん。本当の目的は、もっと先にある。連中が目指しているのは、機械ではなく、細胞だ」
「細胞?」
リューネットが目を細めた。
「人工的に細胞を一から作り出し、完全なる怪物を生み出す研究だ。機械人形は骨格と動力を機械に頼っている。だから雷撃に弱い。関節も動きに限界がある。だが、細胞から作られた怪物には、そんな弱点はない。生身の体と同じ柔軟性を持ち、なおかつ人間を遥かに超える身体能力と魔力を持つ。状態異常にも耐性があるから、吸血症にもかからん。つまり、吸血鬼にすらならない。理論上は、完全な兵器だ」
リューネットの表情が険しくなった。
「状態異常への完全耐性。それは、通常の戦闘手段では対処が極めて困難ということですね。毒も効かない、精神術も効かない、吸血症に感染しないとなれば、攻略法がほとんどない」
「そういうことだ。機械人形は試作品に過ぎん。本当の脅威は、細胞から作られた完全な怪物だ」
工房の空気が重くなった。ラミーナの手が刀の柄を握りしめている。リューネットのメガネの奥の目が、険しくなっていた。
ライカは黙ったまま、シュミットの言葉を噛みしめていた。機械人形ですら、あれほどの脅威だった。人狼化して全力で戦って、ようやく爪で傷をつけられる程度。それが試作品で、本当の怪物は細胞から作られた完全な存在だという。
「その研究は、どこまで進んでいるの」
「ワシの知る限りでは、まだ細胞から完全な怪物を作る段階には至っていない。だが、完成まで、そう遠くはないと聞いている」
「中間段階というのは、体の一部が機械で一部が人工細胞ということですか」
リューネットの問いに、シュミットは首を振った。
「それは分からん。ワシは末端だ。研究の詳細までは知らされていない。ただ、連中は確実に完成に近づいている。完成にはまだ足りないものがあるらしいが、何が足りないのかは、ワシの知る範囲の外だ」
ライカは目を閉じた。頭の中で情報を整理している。機械人形、細胞の怪物。財団は段階を踏んで、完全な怪物を作り上げようとしている。シュミットが話した「魔術師の少女」が、その研究を主導しているのだろう。そして、完成にはまだ「足りないもの」がある。
ライカはが次の質問をしようとした時だった。
シュミットが、不意に笑った。
それまでの怯えた表情が消え、代わりに奇妙な笑みが浮かんでいた。自嘲ではない。諦めでもない。何かを悟った者の、静かな笑みだった。
「もう遅い」
シュミットの声が変わった。震えが消えている。
「何が遅いの」
ライカの声に、警戒が滲んだ。
「欲しい血は、もう手に入れた」
ライカの眉が動いた。欲しい血。何の血だ。誰の血だ。
一瞬、エルザの顔が脳裏を過った。エルザはダンピールだ。人間と吸血鬼の混血。吸血鬼を殺す力を持っている。もし財団が怪物を完成させるために特別な血を必要としているなら、ダンピールの血は十分にその候補になり得る。
だが、エルザは今、レオンの元にいるはずだ。大陸最強であるはずのレオンが倒され、財団がエルザの血を手に入れたとは考えにくい。なら、別の血なのか。それとも、ダンピールの血ではなく全く別の何かなのか。
「血? 何の話」
シュミットの目が据わっていた。先ほどまでの怯えた鍛冶師の顔ではない。狂信者の目だった。
「もうじき、我々は帝国の街の破壊と、国民の虐殺を始める」




