第91話 嘘の匂い
「一年ほど前だ。とある魔術師の少女が、人工的に生物を生み出す研究をしているという話を耳にした。鍛冶仲間の間で、ちょっとした話題になった。機械と魔術を組み合わせて、命を持つ存在を作りだそうとしているんだと」
ラミーナが眉をひそめた。
「人工的に生物を……? そんなことが可能なんですか」
「普通なら不可能だ。生物を一から作り出すなど、神の領域だ。だが、その少女は相当な腕の魔術師らしい。科学と魔術の両方に精通していて、既に何体か試作品を作ったという噂だった」
試作品。ライカの脳裏に、あの傷だらけの男の姿が浮かんだ。感情のない目。機械の体。人間を模して作られた金属の顔。あれが試作品だというのか。
リューネットがメガネを押し上げ、慎重に訊いた。
「その少女について、他に何か分かることは」
「詳しくは知らん。ただ、年齢は若いと聞いた。見た目は一〇代半ばほどだが、魔術の腕は大陸でも指折りだとか。名前は聞いていない」
一〇代半ばの魔術師。ライカは心の中で情報を整理した。見た目が若く、大陸でも指折りの魔術の腕。その条件に、一人だけ心当たりがあった。
マリアム。ドラコの日記には、一五年ぶりに再会したマリアムの見た目が全く変わっていなかったと書かれていた。一五年経っても変わらない容姿。見た目は若い。魔術の腕も確かだ。
だが、ライカはすぐにその考えを打ち消した。マリアムはレオンの仲間だ。財団に関わっているはずがない。
――はずがない。そう思いながらも、ライカは頭の片隅にその可能性を置いた。消し去ることはしなかった。敵の正体が分からない以上、あらゆる可能性を捨てるべきではない。それが、ライカの判断だった。
「その研究が行われている場所は分かりますか」
ライカが尋ねた。シュミットは顎髭を一つ撫でてから答えた。
「ヴェンツェル王国だと聞いた。具体的な場所までは知らんが、あの国のどこかで研究が行われているらしい」
ヴェンツェル王国。やはり、全てがあの国に繋がる。
ライカはラミーナとリューネットに目を向けた。二人とも同じことを考えている顔だった。財団の正体。機械の男。人工的な生物の研究。その全てが、ヴェンツェル王国に集約されている。ドラコが一五年間眠っていた場所。エルザの故郷。フローレンスとジレーヌが向かった先。
ライカは椅子から立ち上がり、シュミットに丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。シュミットさん。とても助かりました」
ラミーナとリューネットも礼を言い、三人は工房を後にした。
だが、ライカの足取りには迷いがなかった。工房の扉を閉めた瞬間、ライカは小さな声で二人に囁いた。
「ラミー、リューネ。あの人、嘘をついている」
ラミーナが目を丸くした。リューネットは少し間を置いてから、小さく頷いた。
「わたしも気になっていました。シュミット殿は、ライカ殿が機械の男の話をした時、驚いていなかった。鍛冶師として初めて聞く話であれば、もっと食いついてくるはずです。金属の構造や魔術式の紋様について、技術的な質問が一つもなかった」
「うん。それに、最初にわたしを見た時、一瞬だけ目つきが変わった。わたしを知っているのか、少なくとも、わたしたちが来ることを予想していた顔だったの」
ライカの嗅覚は、人狼のものだ。シュミットの体からは、鍛冶師にしては不自然な緊張の匂いが漂っていた。話している間も、僅かに汗の匂いが強くなっていた。隠し事をしている人間の匂いだ。
リューネットが続けた。
「それから、噂の出所です。一年前に聞いた話だと言っていましたが、それほど前の話を、さも最近聞いたかのようにすらすらと話した。しかも、研究場所がヴェンツェル王国だという情報まで。ただの噂にしては具体的すぎます」
「罠かもしれませんね」
ラミーナが刀の柄に手を添えた。
「罠かどうかは、これから分かるよ。あの人がこの後、何をするか見ていればいい」
ライカは帽子の鍔を押さえ、工房の裏手に回った。三人は音を殺し、工房の壁に身を寄せた。人狼の聴覚が、壁の向こうの物音を拾う。
しばらくの間、何も起きなかった。シュミットは炉の前に座ったまま、動かない。ラミーナが刀の柄に手を置いたまま落ち着かない様子だったが、ライカは目で制した。待て、という合図だ。
やがて、椅子が動く音がした。足音が工房の奥へ向かっていく。そして、棚が動かされるような、重たい物を引きずる音。ライカの耳が、隠し扉が開く微かな軋みを捉えた。
ライカは目を細め、ラミーナとリューネットに頷いた。三人は工房の裏口から静かに中に入った。鍛冶道具の間をすり抜け、棚の裏に開いた扉の前に立つ。中から、シュミットの声が聞こえてきた。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
シュミットは足音が完全に消えるまで待った。それから椅子を蹴るように立ち上がり、工房の奥へと歩いた。鍛冶道具が並ぶ棚の裏に、小さな扉がある。普段は棚で隠している扉だ。
シュミットは棚を動かし、その扉を開けた。狭い部屋に入る。部屋の中央に、小さな台がある。台の上には、魔術式が刻まれた金属板が置かれていた。鍛冶師の工房にあるべきものではない。財団との連絡用の術式だ。
シュミットは金属板に手を置いた。魔術式が淡く光り始める。
「シュミットだ。報告がある」
シュミットの声が、先ほどまでとは違っていた。鍛冶師の素朴さが消え、冷たく、事務的な声。客が来た時の愛想の良さは、最初から演技だったかのようだ。
「ライカという女が来た。怪物のことを嗅ぎ回っている。ヴェンツェル王国に向かうようだ。対処を……」
「誰に報告しているの?」
背後から、声がした。穏やかで、透き通った女性の声。だが、その奥に刃のような冷たさが潜んでいた。
シュミットの体が凍りついた。振り返ると、工房の奥の扉に三つの影が立っていた。
ライカが帽子の鍔の下から、瑠璃色の瞳でシュミットを見下ろしている。その横にラミーナが刀の柄に手をかけて立ち、リューネットがメガネの奥から冷ややかに見つめていた。
シュミットの顔から血の気が引いた。
「い、いつから……」
「最初からよ」
ライカが一歩、前に出た。穏やかな笑みは消えている。瑠璃色の瞳が、冷たく光っていた。
「わたしの話を聞いている間、あなたは一度も技術的な質問をしなかった。ドワーフの鍛冶師なら、機械の体の構造について興味を持つはず。歯車の種類、金属の合金比、関節の構造。でも、あなたは何一つ聞かなかった。知る必要がなかったから。最初から知っていたから」
シュミットの唇が震えた。ライカは言葉を続けた。
「それに、わたしが工房に入った時、あなたはわたしの顔を見て一瞬だけ顔つきが変わった。初めて会う客に対する反応じゃない。わたしが来ることを、誰かから聞いていたんでしょう。それから、噂の話。一年前に聞いた話なのに、あまりに具体的だった。鍛冶仲間の噂にしては、詳しすぎる」
シュミットは金属板から手を離した。逃げ場はなかった。工房の出口にはラミーナが立っている。魔術を使おうにも、リューネットの目が既に魔力の流れを監視している。
「シュミットさん。どうして財団と繋がっているの? あなたが知っていることを、全部話してもらえるかしら」
ライカの声は静かだった。だが、その奥にある威圧は、シュミットの首筋を凍らせるには十分だった。




