第88話 機械の体
男が突進してきた。
石畳を踏み砕く足音が、宮殿の前庭に響く。人間の速度ではなかった。あの巨体からは想像できない俊敏さで、男は一直線にライカに向かってきた。
ライカは両手の拳銃を同時に撃った。二発の弾丸が男の胸に着弾する。だが、男は止まらなかった。弾丸が弾かれたのか、それとも体に食い込んだまま無視しているのか。いずれにしても、効いていない。速度も落ちない。
男の拳が横薙ぎに振るわれた。ライカは身を低くして回避した。拳が頭上を通過し、風圧だけで帽子が飛ばされた。白い髪が散り、瑠璃色の瞳が男を見上げる。
至近距離。ライカは左手の拳銃を男の顎に向けて発砲した。弾丸が顎を打ったが、男の頭は僅かに揺れただけだった。金属同士がぶつかるような、硬質な音が響いた。肌の下に金属がある。やはり、普通の体ではない。
男が返しの拳を叩きつけてきた。ライカは横に跳んで回避したが、拳が石畳に叩きつけられた衝撃で足元が揺れ、大勢が崩れかけた。
その隙を逃さず、男が追撃してくる。拳の連打。一発一発が石柱を粉砕する威力だ。ライカは紙一重でかわし続けたが、男の攻撃は止まらない。
ライカは半分人狼の状態へと姿を変える。走りながら半狼になる判断をした。
瑠璃色の瞳の奥に獣の光が灯り、ライカの体が変わった。頭頂部から狼の耳が生え、爪と歯の形が鋭くなり、腰の辺りから銀色の尻尾が伸びた。体と顔は人のまま。だが、纏う気配が違う。人狼の力の一端が、体に満ちていく。
半狼の脚力で石畳を蹴り、男の拳を斜め後方に跳んで回避した。先ほどまでとは反応速度が違う。男の拳が空を切り、ライカは着地と同時に両手の拳銃で男の頭部と胸を撃った。四発。全て命中。だが、弾丸は灰色の肌に弾かれ、火花を散らすだけだった。
「拳銃じゃ駄目か……」
ライカは舌打ちした。二丁の拳銃を腰に戻し、背中の狙撃銃を構えた。拳銃で駄目なら、狙撃銃の貫通力に賭ける。照準を男の眉間に合わせ、引き金を引いた。
轟音。狙撃銃の弾丸が男の額に命中した。男の頭が後ろに仰け反り、巨体が一歩後退した。初めて、男の足が後ろに下がった。だが、倒れない。額に弾痕が残ったが、弾丸は貫通していなかった。金属の層が、狙撃銃の弾丸すら止めている。
それでも、狙撃銃の衝撃は拳銃とは比較にならない。男の動きが一瞬だけ止まった。ライカはその隙に距離を取ろうとした。
だが、男は即座に体勢を立て直し、さらに速度を上げて突進してきた。怒りではない。感情のない瞳は何も変わっていない。ただ、機械的に速度が上がった。まるで出力を上げたかのように。
「ライカ様!」
ラミーナが飛び込んできた。刀を抜き、男の横腹に斬りつける。鋭い一閃。だが、刃が男の肌に触れた瞬間、金属を斬った時のような感触が腕に伝わった。刀が弾かれ、ラミーナの手が痺れる。
「硬い……!」
ラミーナが歯を食いしばった。刀で斬れない肌。それでもラミーナは退かなかった。刀を持ち替え、男の膝裏を狙って低く斬りつける。関節部なら。だが、そこも同じだった。刃が滑り、火花が散る。
リューネットが後方から魔術を放った。衝撃波が男の背中に命中し、巨体が僅かによろめく。だが、すぐに体勢を立て直した。リューネットが続けて二発目の衝撃波を放つが、男は腕で庇うだけで前進を止めない。
感情のない瞳が、三人を順番に見回す。そして、再びライカに向かって歩き始めた。
ライカだけを狙っている。ラミーナとリューネットの攻撃を受けても、男の標的はライカから変わらなかった。何かに命令されているように、ライカだけを追い続けている。
「ラミー、リューネ。ポーラー王女と兵士たちを連れて下がって」
「でも、ライカ様一人では」
「大丈夫。ここからはわたしが引き受ける。王女と兵士たちを巻き込むわけにはいかない」
ライカの声に迷いはなかった。ラミーナは何か言いかけたが、ライカの瑠璃色の瞳を見て口を閉じた。総帥の判断だ。
ラミーナはポーラーの手を取り、後方へ下がった。リューネットもいつでも援護できる距離を保ちつつ、ポーラーと負傷兵たちを守る位置に移動する。
ライカは深く息を吐いた。半狼では足りない。もっと力が要る。
体の奥に眠る獣の力を、ライカは限界まで解放した。人狼化。腕と脚に銀色の獣毛が生え、伸びていた爪がより鋭くなる。犬歯が伸長し、牙が剝き出しになる。瑠璃色の瞳が金色へと変わり爛々と光った。半狼とは次元の違う力が、全身に漲っている。
男の動きが、僅かに変わった。力を解放したライカを前にして、初めて歩みを止めた。感情のない瞳が、ライカの全身を見ている。標的の脅威の度合いを計っているのか。いずれにしても、一瞬の空白が生まれた。
ライカはその隙を逃さなかった。
地面を蹴った。人狼の脚力で石畳を砕きながら加速し、男の懐に飛び込む。鋭い爪で男の腕を薙いだ。爪が金属の肌に食い込み、男の腕の表面に亀裂が走った。拳銃の弾丸よりも深い傷。人狼の爪の方が、銃弾より効く。
男が反撃した。空いた腕でライカの胴を殴りつけようとする。ライカは後方に跳んで回避した。人狼の脚力が乗った一撃。男の膝が折れ、巨体がよろめいた。
ライカは爪を叩き込んだ。男の胸に深い傷が刻まれ、衣服の下が露わになる。男が大勢を崩している間に、もう一撃。踏み込んで両手の爪で男の腹部を薙いだ。金属が削れる音がして、灰色の肌が裂けた。
見えた。
男の胸と腹部。肌の下に金属の骨格が透けていた。関節部には歯車のような構造があり、管が体の中を走っている。そして、胸の中央と腕、脚の随所に、魔術式に紋様が刻まれていた。人間の体ではない。機械だ。人間の形を模した、機械の体。
「機械……この体、全部機械でできている」
ライカは人狼の姿のまま、男を見据えた。銃も刀も通らない理由が分かった。この男は生き物ではない。機械なのだ。
機械なら。
ライカの金色の瞳が、後方のリューネットを捉えた。
「リューネ! 雷撃の魔術を使って! 機械なら電気に弱いはず!」
ライカが叫んだ。人狼の姿から発せられた声は低く唸るような響きだったが、言葉は明瞭だった。リューネットは一瞬だけ目を見開き、すぐにメガネの奥の目を細めた。
「なるほど。やってみます」
リューネットが両手を前に突き出した。魔力が掌に集中し、青白い火花が弾ける。精神術や秘術を得意とするリューネットだが、破壊術も会得している。
ライカが男の注意を引きつけた。人狼の速度で左右に動き、男の攻撃を回避し続ける。男の拳が空を切るたびに、石畳が砕ける。前庭が戦場と化していた。




