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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第85話 友の裏切り

 複雑な紋様と文字が、石の床一面に刻まれている。古代語だ。幾何学的な図形が幾重にも重なり、その隙間を埋めるように文字がびっしりと書き込まれている。火炎の熱によって、隠匿の魔術式の構造が崩れ、隠されていたものが姿を現したのだ。この部屋全体を覆い隠すほどの隠匿術。それだけで、術者の力量が知れる。


「隠匿の魔術式。やはり、何かを隠していたのね」


 アビゲイルは床に膝をつき、魔術式を調べた。指先で古代語の文字をなぞる。文字の傾き、線の運び方。それは指紋のようなもので、同じ文字でも書き手によって微妙に異なる。構成、術式の組み方、文字の配列。魔力の流れを読み解く。全てに見覚えがあった。ケネロットの迷宮で感じた違和感と同じものだ。あの時は確信が持てなかった。だが、今は二度目だ。何度も見てきた筆跡。何度も議論を交わした術式の構造。もう言い逃れはできない。


「間違いないわ。これはマリーの魔術式よ」


 声が掠れた。認めたくなかった。だが、事実は事実だ。

 アビゲイルは立ち上がり、魔杖を魔術式に向けた。宝珠に解呪の魔力を込める。光が流れ、紋様が淡く光った。

 そして、光が消えた瞬間。

 地下室が、一変した。

 何もなかったはずの空間に、無数の容器が現れた。大きなガラスの筒が、壁際にずらりと並んでいる。中には緑色の液体が満たされており、その液体の中に、ゴブリンが浮かんでいた。

 一体や二体ではない。数十体。全てのガラスの筒に、一体ずつゴブリンが沈んでいる。目を閉じ、身動き一つしない。紅い瞳は宿していない。ただのゴブリンだ。だが、これがケネロットの迷宮に送られれば、召喚の魔術式を通じて吸血症を付与され、紅い瞳の化け物になる。あの村人たちを襲った怪物の素体が、ここで作られていたのだ。

 アビゲイルは息を呑んだ。レオンも、さすがに目を見開いていた。


「これは……」


 レオンの声が低く響いた。培養液の中で眠るゴブリンたち。それは、魔術で召喚された生き物ではなかった。人工的に培養された生き物だ。

 アビゲイルはガラスの筒に近づき、中の液体と装置を調べた。管や計器が接続されており、液体の温度と成分を一定に保つ仕組みが施されていた。筒の側面には記録用の紙が貼られ、数値と日付が細かく書き込まれている。その文字もまた、見覚えのある筆跡だった。


「魔術だけじゃない。科学の技術も使われているわ。ゴブリンを人工的に生み出して培養している。ここで作ったゴブリンを、召喚の魔術式を通じて各地にばら撒いていた。召喚と同時に吸血症が付与される仕組みだから、この地下室では普通のゴブリンのまま保管しておけばいい」


 アビゲイルは筒の記録を指でなぞった。実験の経過。培養の条件。成功率。失敗の原因分析。全てが几帳面に記録されていた。マリアムらしいと、思ってしまった。あの子は昔からそうだった。研究には一切の手抜きをしない。それがどんな研究であっても。

 さらに奥を調べると、科学器具や薬品の瓶が棚に並んでいた。蒸留器、試験管、測定器具。魔術と科学の融合。マリアムは、魔術だけでなく科学の力も使って生物を作り出すことに成功していたのだ。これは、魔術師の研究の範囲を遥かに超えている。


「ケネロットで起きたゴブリンの被害は……やはりマリーの仕業だったのね」


 声が震えていた。確信してしまった。もう、疑いの余地はない。マリアムがゴブリンを人工的に生み出し、召喚の魔術式で各地にばら撒いていた。あの笑顔で「勇者様は魔王とまた会えることを楽しみにしていますよ」と言っていたマリアムが。ドラコたちの無事を祈ると言っていたマリアムが。その裏で、罪もない村人たちを殺すための化け物を作り続けていた。

 レオンは背を向けた。拳が、強く握りしめられていた。


「マリアムの行方を追わせる。すぐに兵士たちに知らせる」


 短い言葉だった。だが、その声にはレオンらしくない揺れがあった。マリアムは、かつてレオンと共に魔王を倒すために戦った仲間だ。誰よりも信頼していた魔術師だ。その仲間が、宮殿の足元で、こんなことをしていた。

 レオンは大剣を背負い直し、階段を駆け上がっていった。重い足音が石の壁に反響し、やがて聞こえなくなった。

 地下室に、アビゲイルだけが残された。

 培養液の中で眠るゴブリンたちが、緑色の光に照らされている。静かだった。あまりにも静かだった。液体の中で漂うゴブリンたちの姿が、まるで標本のように見えた。


「どうして……」


 アビゲイルの口から、言葉が零れた。小さな声だった。幼い少女の見た目に似つかわしい、か細い声。

 マリアムとは、敵同士だった。魔王ドラコの側と、勇者レオンの側。対立する陣営にいた。だが、戦いが終わり、魔術師同士として語り合った。互いの研究を見せ合い、夜通し議論した。マリアムは目の下に隈を作りながら、嬉しそうに自分の研究成果を語っていた。「アビーの魔術は本当にすごいよ」と、目を輝かせていた。一人称が「ボク」のあの子は、魔術の話になると子供のように無邪気だった。魔術への飽くなき探求心。それだけは、二人の間に嘘はなかったはずだ。

 その探求心が、ここまでの暴走を招いたのか。それとも、探求心とは別の何かがマリアムを突き動かしていたのか。今のアビゲイルには分からない。


「どうして、こんなことを……マリアム!」


 アビゲイルの紅い瞳が、怒りに染まった。幼い顔が歪み、唇が震えた。悲しみと怒りが入り混じった表情だった。目の前のガラスの筒に映る自分の顔が、涙で滲んでいる。

 こんなものを、残しておくわけにはいかない。ここで培養されたゴブリンが外に出れば、また誰かが傷つく。ケネロットの村人たちのように。名も知らない人々が、この化け物たちによって命を奪われる。

 そして何より、これはマリアムの罪の証だ。友の罪を、自分の手で始末する。それがアビゲイルにできる、せめてものことだった。

 アビゲイルは魔杖を掲げた。杖先の宝珠が、煌々と青色に輝き始める。

 火炎術。先ほどとは比べ物にならない規模の青い炎が、宝珠から溢れ出した。地下室全体を飲み込む灼熱。石の壁が熱し、空気が歪む。ガラスの筒が次々と砕け、培養液が蒸発し、中のゴブリンたちが炎に呑まれていく。記録の紙が灰になり、計器が溶け、薬品の瓶が割れ、全てが炎の中に消えていく。

 一体残らず。一枚残らず。全てを焼き尽くした。

 炎が収まった時、地下室には何も残っていなかった。焼け焦げた石の壁と床。溶けたガラスの残骸。培養液の痕跡すら残さず、全てが灰になっていた。床に刻まれていた魔術式も、炎によって完全に消し去られていた。

 アビゲイルは、焼け跡の中央に立っていた。小さな体が、すすに汚れている。紅い瞳から涙が一筋、頬を伝って落ちた。魔杖を握る手が、僅かに震えている。

 とがった帽子の先が、力なく垂れている。いつもは好奇心に輝いている紅い瞳が、今は暗く沈んでいた。

 信じていた友が、裏切っていた。

 アビゲイルは小さな拳を握りしめた。焼け跡の熱が、足元からじわりと伝わってくる。

 マリアム。あなたはどこにいるの。どうしてこんなことをしたの。わたくしに何も言わずに。あの日、ドラコたちの無事を祈ると笑っていたあなたが、その裏でこんなことをしていたの。

 答えは返ってこなかった。地下室には、炎の余韻と煤の匂いと、アビゲイルの吐息だけが残っていた。

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